現実を見なければ話にならない

はじめに

今回、記事のテーマとなるのはこの動画。

これまでに僕が、散々触れてきた話題でもあるけれど、もう一度振り返っていきたい。


「最期まで面倒を見る」のも人間のエゴである

基本的に、こういった動画作品においては「安楽死」だったり「殺処分」という言葉が使われることが多い。今回の動画では「安楽死」という表現を使っていた。
まず、この段階から間違っている。

「圧倒的に安楽死させられる馬が多いんでしょ?」という言い方をしているが、実際問題としてそうではない。屠畜されていると言った方が正しい。
そして、屠畜されることを安楽死とは呼ばない。安楽死と呼ぶことで、馬の肉は捨てられているんだ。という、印象操作をしているように僕は思う。

恐らくは番組の都合で、可哀想だよね何とかしなければいけないよね。
という結論を導き出すために、そういうストーリーを描いているのだと思うけど、それ自体が視聴者に正しい情報を与えず、騙しているように僕は感じた。

また、「海外・ヨーロッパではもっとちゃんとしてる。」「中途半端な金持ちは行儀が悪い。」という発言があるけれど、日本で引退競走馬が使われる下地がないからこそ、肥育に回って屠畜されているのが現状なのに、それを無視して最期まで面倒を見ろ。というのは暴論であると思う。
そして、行儀が悪いというのは馬主に対して喧嘩を売っている言い方になるので、単純にその発言自体が良くない。

トラクターの普及で耕す作業に使われてきた牛や馬が必要なくなった。それに変わる文化が育ってこなかっ肉だった。そして、日本には元から馬肉をさくら肉と呼んで食べる文化があった。そういうことに触れていかなければ、単に「競走馬の養老牧場を見学に行きました。安楽死させられる馬が多いことを知りました。可哀想だと思いました。自分にも何か出来ることがあれば、やっていきたいと思います。」
なんて、小学1年生が作文で書くような内容程度のモノにしかならない。

この人たちが言う「安楽死」とは何か?
そして、死んだ後の馬がどうなるか?を追っていかなければ、結論を出せない問題なのに、一方向のみの意見で結論を出すことが問題だと僕は思っている。

だから「問題提起」にはなるけれど、解決方法を探っての問題提起ではない。ただ単に、そういうこともあるんだね、と触れてみただけ。
時代の流れで引退競走馬にも目を向けられている現状は理解している。
だからこそ、解決方法を探っての問題提起をしてほしい。その為には、屠畜されて肉になるのも真っ正面から向き合って、対峙していかなくては、現実的な解決策を打ち出せないと考えている。

「悪いこと」だとするつもりはない

こうやって、引退競走馬の話題に触れる人がいることは決して悪いことではない。
悪いことではないからこそ、裾野を広げるために、いろんな情報を提供してあげてほしい。保護活動をする人がいれば、その一方で経済活動をする人がいる。そのどちらにも意見を聞かなければ、正当な議論は出来ない。そして、片寄った意見だけで結論を出そうとするから、どうしても考えが甘くなる。

結局は、運営元が養老に力を入れたとしても現状で全ての馬を養老出来る訳じゃないのは誰が考えても分かる話だと思っている。
だからこそ、「良い落としどころ」を探っていかなければいけないのに、片寄った意見だけで結論を出そうとするから、おかしなことになる。そして、片寄った意見が多いからこそ皆が流される。もう少しフラットに見て判断すべきだ。

結論

この手の情報発信は、裏がない。
上っ面だけで何を言ってるんやと僕は思う。
結果として、それで誤解を植え付けるからこそ、理解が進まない。そんな状況で、引退競走馬の余生を。とか言ったところで、どうもならない。
なぜ肉になるか?肉になるのが悪いことなのか?という観点が足りていない。単なるお気持ち表明動画。こんなのが蔓延る現状をどうにかして変えたい。

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Yu-Ji
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