上げ馬神事で考えてみた「否定派の先にあるもの」

今回の記事は、上げ馬神事の名をタイトルにしているが、この記事の本質はそこじゃないということを最初に断っておく。

「動物虐待」ではないか?として、ニュースで取り上げられた上げ馬神事。

それに反対する人がいるというところまでは、個人的に理解は出来る。
僕個人の意見は、壁の高さを見直す必要はあると思うが、可能な限り存続させるべきだという考えだけど、これもコンセンサスが得られるかは分からない。

そして、単に上げ馬神事の中止・廃止を訴える人でも色んなパターンがある。一番分かりやすくカテゴライズするならば、競馬のことをどう捉えているか?だと思う。

カテゴライズ表(仮称)

分かりやすく書いてみたが、競馬のことをどう考えていて、上げ馬のことをどう考えているか?というのでカテゴライズ出来る。
このカテゴライズで言えば、僕はいちばん上の、競馬○ー上げ馬○になる。

実際、騒動を受けて上げ馬神事の形は変わって存続していくことになった。僕にしてみれば、願ったりかなったりで文句のつけようがないことだ。今後も上げ馬神事は存続していって貰いたい。

だが、世の中にはこうやって対応策を打ち出したことにすら「NO!」「反対!」を突き付ける人がいる。
恐らくだが、その人たちは競馬にも反対している人ではないか?と僕は思っている。
その理由としては、今回発表された改善策によって、先ほど上げたカテゴライズ表で言えば、競馬○ー上げ馬×という人の意見が変わるのではないかと思うから。

もし、競馬にも反対して上げ馬神事にも反対しているとなると、少し話が変わってくる。
以前、自分は上げ馬神事についての記事を公開した。

この中で僕が書いていることとしては、上げ馬神事の否定が競馬の否定に繋がることを危惧しているという内容。

引退競走馬が上げ馬神事で使われ、その馬が薬殺されたというのは競馬否定派にとって大きなニュース。
だからこそ、今でもその馬の名前を使って上げ馬神事の否定、ひいては競馬の否定をしているのではないか?と今になって想像している。
ここでもまたカテゴライズが出来て、肥育を認めているかどうか?で立ち位置が変わってくる。議論のなかで、肉屋にいるほうがまだマシだ、肥育場からレンタルするとは何事だ、という論調もあった。
上げ馬神事の否定はまだ分かる。
ただ、その裏に何があるのか?を僕たちは考えなくてはならない。

成田国際空港を巡る騒動みたく、否定派が活動家を受け入れたりなんぞしようものなら、本来の上げ馬神事とは関係のないところで騒動が起きる。
最終的に動物愛護団体は、これが狙いでしょう?と思っている。

競馬でも、競走中止のシーンをカットするようになってきている。この流れは日本にも波及する。

当時の呟きにもしていることだが、動物愛護団体が馬の怪我するシーンを切り取って自分たちの宣伝に使う。この場合の目標は競馬廃止だろうけど、その先にあるものは何か?と言えば恐らくサラブレッド種の絶滅だろう。

日本でもそうなるだろう。上げ馬神事は取っ掛かりにしか過ぎない。その先にあるものは何か?ハッキリしやがれ
とここで申してこの記事を締め括る。

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