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南北キプロス旅行記 day1 謎の未承認国家北キプロスへ
巨大なイスタンブール空港を飛び立ったトルコ航空機は次は進路を東に取る。モンゴルは終わったが、旅は終わったとは言っていないのだ。
※この旅行記は「モンゴル旅行記day5」の続きになります。
1845、定刻より30分遅れて地中海東部にプカプカと浮かぶキプロス島はエルジャン空港に到着。
これにて52ヶ国目、キプロス共和国に入国!とはならない。イミグレで押される入国スタンプにはKuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiの文字が。Cyprus の表記はどこにもない。
そう、ここはきちんと言い直しておこう。
52ヶ国目、北キプロス・トルコ共和国入国!
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日本ではあまり聞き覚えのない国名だが、それもそのはずで、ここは巷でよく知られているキプロス共和国とは全くの別物。キプロス紛争の果てに、トルコの支援を得たトルコ系住民が島の北半分を実効支配して建国した国家である。ただし国家承認しているのはトルコのみであり、他の国連加盟国は1カ国も承認していない所謂未承認国家というやつだ。
なお通貨はトルコリラ。独立の誇りはないのか誇りは。
当然トルコ以外からは総スカンなので、入国経路もトルコからのみ。ここは同じく日本視点では未承認国家でありながら事実上の外交関係を持っている台湾との大きな違いと言える。なお北キプロスには他に空港はないので空路はエルジャン一択だが、一応トルコ南部のアランヤやタシュジュから海路でギルネ港に入るというルートもある。
ただしこの国に入るということは、紛争状態にある南側のキプロス共和国及びそのバックにいるギリシャに喧嘩を売るということなので、入国がバレるといろいろ問題が発生する可能性があるらしく、少なくともギリシャには入れなくなる。つまり僕はこのパスポートが切れるまでギリシャには行けなくなったということである。グッバイサントリーニハネムーン(予定はない)
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エルジャン空港から出て左手には小さなバスターミナルがあり、ニコシア、ギルネ、ファマグスタといった北キプロスの主要都市へのバスが出ている。時間帯はだいたい1.2時間に1本というところで、意外にも夜遅くまで便がある。なおウランバートル空港で両替できなかったトラウマから、予めイスタンブールにてトルコリラを作ってきた僕だが、レートがとんでもなく悪く25%も手数料をぶん取られていた。そんな卑しい商売してるから通貨価値暴落すんねんぞと言いたいが、ここ最近の円安では我らが日本円はトルコリラにすら負けているというではないか。もうジャパンはおしまいやね。
この空港ではWi-Fiなんて便利なものは当然ないが、道挟んで真向かいにあるチンケなカフェではバンバンWi-Fiが飛んでいるので、入国して情報を得たい人は使ってみても良いだろう。一応SIMカードは到着ロビーに売られているとはいえ、カフェに利便性で初っ端から敗北しているのは唯一の空港として良いのか?
早速2030のバスでギルネに向かうことに。
一応この国屈指の幹線道路を走ってるはずなのだが、車窓から見える景色からは(視覚的に)暗い国という印象を受ける。人口は40万程と少ないうえに、貿易相手が実質的にトルコのみに限られるせいか、あまり街灯等は設置できていないのかもしれない。ただし意外なことに道路自体は綺麗に整備されていてバウンドもしない。モンゴルの上下左右前後振動はやっぱり異常だったんだな。
1時間ほどでギルネに到着。トルコ名ではキレニアと呼ばれるこの街は北キプロス随一の観光地であり、小さな半円状の港を覆うようにホテルや飲食店が軒を連ねている。その港の端には十字軍によって建てられた小さなギルネ城が位置しており、ファンタジー感が素晴らしい。言うなればディズニーシーのメディテレーニアンハーバーをコンパクトにして、カラフルにしたようなイメージが一番近いだろう。
この港沿いだけは既に22時近いというのに明かりが爛々と輝いており、完全にリゾート地の体を成している。でっかい白人達がのそのそと歩き回っているあたり、もしかしたら欧州組には案外メジャーなのかもしれない。とはいえ一本奥に入ると相変わらず暗い路地に吸い込まれてしまう。
早速晩御飯を、と港沿いのレストランのメニューを見てみるが、どれも似たようなののくせなアホ高い。明らかにユーロに慣れた欧州ブルジョワ向け価格であり、モンゴルで豪遊させてはもらったものの、所詮衰退没落国家ジャパン出身に僕に物価の差というものを思い知らせてくる。
そそくさと退散して、バス降車地点付近にあったスーパーでスティックパン(超巨大なプリッツみたいなもの)を買って空腹を凌ぐ僕である。全くもって味がせず非常に虚しい。
0800起床。宿泊したブリテッシュホテルは港から歩いて30秒という好立地で、値段もこのあたりにしては良心的。早速そこだけやたらテーマパーク味のある港沿いの通りを歩いてギルネ城へ向かうことにする。この時間は北キプロスではまだスリーピングタイムらしく人の姿は見られないが、なかなかに心地良い朝散歩ができる。
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20リラを払ってギルネ城の中に入る。時代を重ねるごとに乱増築されてきたらしく、小さな教会が半ば埋め込まれるように城内に存在していた。移築という概念はなかったのだろうか。
なおここには古代の難破船の博物館が併設されており、直射日光ガンギマリのこの城では数少ない屋内エリアなので避暑を兼ねて入ってみる。どうも当該の船はここキプロスから見て西にあるロードス島(2019年訪問済み)から近辺まで航行してきた船とのことで、積載品はほ壺。よってここの博物館の展示もほぼ壺である。もうちょいお宝を積んでおいてほしかったところではあるが、やっぱり船舶保険て大事だなと実感する次第。
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北キプロスの難儀なところは観光業が未発達な点で。それぞれの観光スポットはちゃんとあるのだが、そこまでの交通アクセスが都市郊外となると基本タクシーしかない。そして案の定こういうときに限ってタクシー代は普通に高い。各都市間の交通網は割としっかりしてるのにもったいない限りだ。
でも払わないとわざわざこんな謎の国に来た甲斐もないので、泣く泣くタクシー課金。周囲の観光地回るのに800リラも(値切った結果がこれとは高橋も落ちたものだ)ぶん取られてしまう。なんて強欲なドライバーなのだ。来月のクレカ支払いが非常に心配になってしまうが、シュレディンガーの猫的に、来月の予定支払い金額は確認しない。確認するまでは金額は確定しない!実質支払いゼロ!ヨシッ!
まずはギルネ市街から南東に車で15分程の所にあるベラパイス修道院へ。エルサレムがイスラム勢力(サラディン)に陥落させられた後、逃れてきたフランスのアウグスティヌス派の修道僧たちが作った12世紀の修道院である。フランス組が去ったあとはギリシャ様式に改築され、オスマン帝国支配下でも機能していたが、結局キプロス紛争でギリシャ系が南側に後退したために無人となり、今は廃墟となった、というキプロスの歴史の生き証人みたいな遺跡だ。内部はなかなかに立派で特にアーチ状の回廊跡は素晴らしいの一言。
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続いてはギルネとニコシアを結ぶ幹線道路から少し外れた所にある聖ヒラリオン城。ただでさえ南北に狭い北キプロスを更に南北にぶった切る山脈の上に聳える城跡である。なんかディズニー映画にありそうな形だが、その実なんとこの城、あの白雪姫に出てくる城のモデルでもある。ウォルトディズニーがどうやってこの知名度皆無の城の存在を聞き付けたのか疑問でならない。
なお白雪姫の城がディズニー界では存在感あまりないのはこの際無視だ。
この城もなかなか複雑な成り立ちをしており、パレスチナのガザ生まれの聖ヒラリオン(誰?)がなんらかの理由で追放されて、この山で隠居生活を送り、そのままお亡くなりに。
その後ビザンツ時代にそのヒラリオンさんの墓の上に修道院とチャペルが建てられたのがここの原型らしい。そしてイスラムの侵攻が始まると、警戒目的のために軍事的機能が付与されて砦にランクアップ。さらに十時軍時代を経てフランスのリュジニャン家がキプロス王家にとなると、夏の住居として使用されるようになり、王の城にランクアップ。
更にヴェネツィア支配下となった後は対オスマン用に改築されて遂には大要塞にランクアップ。
墓→修道院→砦→王宮→大要塞と島耕作もビックリの大出世ではないか。
もっともオスマン帝国とヴェネツィアの戦争ではキプロス島においてはレフコシャ(ニコシア)やマグサ(ファマゴスタ)が主戦場になったはずなので、結果的にはその役目を果たせなかったことになる。
なお現在では周囲はトルコ軍の駐屯地となっている。なんで北キプロス軍じゃないんですかねぇ、、、。※北キプロスに軍隊はない。
内部構造の話に移ると、この城は3階層になっていて、下層は動物(軍馬か?)や庶民エリア、中層は兵士や教会のエリア、上層は王族と区分されており、それぞれは半独立のような形で山の中に存在している。各階層を繋ぐ通路も非常に変則的かつ高低差のある造りで、ここまでダンジョンという言葉が相応しい場所もないだろう。ぶっちゃけ白雪姫の城というよりラピュタのモデルを名乗ったほうが雰囲気に合っている。なおかなりの立体構造のため、当然全てを回ろうとすると軽い登山レベルの体力を求められるのでサンダルは止めておいたほうが良い。サンダルで行くと僕のように、あぁっ岩肌が滑るぅぅ!!となってしまう。
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聖ヒラリオン城からギルネに帰還し、その足でバスターミナル(実際にはターミナルと呼べるほどの規模のものはなく、バス会社のオフィスが数軒あるエリア)行き、次の目的地へのバスを探しに行くことに。
何時のがある??と聞くと16時があるらしい。このとき15時40分なので、すぐやから良かったやろ!的なことを言われるが、生憎まだ荷物は宿の中なので後発便をお願いする。
うーん、残りは全部満席なンだわ
オゥ……正直もう少しギルネでのんびりしたがったが、日程に余裕がないのも事実なのでそこは割り切る他はない。ダッシュで宿に預けていた荷物を取りに戻りセルビスと呼ばれる大型バンに乗り込む。次の目的地は北キプロス東端の街、マグサである。
なおセルビスは1620に出発した。ぜんっぜん余裕やったやんけ。
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