元ボンボンの地団駄vol20
とうとう20話まできました。2社の社長になった僕の動きは色々な意味で加速する。
色々なモノを取り扱ったが、その中でも印象深いモノを2つほど。少し時系列的には前後しているかもしれない。
以前展示会で知り合った高身長の馬面韓国人のキムさんから、ある日、韓国コスメを紹介された。その当時はオネエのあの人がドンダケドンダケ言いながらTVに出まくっていた頃だと思う。BBクリームなるモノを日本で展開しないかという話だった。流石に化粧品は畑違いなので、一旦は断ったのだけど、なぜか再度アプローチを受け、再ミーティングになった。そして、彼はある人物を連れてくる。スーツに身を包み少し太めのどこぞの政治家かっ!っていう感じのダンディ。。。どうやら化粧品販売のスペシャリストだというのだ。某有名コスメをフランスから日本に持ってきたという経歴を紹介されたのだけれども、、、僕は何となく信用しきれずにいたし、あまり乗り気ではなかった。
が、ある話が出た瞬間、僕の目は輝いた。
このコスメには、ある韓国人の新人モデルが採用されているようで、、、日本でもモデルデビューを考えているというのだ。写真を見せてもらうと、それはそれはお美しい。
実はその当時、キムタクが主演のドラマでリン・チーリン演じる中国人女性がモデルに抜擢されて、日本でステップアップして、、、、みたいなドラマがやっていた。(分かりにくくてすいません)そう、バカボンは、自分をキムタクに、その韓国人モデルをリン・チーリンに重ねてしまったのだ(笑)
相当なバカである。
そして、僕はその韓国コスメとリン・チーリンをダンディーと共に日本に広める動きを始めたのだ。
まずは、コスメが売れないと何も始まらないので、、、僕はダンディにとにかく販売第一で多少利益が薄くても1年は知名度を上げる為に動こうと提案した。が、彼は見た目だけでなく、中身もダンディだった。。。全然売れない。。。というか、提案ばかりでクロージングを掛けて契約を取れない。。。その癖、毎月の報酬はしっかり請求してくる。。。さすがのバカボンもそこまでお人よしではない。お引き取り頂いた。そして、僕が営業に出かける。。。とはいえ、コスメ販売のノウハウもなければ、ルートもない。
困った。そうしている間もリン・チーリンは韓国で僕を待っている(笑)
そして、僕はダメ元である会社に電話を入れた。某日本最大手TVショッピングだ。一度、商品を見て下さい!!と嘆願し、すぐに千葉にあるその会社に出向いた。商品を見せて第一声が、、、
BBクリームかぁ。。。
でした。
なかなか難しいみただったのだけれど、とりあえずTVショッピングとはどういう流れで放映されるのかも確認してみた。キャストやフリップなどはすべてこちらが用意する。TVショッピングは撮影と放映と問い合わせ対応と発送をする。
で、放映3週間前に弊社の倉庫に商品をOOOO個納品できます?と。
え?買って頂けるんですか??????
いやいや、先に商品を入れて頂いて、そこから放映されて、発送します。売れなかった分は返品致します。
返品???そんな個数いれて売れなかったら返品???
ギャンブル。
TVショッピングの事を何もしらないバカボンがいきなり母体に乗り込んでいったようなもんです。僕は一旦、この商売とリン・チーリンをあきらめた。結局、リン・チーリンとは会えずにその商売は終わった。。。
次!!!
ある時の出張の際の飛行機。僕は機内誌を読んでいた。それ程熱心に読んでた訳ではなかったけど、一つの記事に目が留まる。
「BAMBOO SURFBOARD」
そう、竹のサーフボードがオーストラリアで開発されたという記事だった。普通サーフボードはボードのベースにガラスクロスと樹脂をコーティングして出来ている(めちゃくちゃ簡単にいうとです)、が、このBAMBOO SURFBOARDはガラスクロスの代わりに竹の皮を貼り付けていて軽量化、強度upということらしい。サーファーとしてはめちゃくちゃ気になる!オーストラリアのメーカーのHPがあったので、出張から戻り早速連絡してみた。
なんだかんだと話をしていると、数か月後に社長とメインシェーパー(サーフボードを作る人の事です)が来日するというので是非会いたいと伝えた。
数か月後、彼らはやってきた。社長(名前忘れた。。。)、シェーパーのフランク、そしてフランクの娘さんの3人。話を聞くと、サーフボードの日本代理店はすでに決定しているらしく、アパレルラインの代理店になってもらえないかという話になった。出張ついでとはいえ、オーストラリアからわざわざ来てくれたし、なにより僕はシェーパーのフランクの人柄に惚れてしまった。僕よりも随分年上で、とても大らかで優しいオーラに包まれているし、名前の通り、とてもフランクな性格。そして、娘がめちゃくちゃ可愛い。
僕は大きな動きは出来ないが日本でのアパレルラインの取り扱いをしたい旨を伝えた。今までようなこのビジネスで儲けてやろうという感じではなく、アパレルよりはこのサーフボードの販売のアピールが出来ればという感覚で始めた。彼らとのビジネスはフランクが別のメーカーにシェーパーとして引き抜かれるまでの3年程続いた。ほとんど儲からなかった。でも、フランクとは今でも連絡を取り合っている仲だ。
フランクとは面白いエピソードが1つある。何度目かの来日の際、大阪でご飯を食べる約束をして僕がホテルまで迎えに行った。すると、フランクの顔色があまり良くない。どうした?と聞くと、、、病院に一緒に行って欲しいというのだ。
why???What's wrong???
どうやら、来日する前にタイでビジネスミーティングがあったらしい。3日間タイに滞在して日本に来たというのだが、、、どーやら、タイで羽目を外したらしい。。。(笑)
女の子と遊んだんだけど、どうも、下半身が、、、
もういうな!フランク!分かったから、、、
ハニカムような顔のフランクをみて爆笑しそうになりながらも、一緒に病院に行った。先生にはちゃんとお伝えしまして、、、2日後にはオーストラリアに帰るので、帰国したらちゃんと見てもらうようにして下さいと、薬を頂き事なきを得た。
そんなフランクは数年後、フランスのサーフブランドに引き抜かれ、数年フランスで過ごし、現在は奥さんと二人でオーストラリアのバイロンベイでカフェを経営する傍ら、ボードも削っている。
と、まあ、僕はホントに色々な商品に飛びついては失敗しを繰り返していた。そして、これまでは商売をする相手は海外企業が多くて大きく展開しているように思えるが、自身の動きとしては、ほぼ自分一人もしくは父のアドバイスや会社のスタッフなど非常に狭い範囲での動きがほとんどだったのだが、少しづつ僕の人生に「人との繋がり」が出始める。
そう、これから僕はこの「人との繋がり」によってたくさんの危機を乗り越えていく。