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パーソナリティと性の闘い、本当の愛とは
『先輩はおとこのこ』ようやく5巻まで読み終わりました。
ほんとうは、読んだその日に感想を書きたかったのですが、あまりに暗いストーリーのせいで食事が喉を通らなくなってしまい(ガチ)、吐き気と疲労感におそわれたのであえなく断念しました。
それぐらいにこのストーリーは複雑で、単にレズ、ホモ、バイセクシャルといった文脈で切り分けることのできないものです。今回は、ストーリーの考察を行うと共に、こうした漫画が生まれた背景(あくまで推測ですが)などについても、話していこうと思います。
がっつりネタバレするので、まだ読んでない人は注意してください。
ストーリーの展開
まずは巻数ごとに語られている内容を、簡単にまとめてみます。
1巻 主人公である「花岡まこと」と、メインキャラ2人の紹介
2巻 まことが「女装」する理由の深堀り
3巻 主人公を慕う後輩、「蒼井咲」のバックグラウンド
4巻 主人公の幼馴染、「大我竜二」の同性への恋愛感情
5巻 愛し愛されることの重要性、そして三角関係へ
この漫画は、主人公「花岡まこと」と、彼女を慕う後輩の「蒼井咲」、主人公の幼馴染である「大我竜二」の3人を中心にストーリーが展開します。この3人の間で発生する三角関係が、物語の核です。
男(大我竜二)、女(蒼井咲)、そしてある意味で両性具有的な男の娘(花岡まこと)という巧みなキャラ設定のおかげで、どのペアでも恋愛関係が成立しうる、本当の意味での三角関係が作り出されます。作品のエッセンスは、この3人の設定に詰まっているといっても過言ではないでしょう。
次からは、個々の登場人物について掘り下げていきます。
登場人物の分析
花岡まこと
「女装する男の子」が持つ魅力と悩みを描き出す。他人とは違う生き方を強いられる彼女は、アイデンティティという問題に直面せざるをえない。旧来の価値観(母親)との対立や、男性・女性の間で揺れ動くうちに、自分とは何かを少しずつ発見してゆく。
注意するべきなのは、彼女は体の性が男性で、心の性が女性といういわゆる「バイセクシャル」ではなく、男性と女性両方の感情を持っているという点だ。彼女は「かわいいものが好き」だからそれを身に着けるのであり、そこに性という要素は介入しない。ジェンダーはクラスメイト、母親、幼馴染という存在によって、外部的に規定される。
蒼井咲
明るい性格で人気があり、先輩(しかも同性だと思っていた)の花岡まことに告白するという、大胆な行動力も持ち合わせている。しかし、いつも周りに合わせてしまい、家族にさえ自分の心の内を明かすことができない。いわゆる「過剰適応」である。
冒頭の告白シーンからもわかる通り、彼女の恋愛において性別は問題とならない。そうした意味では、彼女はバイセクシャルであると言うこともできるが、自分にとって「特別」な存在に出会いたいという彼女の思いを考えると、「性別は関係ない」と捉えるのが正しいだろう。
「どんな人も恋愛対象に含むことができる」この点において、彼女は性の問題から解放されている唯一の登場人物だ。
大我竜二
花岡まことの幼馴染。彼女にひそかな恋愛感情を持っているが、同時にその気持ちに疑問を持っている。基本的に優等生キャラである彼は、同性の幼馴染が好きだという感情をなかなか肯定できない。
ストーリーが進むにつれ、徐々に自分の気持ちに正直になるが、やはり男同士の恋愛は普通じゃないと感じている。そのため、付き合えたのにも関わらず、どこか違和感や劣等感を持っている。
第35話にある、「りゅーじが女の子ならオムコに来てもらうのに!」という母の発言は、彼が抱える問題の根幹が性別にあるという事実をよく表している。作中で素直な恋愛感情を持っているのは、実は彼1人だ。
作中における2vs1の構図
恋愛感情
女性的な感覚を持つ主人公と咲は、「好き」という言葉を広い意味で使う。冒頭の告白シーンも、恋愛的な好きではなく、「この人なら自分を救ってくれるのでは」という思いから来るものだった。
まことも、自分が男性らしく生きていくために、咲に「付き合ってくれないかな?」と告白する。この告白が本心でないことは、「感謝しているけれど好きではない」と、のちに発言していることからわかる。
第4巻の最後で、まことは竜二の気持ちを受け入れ「りゅーじ、僕と付き合おう」と持ちかけるが、これも恋愛感情というよりかは、大切な友達を失いたくないという気持ちによるものだ。
一方で、竜二の主人公に対する「好き」という気持ちは一貫している。彼の告白に打算的な部分は一切なく、まことに対してまっすぐな気持ちを向けつづけている。自分を救ってほしいから、関係を崩したくないから告白するのではない。まことと付き合いたいから告白するのだ。
過剰適応
咲が過剰適応であることはすでに述べたが、まことにも同じような部分がある。それは竜二の気持ちを受け入れるシーンと、母親に女装していることを隠しているという部分に表れている。
(恋人として)好きではないのに幼馴染に告白する、母親を悲しませないために家では男でいるというように、彼女は自分の気持ちより周りを優先することが多い。これも典型的な「過剰適応」の症状だ。
それに比べ、竜二は友達にも恋愛にも、素直な気持ちを持っている。
愛着障害
咲の両親は幼い頃に離婚したため、彼女は長らく母親と会っていない。肝心の父親も、クジラの研究をするために海外で生活しており、たまにしか日本に帰ってこない。娘への愛情はあるが、それは明確にクジラより劣っている。
そのため、咲は小さいときから祖母と暮らしてきた。両親の愛情を十分に受けていないというハンデは大きく、彼女は自分が真に愛せる人も、愛してくれる人も見つけることができない。
誰とでも「上手に」関われてしまう彼女が、真の愛情を手に入れるためには恋愛をするしかない。他の2人と比べて性に関する悩みがない分、彼女はパーソナリティに重大な欠陥を抱えている。
分析を終えて
この漫画は単に性の問題を扱うにとどまらず、愛情やパーソナリティの問題についても触れていることが分析からわかります。誰にでも明るく接し、多くの友達がいるにも関わらず、いつまでたっても満たされない咲の姿は、SNS時代に苦しむ若者の姿そのものです。
LGBT的なテーマを扱った作品ですが、それを過剰に意識させるような演出はほとんどありません。女装するということも、同性の幼馴染に恋をするということも、あくまで個人の好みであり、自然な感情として描かれています。
これは、古くから女装(もしくは男装)や同性愛を受け入れていた日本だからこそできる表現だと私は考えています(鳴海丈(2009)『「萌え」の起源』、PHP研究所)。これがアメリカなどで作られていれば、もっとジェンダーの部分を強調し、いわゆる「ポリコレ」に配慮した作品となっていたでしょう。
そうした表現をせずに、かわいいものが好き、幼馴染に親友以上の感情を抱いてしまうといった描き方をすることで、かえって作品にリアリティを持たせることができています。
今後の展開と注目するべきポイント
4巻の冒頭で、咲はまことのことを諦める決意をしました。まことも咲に恋愛感情を持っておらず、幼馴染の竜二と付き合うことを選びました。しかし、それは友達関係を壊したくないからであって、竜二のことを愛しているからではありません。
互いに愛し合っていない咲とまことの関係性は、5巻のラストで大きく変わります。咲が抱えている悲しみを知ったまことは、彼女を救いたい思いから咲を抱きしめ、「ずっと…僕が一緒にいるから」と約束します。
2人の間に愛情はありませんでしたが、このことをきっかけにして、後発的に愛が生まれる可能性が出てきました。いっぽう、竜二は付き合っていても実質的には片思いであり、2人が抱き合っている場面を見たせいでより自信を無くしてしまいます。
この物語は3人の恋愛模様を描いたストーリーでありながら、同時にその裏にある社会との相克を描いています。男性・女性という旧来のジェンダー観が、いかに彼らの心に影響を及ぼしているか、そしてそれを乗り越えられるかどうかが、今後の注目ポイントの1つとなります。
また、恋愛の中に救いや愛情を求める咲と、純粋な愛を求める竜二との対立も、物語の核となっていくでしょう。