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ぼっちぼろまる的ニヒリズム「タンタカタンタンタンタンメン」編

前回に引き続き、ぼっちぼろまるの楽曲について、考察を行っていく。

すごいファンタジーと、平凡な日常

↓前回の記事↓

「おとせサンダー」では、稲妻に打たれて生き返ったのにも関わらず、平凡な恋をする主人公の物語が描かれていた。

少年漫画的なファンタジーと、冴えない日常生活との対比に、彼の楽曲の魅力があるわけだが、今回紹介する曲も、違う形でその魅力が表れている。

見守るだけの主人公

この曲のストーリーを簡単に説明すると、退屈な人生を送る主人公のもとに、世界を掬いに来た未来人で、語尾に”アル”がつくという、いかにもな設定の少女が訪れる。

出会ってからしばらく一緒に過ごし、いい感じの関係性になったところに、とつぜん巨大な宇宙人が現れる。

すると、その子が急に空を飛び、超能力で宇宙人をあっという間に倒してしまう。主人公は、ただその様子を見守っていただけだったが、「君と一緒に世界を救いたいな」とつぶやき、ハッピーエンドとなる。

今回も、未来からやってきたチャイニーズガールという、非常に少年漫画的なファンタジーが冒頭に登場する。

「おとせサンダー」では、最初は役に立たなかった稲妻が、ピンチの時に力を発揮したことで、ヒロインを救うことができた。しかし、「タンタカタンタンタンタンメン」の主人公は、最後まで何も特別なことをしない。

この手のストーリーでは、主人公は『パーマン』のように、何かしら特別な力を与えられ、一緒になって戦うか、『魔人探偵脳嚙ネウロ』のように、サポート役にまわるのが定番である。


補足
『パーマン』(藤子不二雄)では、バードマンという先輩ヒーローにスカウトされた主人公が、パーマンとなって悪者と戦い、最終的には宇宙の平和を守ることになる。

『魔人探偵脳嚙ネウロ』(松井優征)では、「謎」を食糧とする魔人、脳嚙ネウロのために、主人公の桂木弥子が、探偵役(ネウロの超能力がバレないようにするための代理人)として、いくつもの事件を解決していく。


しかし、この主人公は文字通り何もしない。

いちおう、仲良くなろうとしている感じはあるが、精神的なサポートというより、一方的に追いかけているだけに見える。やはりこの作品も、そうした定番の設定からは意図的にずらされていることが、全体のストーリーから読み取れる。

冴えない日常

それでは、実際に歌詞の内容を見ていこう。

世界の滅亡のニュースがチャンスだ
あの娘の街まで飛んでいく
予定調和のハッピーエンド
そんな妄想とYシャツとわたし

ちょっとやそっとの案件では
学校も休みにならないし
いっそデスゲーム始まらないかな

「おとせサンダー」でもそうだったが、彼は情景を短い文章でポップにまとめるのが本当に上手い。この歌詞だけで、主人公が冴えない学生(おそらく中学生ぐらい)であることが、すぐにわかる。

「いっそデスゲーム始まらないかな」という歌詞は、「もしも学校にテロリストが来たら・・・」というよくある妄想の、現代版みたいな感じだろう。なんとなく、『神さまの言うとおり』のオマージュを思わせる。

一応説明しておくと、『神様の言うとおり』は、主人公が通う高校である日唐突にデスゲームが始まる、という物語だ。おそらく、最近よく見る「デスゲーム系」の起源になった作品である。

主人公=リスナー?

ドラマも歌もフィクションと
感づいてもう だいぶたった
そんな時におでました
語尾にアルがつく女の子

チャイニーズガールは雲の上から
落っこちてきた未来人だ
超能力者の末裔で
今、歴史を変えにきた

未来がどんな世紀末か
僕には関係ないけれど
君と一緒に世界を救いたいな

「ドラマも歌もフィクションと 感づいてもう だいぶたった」という歌詞は、中学生にしては少々達観しすぎである。まだ10代そこそこなのに、「だいぶたった」というのも少しおかしい。

私の考えだが、この部分は主人公のモンタージュではなく、曲を聴いている私たちが、自分の人生と重ね合わせ、主人公に感情移入するための歌詞ではないだろうか。

その後、主人公のもとに未来人が降ってくるわけだが、それに対する彼の反応が描かれているのが、最後の部分である。

「未来がどんな世紀末か 僕には関係ないけれど 君と一緒に世界を救いたいな」

主人公は世界を救いたい、という大きな野望は持っていないが、君と一緒ならやってみてもいいかな、ぐらいの気持ちは持っている。

「やるしかねぇ!」みたいな感じではなく、「できればやりたいな」という気持ちは、少年漫画的ではないが、すごくリアルな感じがする。ただ、もう少し頑張れよ、という気持ちはぬぐえない。

「学校が休み」ならなんでもOK

彼女は言った 近い将来に
キモい宇宙人が攻めてくる
あとモンスターも生まれる
人間はシェルターに隠れる

そんな未来なら大歓迎
学校もきっと休みだしさ
もっと色んな話を聞かせてよ

キモい宇宙人が攻めてきて、モンスターが生まれ、人間はシェルターに追い込まれる。

そんな絶望的な未来を、主人公は「学校が休みになるから大歓迎」というひとことで片づける。

この曲のリメイクである「シン・タンタカタンタンタンタンメン」では、このセリフを発した主人公が、未来人の女の子に怒られてビンタされていた。

しかし、この軽さというか、「退屈な日常が変わるならなんでもいい」という素直な感情は、現代社会で生きる多くの人が、なんとなく抱いているのではないだろうか。

少年漫画で描かれるような大事件を、「そんな未来なら大歓迎 学校もきっと休みだしさ」と笑い飛ばすようなこの歌詞は、聴いていて最高に気持ちがいい。

メタ視点に立つ主人公

お腹がすく 外に出る
食べたいもの考える
百発百中 君が笑う
魔法の呪文はタンタンメン

チャイニーズガールの故郷は
この激辛担々麺の街らしい
本場の人には合わないかも
否、意外と悪くない

いつかはきっと君の街で
本格的なの食べて笑う
そんな未来はまあまあ悪くないな

担々麺が好きなチャイニーズガール・・・少し違和感を覚えてしまうほど、徹底的にひねりのない設定だ。

彼女が好きな食べ物を担々麺と予想し、それを「百発百中」と言う主人公は、ある意味で漫画の世界をメタ的に捉えている。

そして、彼女と一緒に担々麺を食べる未来を夢想し、「そんな未来はまあまあ悪くないな」と形容している。

彼女のため、何か頑張っているわけでもないのに、当然のように隣で過ごす未来を想像できる主人公は、何も考えていないか、神経が図太いかのどちらかだろう。

もしかすると、自分が物語の主人公であることを、直感しているのかもしれない。だからこそ、彼女と過ごす未来が確定的であると、堂々と言えるのだ。

スピード感のある展開

過ごした季節も多くなる
奮発したペアチケット
そのタイミングですごい音
マジで現れた宇宙人

チャイニーズガールは雲の上

チャイニーズガールは空を飛ぶ
そして高速移動で弾避けて
サイコキネシスで敵を討つ
5分経たずに終わらせた

この先どんなモンスターが
現れるのか知らないけど
君と一緒に世界を救いたいな

長い時間を一緒に過ごし、彼女をデートに誘おうとペアチケットを渡す瞬間に、宇宙人がやってくる。

この、見計らったかのようなタイミングの良さも、少年漫画あるあるだ(当人たちにとっては良いかもしれないが、ファンタジーアクションで、延々と遊園地のシーンを見せられる苦痛を考えてみてほしい)。

そして、彼女は空を飛び、サイコキネシスを使って、なんと5分で敵を片づけてしまう。曲という限られた時間があるから、というのもあるが、ぼっちぼろまるのストーリーは、全体的に展開が速い。

前回紹介した、「稲妻にうたれました 死にましたそして蘇りました」という歌詞も、かなりのスピード感がある。

願望、またしても

その様子を見た主人公は、「君と一緒に世界を救いたいな」と思う。

またしても、断定形ではなく単なる願望だ。

全体を通して、主人公は何かを決めることはせず、ただ周りで起きる出来事を見て、その感想を言うだけである。彼は、物語内の登場人物であるのにも関わらず、どこか観客のような振る舞いをしている。

成長しない主人公

最初の歌詞では、「世界の滅亡のニュースがチャンスだ あの娘の街まで飛んでいく 予定調和のハッピーエンド」という、自分がヒーローになるストーリーを夢想していたのにも関わらず、あっさりと脇役のポジションを受け入れている。

少しもどって確認してほしいのだが、「君と一緒に世界を救いたいな」というセリフは、実は彼女に出会ったシーンでも登場している。

つまり、彼女との出会いの前後で、主人公は全く成長していないのだ。

この曲のストーリーでは、少年漫画的なファンタジーは主人公の成長に関わらないばかりか、彼の向上を永遠に妨げてしまった。

チャイニーズガールがあまりにも強すぎるため、主人公は彼女を助けることも、彼女に並び立つことも諦めてしまう。

こうした意味で、彼の少年漫画に対する皮肉は、「タンタカタンタンタンタンメン」のほうが、はるかに強烈だ。

『ドラえもん』に登場するのび太ですら、時には自分の力で頑張るのに、この曲の主人公は頼りきりになっている。

スクラップアンドビルド

漫画を読んでいると、「俺にもこんなスーパーパワーがあれば・・・」と思ったりするが、彼の楽曲は、そうした幻想を容赦なく打ち砕く。

「おとせサンダー」は、自分の力を使うと決意したことで、希望が残る終わり方となったが、今回の作品は、主人公が活躍する未来を、どう頑張っても創造することができない。

しかし、「ぼっちぼろまる」の技術とセンスのおかげで、この曲は絶望的ではなく、むしろ楽しく希望のある雰囲気になっている。彼の曲には、明るさの中に、巧妙に毒が埋め込まれているのだ。

少年漫画的なファンタジーが起こった世界のストーリーを、さらにメタ的に見ることで、私たちは幻想から脱却しなければならない。

それこそが、彼のメッセージであり、ニヒリズムを克服するための処方箋である。


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