孤独と一般受け。
どこをみても一般受けのいい、キャッチ―なイベントや事業がもりだくさん。
おもい迷い、ちょこちょこ関心のあるものに参加してみる。
内容は悪くないのに、一抹の寂しさを感じることが増える。
自分の感覚がおかしいの?
みんなはコレでよしとしてるの?称賛に値する感じの、そしてこれに費用が発生する感じの内容なの?
って、意地悪くじゃなくて、マウンティングでもなくて、すなおな感想としてそう思ってしまう。
たとえば100人が参加するようなオンライン講座。
全部講師にいくわけじゃないにしろ、まあ、それを企画した人たちにも含めてだけど、参加費が3000円だったら、30万なわけで。
それで浅いものだったら、なんでもっと深い役立つ話する、めっちゃ経験値もってるパートのおばさんとかに登壇してもらえないんだ?というふうに思ってしまう。
うえに立つというか、起業とか、企画、とかそういうの思いつく層だけでおさまっている知識の共有。
そしてそこが到達点(一番うえ)だと思っているから、ひとに教える、という名目の「講座」や「セミナー」が生まれるわけだけど、〇〇教授、とか〇〇会社社長、って肩書きなくて、労働収入で生活しているひとのほうが、ニーズに詳しく伝わる学びのもとを持っているのに、この朝さに収益がはいっていくのか!って思うとイライラするの、自分だけ?って思って孤独に陥る。
いや、もっとめぐるところにめぐって、本質が大事にされる社会になってほしいって思うだけ。
だれでも、講師がしやすくなったオンラインの発展で、すこしだけそっちの方向に動いているような、質がちゃんと精査されつつある(顧客に)ような、そんな期待もあるのだけど。
こんなときはこれを読んだりして、これでいいのだ、と自分に言い聞かせます。