見出し画像

___3月。

外は少しずつ暖かくなり
葉は頬を赤らめ、小さな蕾をつくっている。

ここ最近、私は
ずっと命について考えている。

今のお仕事も直接的ではないが
命を守る仕事に他ならない。

最近も職場で3.11について上司と話していた。
上司のご家族も震災被害に遭われたという。

話を聞いているだけでもそれを想像しては
想像を絶するほどだった。

被災された方々の心の痛みなど、容易にわかるものではないし、簡単に言っていいはずもなければ、その痛みなど計り知れない。

そんな最中で、昨日の夜の東北地震。

友人と暮らしている東京の家も
大きく、それは長く揺れ、酔いそうなほどだった。
焦る友人を落ち着かせてスマホを準備し靴下を履き、何を持って逃げるべきかなど頭をフル回転させた。
怖さもあったが今はその怖さに私は気づいてはいけないと思ったし、冷静に、落ち着けと自分に言い聞かせていた。でも、私の口からは「お願い、おさまって、」と、零れていた。


東京ですら震度4。
東京の方にもいつ大きな地震が来てもおかしくない。もはや、日本中どこにいても、いつ誰が巻き込まれるかなんてわからない。

そんな中で私たちは、生きている。
いつだって危険と隣り合わせで生きている。

「当たり前なんて一瞬でなくなる」

そう思った。

私の友人にも、知り合いにも11年前のあの震災で被災された方がたくさんいる。
去年もこの時期に東北で地震が起きたとき、わたしはその子の近くにいた。

東北にいる家族と連絡をとると席を外した彼女は、席に戻ってきたとき泣き崩れてパニック状態になっていた。

「お母さんが…!お母さんが、」と。

私は何もできなかった。
どうしてあげればいいのかもわからなかった。
その時は近くにいた彼女のパートナーが彼女の肩を抱えて彼女を抱きしめていた。
大丈夫、大丈夫だから、と。

その時は、彼女のご家族も無事で、彼女も次の日には落ち着いていた。
ただ、その日大阪にいた私たちは、彼女もまたその日母親の言い分を押し切って出てきたという。
だからこそ、自分のせいで、と思ってしまったという。

私は、つねに大切な人を守れるように、大切な人よりも少しだけ強くありたいと思っている。
それは精神的な部分でもそうだし、物理的なところでもなのかもしれない。

でもきっと、誰かを守るなんて、そんな簡単なことじゃなくて それなりの覚悟がなければいけなくて。
それが身近に起こった時、わたしは誰かを守れるのかと聞かれると即答する自信がない。
自分の命を投げ捨ててまで誰かの命を生かすこと、簡単に出来ることじゃない。

誰かの力になりたいと思っている。

伝えなければ。
生きているうちにやりたいこと
全部やらなければ。

いつ明日がこなくなるか
いつ今日が終わるかわからない。

私も、君も後悔しないように。

誰かのせいにすることなく
真っ直ぐに、強く生きていく。

バスに揺られながら
ふと、そんなことを思った日。


2022.03.17

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?