意識高い系との決別
note に限らず、SNS を日々やっていると、いわゆる「意識高い系」の投稿を目にする機会が多い。
自分はこんなことやってます!っていう投稿が、名前が、ただただ鬱陶しいしめんどくさい。
基本的に、そういう発信をしている人のほとんどが、その親玉みたいな人からやるように言われてやっていることを、僕は知っている。
自己のブランディングの一環として、意識高い系の投稿を並べて、いかに自分の付き合うのが得かをプレゼンしているのである。
虚飾にまみれた「心地よい」言葉の羅列
自分は、はしくれながらWeb系のマーケターであるが、その視点から見て、その投稿が間違っているとは思わない。
その内容が、いかにみんな似通っていても、だ。
SNS をビジネスの媒体として使う以上は、SNS が自身の紹介サイトのようなものであって、
この人がどういう人で、どういう考えで日々過ごし、仕事に向き合っているのかを紹介してくれるという意味では、意味があるんだろう。
でも、ほとんどの投稿が、なぜだか痛々しいのだ。
前向きな言葉に、心地よい言葉遣いに、強烈な違和感を感じるのだ。
多分、本心でない、もしくは本人のそのままの言葉ではないんだろう。
まるで AI に作らせたかのような、お決まりの内容ばかりだ。
それで仕事をもらったとして、その人はそれで幸せなんだろうか。
稼げれば、それで幸せなんだろうか。
ユーザーの二極化
SNS では、完全にユーザーは二極化している。
「自分」をできるだけ飾らずに出していく人と、「自分」をできるだけ飾りたい人。
Twitter や Instagram でも、時々キラキラ感を出すために、無理してブランド物や海外のリゾート地を見せたりする人がいるようですけど。
これは、完全に「自分」を虚飾して、偽りの自分を見せたいだけ。
それがビジネスにつながっている人も中にはいて、そこまで突き通したのは立派だと思う反面、むなしさを覚えるのは僕だけだろうか。
SNS マーケティングをするときも、本来は飾らずに自分を出している人をターゲットにしたいのだ。そういう人たちのほうが「ニーズ」がわかりやすくて、それゆえに反応も素直だ。
一定数紛れ込んでいる虚飾組(とその取り巻き)は、「本心(本当のニーズ)」がわかりにくいので、個人的には非常に邪魔で。
インフルエンサーマーケティングとか、まさにそれを逆手にとって、虚飾組に依頼して取り巻きをだますようなものなんで、個人的に大っ嫌いです。
本音の問題点もあるんだよね
とはいえ、基本的には匿名のネット世界で、本音をぶつけだすと、一歩間違えれば、テラスハウスの件とかみたいに、誹謗中傷があふれることになるかもしれない。
基本的には人間には「承認欲求」があるので、明らかに「正義」だと自分が思っていることが歪められたり壊されると、猛烈に苛立ちを覚えるのだ。
だから、「本音」であれば何でもよいわけではなく、ある程度は読む人のことを考えた投稿が必要で。
・・・これって、若干は虚飾しろってことじゃないか? って思う。
note がそれなりに心地よい理由
まだ数回しか投稿していないが、 note は基本的には自分の意見や考えを書く場であって、それを読むかどうかは自由だ。
Twitter や Facebook のようにタイムラインにほぼ全文が読める形で勝手に流れてくることがないので、「受動的」な被害を受けることがない。
読んでしまって傷ついたり、いやな気持ちになったりしても、それはあくまで「能動的」な行動に基づいた被害なので、ちょっと救いがあるというか。
この note では、基本的に自分が普段思うがままのことを書いていて、誰にも言ったことがないことばかり書けているのは、そういう雰囲気が良いんだろうと思う。
で、何が言いたかったかというと
なんちゃらコンサルとか、なんちゃらカウンセラーとか、なんちゃら投資家とか、なんちゃらアドバイザーとか…
ちょくちょく「スキ」いただくんですけど、目的が何なのかわからないんで戸惑うんですよねー。
実はこういった肩書名乗ってるけど、でもその気持ちわかるわー共感するわー、ってことなのか、
自分だったらこうやって乗り越えてきたよ(キラン)
自分がアドバイス出来たら、もっと楽になれると思うんだ(キラリン)
みたいなことだったら、本当にやめてほしい。
表のキラキラアカウントで、裏をさらけだしているアカウントを、覗きに来るのはまだよいとして、痕跡を残さないでほしい。
…って感じてしまう僕は、もしかしたら SNS のは向いていないのかもしれない。