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好きになることって、必要ですか

昨日の記事に40近いスキがついていた。
ほんとうにありがたいです、こんなつれづれなるままに書いているのに。

そこでふと、思い出したことがあって、今日はそれを書きたいと思う。

昔からそうだった

小さい頃は、親の愛情のもとで育って、外で友達と遊んで、それで十分だったはずだ。

もちろん、親の愛情を十分に与えられなかったり、友達にいじめられたりすることもあるだろう。
それでも、基本的には「周りからの愛情」「友達との友情」が大きな柱であることは間違いない。

それがいつからか、「恋愛」というものが登場して、誰が好きだとか、そういう話が出てくる。
本当の自分を見せられるのは恋人だけ、自分を本当に理解してくれるのは恋人だけ、恋人との時間を一番に考える…

今までであれば、親や友達に相談していたことも、恋人に相談するようになる(らしい)。
そして、その関係が壊れるたびに、落ち込んだり人間不信になったり。

それを繰り返して、人は成長するのだという。成長するらしい。

身体の関係もあるようで

女子は小学生のうちから、男子も中学生くらいになると、どのアイドルが好きだとか、何年何組のだれだれがかっこいい/かわいい、とか、そういう話ばかりになる。

修学旅行の夜の話の定番が「誰が好き?」であるように、この年代はほとんどこういうことしか頭にない。

第二次性徴のタイミングとも重なり、性的にも魅力に感じるんだろう。
男子でいうと、「おっぱい揉みてえ」「エッチしてぇ」ってやつですね。

こういうのを見ていると、体の成長はみな平等であって、そういうところをトリガーにして、恋愛感情を持つのが普通らしい。
そういう感情を持たないということは、普通ではないってことなんだろう。

性欲はあるし、もし相手がいたら、たぶんベイビーちゃんを授かろうと思えば授かれる機能は持っている(はず)。
でも、恋愛関係を経てそういう行為に及ぶことが想像つかないし、そもそも好きとか愛しているの感情が全くないから、そこまでの過程を消化できないのだ。

恋愛は普遍的なものか

巷では、恋愛ソングが圧倒的に多い。その次に多いのが、恋愛に限らず愛をうたったものだ。

想像で、こういう感情なんだろうな、とか、こう思うんだろうな、というのはわかる。だから聞ける。
でも、自分に経験もなければ、どういう感情なのかの根本がわからないから、すべてが薄く浅く感じてしまう。

映画だってそうだ。ドラマだってそう。人っていうのは、そんなに他人のことを信頼したり、好きになったりするものなのか。
こんなにも、無償の愛というものが世の中には多く存在しているのか。

人のことを好きになれない主人公が、最終回では誰かのことを大好きになってハッピーエンド。そんなのばっかり。
その歳まで好きになったことがない人が、いきなり人を好きになるかよ。

そう毒づきながら、なんともむなしい気持ちになる。

どうも、自分は相当にレアみたいだ。

恋愛至上主義の枠外で生きる

新卒のころ、上司と電車とかで移動中によく聞かれたのは、彼女についてや恋愛についての話だった。
おそらく、こういう話題は普遍的かつ当たり障りがなく、歳の上下に関わらず話せる話題なのだろう、普通は。

飲みの席でも、女の話と風俗の話は鉄板だ。
単純といえば単純だが、おそらく男としての数少ない共通の話題なんだろう。

そういうものに全く興味がない中で、適当に話を盛り、でっち上げて過ごすのは、本当に大変だ。
自分は全く違和感がないが、そういうものに興味を示さないと、イコール「ホモ」という烙印を押されてしまう。

そもそも、同性愛者に対して失礼極まりないのだけれど、そういう無意識の「共通意識」によって、男同士の繋がりは生まれているように感じる。
LGBTQの話の時に、無条件に嫌悪感を示す人は、おそらくこれを侵害されることを無意識に嫌がっているのだと思う。

流行りものについて話すとか、趣味について話すとか、そういうものでも友達関係はできると思うけれど、無意識の中で結ばれた絆というのは、それよりも圧倒的に固い。

だから、男女の恋愛関係と体の関係の話は、結びつきをより強める。
それが全くない僕にとっては、人との関係を結ぶ大きな武器を持っていないのだ。

だから、「友達」っていうものがあんまりできない。
誰もがやっているように、時々連絡とって、集まって、どっか遊びに行ったり、どっか食べに行ったり。

時には悩み相談しながら、時にはともに喜びあいながら。
そういう関係の人はほぼいないに等しい。

これが、恋愛至上主義の枠外に生きるってことなんだろう。

ゴールは結婚?子供?家庭を持つこと?

自分はいま36歳。
まわりもほとんどが落ち着いてきた。

結婚したり子供が生まれたり、と家庭を持っていて。
その家庭を支えていることに「男の甲斐性」を感じていたりして。

そこに「責任」が生まれるらしい。
だから、それができないひとには、人間的に何か欠陥があると思われる。

そんなの一昔前の話と思われるかもしれないが、やはり結婚もできない男に対しての風当たりは今も決して弱くはない。

みんな、学生のころから恋愛についての訓練をして、大人になって、この人なら信頼できる、という人を見つけて結婚する、というのが正規ルート。

そのルートに違和感を持っている人は少ないし、自分もその正規ルートに乗っていると信じて疑わない。

何のために生きているのか

あなたの一日の生活から、「恋愛」「男女」に関わるものをすべてなくして生活してみてほしい。

恋愛をうたう音楽も、恋愛ドラマも、愛を語る映画も、雑誌のモテ特集も、アイドルも、全部の意味を理解できない世界。

発狂するくらいつまらないでしょ。

僕は、その発狂の中を今日も生きている。

常識の外で生きていくということ

別に世の中が悪いとか、マイノリティーを庇護してくれとか、そんなことこれっぽっちも思っていない。

僕はただ、自分が生きづらいことを自分で肯定しようと試みているだけ。
その原因を紐解いていく中の一項目にすぎない。

ADHD的気質やHSP的気質、そしてこういったものも含め、世の中の「普通」を追いかけても、追いつけないことだけはわかっている。

その自分を認めてくれるのは、自分しかいない。
「常識」の中にいる人にいくら話しても、わかってはもらえないのだから。

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