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「一夫一妻」について
一夫一妻制を採用している理由とその影響を考えます。
資本主義に従えば、資金のある人による一夫多妻や一妻多夫となる可能性があります。また多夫多妻も考えられるでしょう。
それにも関わらず日本は一夫一妻を前提としています。なぜでしょうか。
1. 一夫多妻 vs 一妻多夫
まず一夫多妻と一妻多夫について考えます。
一夫多妻はともかく、一妻多夫を聞くことはそう多くありません。
鳥類のレンカクなどは一妻多夫であることが知られており、人でもそういう例が一部で見られるそうです(wikipediaより)。
一夫多妻と一妻多夫の2つの制度のどちらかであれば、現代の日本に適しているのは一夫多妻かもしれません。
現在のヒトの性質として、1個体が同時に複数個体を育児することはできても、1個体が同時に妊娠できる胎児はせいぜい2個体であり制限があります。また男性も育児することはあっても、妊娠を代替することはできません。
そのため、妊娠という十月十日かかる律速段階の速度を上げる一夫多妻の方が、より再生産が行われやすいように思えます(女性と男性を、再生産のためのシステムのように扱っている文章となってしまいました。不快にさせた方にはお詫び申し上げます)。
現代の日本は裕福になっており、生存のために子供への資源を一部に集中させるような状況になっていません。そのため一夫多妻の方が再生産という面では優れているでしょう。
思いつきですが、前述した一妻多夫を採用している生き物や集団は、律速段階が異なっているのかもしれません。
胎生の生き物より卵生の生き物の方が胎児を体内に宿す期間が短く律速となりにくいでしょう。また現代の日本のように裕福でなければ、生まれてきた子供を全て育てることができず子供をまびくことになり、育児できる数に制限がつく。つまり育児が律速となる可能性があります。
上記の理由などから、一妻多夫を採用している集団があると考えました。
おまけですがレンカクはオスが抱卵するみたいですね。メスは卵を産んで、かつ抱卵すると、より長い期間が律速段階となってしまうために、メスとオスで分業するようになったのかもしれません。一生に1,2回しか出産しないのであれば、メスが出産と抱卵を共に行っても良いのかもしれませんが、メスが一生もしくは一シーズンに出産を繰り返すのでれば、この戦略が再生産に有利なるのかもしれません。またオスメス比も関連がありそうです。
2. 一夫多妻 vs 一夫一妻
続いて一夫多妻と一夫一妻を比較します。
一夫一妻以外を採用するということは、異性という資源が一部の人に集中するということになります。
一夫多妻のゴリラなどはその不均等を許容して、一夫多妻となっているのでしょう。
現代でも一夫多妻となると、子孫を残せない男性が大多数となります。ゴリラのように子孫を残せない男性がそれぞれ単独で暮らしている、あるいは早めに亡くなるのであれば、それらの男性が与える影響は大きくないでしょう。
しかし、裕福な現代の日本では全ての男性が生殖能力を保持したまま生存することが可能になっています。またその密度や社会性も他の生物と比較して桁違いであることから、子孫を残せない男性が群れを作り、異性を独占する男性に対する脅威となることが十分に考えられます。
だからこそ、一夫一妻になっているのかもしれません。
さらに一夫多妻のゴリラでは、オスが群れを乗っ取り子殺しをすることもあるようです。これも、もともと異性を獲得できていなかったオスによる革命であり、現代の人は恐らくこのような行いを許容できない以上、一夫多妻になることはないでしょう。
3. 完全な一夫一妻
多くの集団でオスよりメスの方が育児や授乳をするようになっているのは、メスが子供もしくは卵を産むため、より子供を自身の血を引いた個体であると確信できる、つまり子供との血縁度がより高いからでしょう。
そして完全な一夫一妻であれば、父親と母親は生まれてきた個体が自身の子であると同等に確信できるはずです。
しかし実際は完全な一夫一妻は実現しておらず、現代の日本でも父親より母親の方が育児をおこなっています。
もし男女平等を進めるのであれば、一夫多妻もしくは一妻多夫を採用するのは論外です。一夫一妻を採用するしかありません。
しかし男女平等を完全なものにするのであれば、一夫一妻も完全を目指し、男女が同等に育児を行うようにするべきです。
私は完全な男女平等を目指すという理念には共感するので、男性も育休をとって女性と同等に育児をする社会になればなー、と考えていたりします。
しかし男女が同等に育児をするためには障壁が多くあります。
最も重要な障壁ではないかもしれないですが、不倫も障壁になり得ます。
女性が産む子供は必ず血縁度1/2ですが、不倫がある限り男性の血縁度が1/2になることはありません。だからこそ、完全な男女平等を目指すのであれば、親子のDNA検査は必須のものとなるはずです。
あとがき
また政治的な記事を書いてしまいました。
メディアについて政治性を持っていいというのが持論です。
政治性を持たないことは不可能だと考えているからです。
もしかしたら、政治性から逃れられないからこそ政治性を無くす努力をすべきなのかもしれませんが、私は直感的に(つまり明示できる根拠なしに)政治性を持ったメディアの存在を肯定しています。
またこの政治性についても考えた方がいいかもしれません。
あとあとがき
毎回書きたいテーマを決めて、書きながら内容を膨らませているのですが、我ながら妊娠と育児の律速の概念はよくできている気がします。このような概念を思いつけるのも意図的に言葉にしたからかもしれません。ただ後半は尻すぼみになってしまいました、反省。
あとこの記事では多夫多妻を採用していない理由には触れませんでした。ボノボは多夫多妻で子殺しがないみたいな記事を見たことがあります。でも秩序だったルールを尊ぶ現代社会では流石に多夫多妻は無秩序すぎるのかもしれません。あと人は避妊できるせいで、多夫多妻という制度は一夫多妻にしようとする個体に対して脆弱なのかもしれません。
今ちょうど出てきましたが、避妊も現代の人の特性として考慮すべきだったかもしれませんね。