ポンコツの僕がツイ廃を辞められた訳
僕は今年の2月までめちゃくちゃツイッターをしていた
僕はアカウントに鍵をかけていて、FFは地元の知人のみで大体50人ぐらいだった
「バおわ」とかクソどうでもいいことをツイートすることもあれば、唐突に「うんこ」とツイートすることもあった
精神的にしんどい時はメンヘラツイートもした
鍵垢で見られる人が限られており、外部から晒し上げにされることが無いので、様々なものに誹謗中傷もしていた(この記事を見た人は今後、誹謗中傷は辞めてね。お兄さんとの約束だぞ!)
フォロワーの反応はというと、リアルに対面した時に「あのツイート面白かった」「朝ツイッターを開くと、お前のツイートばっかり笑」といったものであり、異性からは「(頭)大丈夫?」と心配されることもあった
しかし、ツイッター上での反応はほぼ無かった
鍵垢なのでRTはできないのだが、「いいね!」はたまに1つや2つもらえる程度であった
それでも僕は自分が思ったこと、感じたことを棘のある言葉に変換してツイートを続けた
それが面白いと思っていた
僕は大学の四年間をツイートすることに費やしたといっても過言では無い
そんな僕が今年の2月にツイ廃を卒業し、3月にはそれらの「思い出」を全て削除したのである(復元もできなくした)
僕がアカウントを削除する引き金となった出来事が2つある
まず、1つは「あるツイート」をみたことだ
ツイッターには検索機能が存在し、僕は多用していた
この機能はめちゃくちゃ便利だと感じており、情報の信憑性についてはやや不安な面があるが、情報の新鮮さはピカイチだ
リアルタイムで様々な情報が転がっている
転がっているツイートからそのツイートした人のアカウントにアクセスし、プロフィールや過去のツイート、その人が「いいね!」したツイートなども見ることができる
僕は上記のようなことをして、面白いツイートをしていた人の「いいね!」の欄を見た
その中の1つにこんなツイートがあった
「いつまでたっても自分の思ったことをそのままツイートしていたら、周りに人がいなくなる」
一言一句あってはいないと思うが、このような内容であった
僕はこのツイートを見たとき、自分の状況と比較した
今はフォロワーである地元の知人たちは仲良くしてくれているが、このまま20代後半、30代となった時に僕がこのままツイートを続けていると想像してみると、僕の周りには誰もいなかった
今までのツイートをなかったことにはできないが、このままではいけないと思い、ツイートすることを辞めた
そして3月初旬、僕は高校の友人5人を飲みに誘った(自粛ムード前です!)
誘った5人は全員二つ返事で来てくれた
なんでもないようなことに思えるかもしれないが、僕はこれがめちゃくちゃ嬉しかったのである
「僕には普段連絡を取り合っていなくても、飲みに誘ったらOKしてくれる友人がいる」という事実に僕は感動した
「インスタやツイッターのリア充投稿がなんだ、僕には普段連絡を取り合っていなくても、飲みに誘ったらOKしてくれる友人がいるんだぞ」と自信を与えた(嫉妬半分)
この出来事がきっかけで僕は自らの日常を晒すことを辞めるだけだなく、友人の日常をみることも辞めた
だって日常を知ってしまったら、たまにしか会えないのに話の幅が狭まるではないか
まあ、僕たちは昔話に花を咲かせるのだが