ビンボー魂[おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力]
モデルとして歩み始めた僕は、貧乏だった子ども時代を一気に蹴散らしてしまうほどエネルギッシュな毎日が続いていました。
でも忙しさに追われ、それに祖母が叔父と暮らし始めていたこともあって、安心感からか、新丸子の祖母に会いに行くのは一年に2回くらいになっていました。
そんなわけで、久しぶりに祖母の顔を見に行った時のことです。
僕は駅から祖母の暮らすアパートへ行く道すがら、なんともいえない強烈な匂いが漂っていることに気づきました。といってもいつかのあのウンチの臭いではなく、趣味の悪い香水を煮詰めたような不快な匂いが目的地が近づくにつれ強まってきたのです。それもそのはず、匂いの出処は祖母の部屋だったのです。
ドアを開けると、祖母が、
「光(ミツ)が来るからと思って、天ぷらを作ったよ」
と言いながら迎えてくれたのですが、なんとそれは髪に使う椿オイルで揚げた野菜の天ぷらでした。しかも驚くほど大量で・・・。
僕を喜ばせてやろうという祖母の気持ちに応え、豪快にパクついて見せたものの、匂いがあまりにキツくて食べられたものではない・・・。
葛藤した末に、僕は「ありがとう・・・」と威勢よく2、3個食べただけで大半を残してしまったのです。
なぜ、あの時、祖母の異変に気づくことができなかったのか・・・。
本当は「ボケてしまったのかもしれない」と感じていたのに、「そんなことはあってほしくない」という思いが強くて、真実を見ようとしていなかったのかもしれません。
いずれにしても、何事もなかったかのように時が流れました。
その日、僕は朝から気が滅入っていたのです。発端は祖母の家の近くに住んでいた親戚の子からの一本の電話でした。
「おばあちゃんが気分が悪いと訴えるので、病院へ行こうと言ったんだけど、病院は嫌だと言って聞かないんだ」
とはいえ、直ぐに駆けつけなければいけないような状況ではないということだったので、僕はいつものように仕事に出かけ、夕方には女友達と待ち合わせていた表参道へ向かうことにしました。
ところが一緒に食事をしていても、祖母のことが気になって落ち着かず、嫌な予感が胸の中にザワザワと広がっていくばかり。やがて言葉にできないような重苦しい気持ちに襲われ、店から親戚の子に電話をしてみたのだったか、そのタイミングで事務所の人からのポケベルがなったのだったか。表参道からどうやって新丸子へ向かったのか、そのあいだ何を考えていたのか、まるで記憶にありません。
__おばあちゃんが死んじゃった。
そう知らされても、祖母は寝込んでいたわけではなかったし、最後に会った時も元気だったし・・・。親戚の子が嫌がる祖母を説得し、病院へ連れて行って2時間後に容態が急変して亡くなったということでしたが、悪い夢を見ているようで、受け入れることができなかった。でもそれは現実に起きたことだったのです。
白装束に身を包み、横たわっている祖母は小さく見えました。「おばあちゃん」という呼びかけは声にならず、前が見えなくなるほど涙が溢れてきて・・・。気づくと僕は人目も憚らずに泣いていましたが、男は泣くもんじゃないとしつけられた僕は、声がもれないように堅く口を閉じて立ち尽くしていたのです。
__これで本当に自分は一人きりになってしまった。
椿オイルで揚げた、てんこ盛りの天ぷらを見せながら、「光(ミツ)が来るからと思って、天ぷらを作ったよ」と言った時の祖母の笑顔。あの優しさ。離れていても、自分には祖母がいる。そう思うことが僕の心の支えだったのです。
やっと孝行ができると考えていた矢先でもありました。美味しいご飯、温泉旅行、快適な住まい、何の心配もない老後の暮らしをお返しできたらと・・・。
あの日の涙は哀しい思いが半分。あとの半分は、何の見返りも求めず、ただただ僕を育て、エールを送り続けてくれた祖母に何の恩返しもしないまま、自分は一体何をしていたのだろうという後悔の涙でした。
以来、僕の辞書から「いつか」「そのうち」という文字は少しずつ消えていったのです。
やろうと思いついたら行動に移す。有言実行を心掛け、一度交わした約束は決してたがえない。それは最後に祖母が教えてくれた大切なこと。「後悔せずに生きていくための方法」なのかもしれません。