労働以外を見る
昨晩、映画を2本見た。
新作を書く為である、今日も一本観る予定である。楽しみ。
告発の行方は、僕が高校生の頃に見た作品で、レンタルのサスペンスを覗くといつも気になっていたので借りた。
ジョディ・フォスターが秀逸で、暴力的な内容なんだけど、検事と被害者が加害者を有罪にするまでの物語です。
物語の中で、大麻を日常的に吸い、お酒を飲む、若い女性をジョディが演じているのだけど、80年代のアメリカって、トレーラーに住む低所得者の若者の生き方が注目される様な時代背景があるのかなと思った。
80年代のアメリカは、豊かで、幸せになっていくイメージがあるけど、何処か煮え切らないで、社会の波に飲み込まれて生きていく層がいた事は確かだ。
僕も働けずに、お金もなく、友達もいない、頼るのは家族とデイケアの職員だけだ。
僕と同じ境遇の人が不幸かというと、まだ希望を捨ててない。
結婚や仕事を諦めていない。まだ20代だから当然かもしれない。
50代・60代を迎える人は、病気との闘いである。考え方一つで生き方が絶望へと変わる。
僕も50代を迎えようとしている、これといってやるべき事はない。
何かを成し遂げようという気にもならない。
早く、定年を迎えて働かなくても負い目を感じない年齢になりたい。
これまで、仕事のことばかり考えてきて、働けないから障害者までなった。
僕には、やるべき事は仕事以外に何かないのだろうか?
新しい価値観があってもいい。
別に仕事はやりたい人だけがすればいい、向いていない人もいるはずだ。
それを、働けないから障害者だと決めつける世の中はどうかと思う。
やっぱり親世代は、お金を稼ぐことしか習わなかったのだろう。
50代になるに当たり、
①幻聴を鎮めることだけを考える。病気は一時的に良くなるだけである。
②パート労働はもうしない。時給で仕事はしない。
③自分の感情が辿り着く場所へ向かう。避難所を運営する。基本的に何もしない。
以上の3つを表現する。
①はデイケアと家の暮らし、幻聴の居場所を作ってやる。→病院🏥
②は自分の居場所を作る。note生活。3年目の学び。→note(SNS)
③はMさんとどこに向かうかということ。心理面接の辿り着く場所。
→Mさん(できるだけ優しい世界)
病院・note・Mさんに自分の時間を使う。
告発の行方を見ながら、同じ社会の隅で生きるものとして、自分の感情を大切にする事を学んだ。僕達はいつも試されている。
最後までお読み頂き有難うございました。