夢を諦めない為に
僕の頭の中にあるのが23才の病気だと分かる直前の自分。
あの時の自分の環境と言動、他人への接し方が同じにならない様に注意している。
一つずつの言動を大切に丁寧にしようと心がけている、ゆっくり生きようと思う。
自分を愛してあげたい。
今日、何故この記事を書いているかと言うと、自分の守らなければいけない物を明確にする為です。
次に頭の中にあるのは、45才のMさんと再会した時の自分。
何十年と頭にあった映画と向き合ってきて、本を書き始めていた。
小説を公募ガイドに投稿しているけど引っかかりもしない。
コロナになり自宅にいてどうしようか?分からないでいた。
病気が再発して、幻聴にいじめられた。
23才の時も、45才の自分も、何をして良いか分からなくと幻聴に怒られる。
子供の時から、今になるまで自分の想いは避難所にいて何もしたくない。
夢を前に進めたくない、基本何もしないでぼーっとしていたい。
朝起きて、今日もやる事がないな、ぼちぼち行こうと歩み始める。
僕の頭の中にある事
小学生→体作り
中学生→何もしない
高校生→エンジニア
短大生→編入
大学生→卒論
社会人→映画
デイケア→note生活
以上の中で、諦めたものはエンジニアだ。これにはお金と時間を費やした。
高校から大学卒業までの8年間と生活費と学費3000万円を、研究室のパソコンの前で勉強するのは嫌だと、5秒でポイ捨てした。正気の沙汰とは思えない。
僕はおかしくなっていて、翌年統合失調症を発病する。
僕には夢を叶える力も自信も残っていない、ダメな人である。学生の時に全てを理解できた。
じゃあなぜ、映画に取り組む夢を諦める事ができないのか?
それは自分の中で、細かく分析する必要がある。
僕は映画が撮りたくないのに、映画に取り組みたいと思っている。
その理由は何なのか?映画の何に惹かれているのか?
僕にも分からない。だからとても危険なのだ。
いつ自分を見失い、病気が発病するか分からない。僕も恐ろしい。
最後は病院で過ごさないといけないかもしれない。
映画の前に、自分の生活を守る事が先だろう。
今は両親がいて、自分を保つ事ができるけど、1人になると自信が持てないし危険である。
取り敢えず今は、デイケアに通院してnote生活している。物語を投稿する。
今しないといけない事は映画を諦めない為に、事実を整理する事です。
最後までやり遂げる事ができるだろうか?