コレットの自転車
昨年、ひっそりと出版されていた『コレットの地中海レシピ』(シドニー=ガブリエル・コレット著、村上葉編訳)を読んだ。
シドニー=ガブリエル・コレットは、小説や舞台作品を残しただけでなく、「ヴォーグ」や「マリ・クレール」といった雑誌にも寄稿していたそう。この本のために、エッセイ集や女性誌に掲載されたテキストの中から、六十歳ぐらいのコレットの南仏の別荘での暮らしぶりや食生活がしのばれるものを編訳者が厳選。さらに、料理に詳しい編訳者が、コレットならこんなふうに作っただろうというレシピも付け加えている。表紙や扉に使われている繊細な線描きのイラストも雰囲気に合っていて、とてもセンスのいい一冊。
編訳者のあとがきによれば、1990年代からこの本の構想を練っていたとのこと。それから30年も経過して、日本人のフランスおよびヨーロッパの食文化についての知識もずっと増えたいま、この本の内容はかなり受け入れられやすい土壌が整っているように思う。もっと宣伝してもいいし、もっと注目されてもいいような気もする。
このなかで個人的に一番気に入ったのは、遠足の愉しみについて書かれている章。そのあとの、自転車に乗って遠足に出かけるときに持っていくイワシのサンドイッチのことが書いてある部分がとくにいい。
二月がくると、いい日和が必ずある、そんな朝に自転車をだす。パンにバターを塗ってイワシをのせる。ミュエットまで走ってソーセージ入りパイを二つ買ってくる。それに、林檎。この弁当を自転車にゆわえつける。白ワインを詰めた水筒も。(中略)お皿もナプキンもなく、二つのタイヤが友の、自転車旅行のお昼ごはんはすばらしかった。
そういえば昨年、キーラ・ナイトレイがコレットを演じた映画が公開されていたが、そのトレーラーにコレットが自転車に乗っているシーンがあったような気がして、ちょっと探してみたら、この映画のトークイベント付き特別試写会レポートで鹿島茂先生が「ベル・エポックのフェミニストが「自転車は女性を解放する最大の武器である」と定義した」とおっしゃっていた。
公式サイトでみると、最初の夫とタンデム自転車に乗っている写真しかみつからないが、コレットが自転車の楽しみに目覚めたのはもっと年齢を重ねてからだったのだろうか。
自動車やバイクや飛行機といったモーターのついた乗り物に比べれば、自転車は手に入れやすく誰でもすぐに乗れて、それでいて徒歩に比べると格段に行動半径が広がる。馬やロバなどの家畜のように餌をやる必要もなく、前へ進む動力は自分の脚だ。どこまで行けるかは自分次第なのだ。男性社会のしがらみから自由になろううとした女性たちが、自転車に飛びついたことには納得がいく。
シャーロック・ホームズのシリーズに「孤独な自転車乗り」というのがあった。カラザース氏という人物の屋敷で娘の家庭教師を務めているヴァイオレット・スミス嬢が、駅から屋敷までの、ひとけのないさびしい道を自転車で通うのだが、不審な男につけられ、不安に思った彼女がホームズのところに相談に来る。当時の英国では、家庭教師というのは数少ない女性に許された職業であり、そんな彼女が自転車に乗っているのは象徴的でもある。
というわけで、ベル・エポックの進んでる女性だったコレットも、とびきりおいしいサンドイッチを作って自転車に乗り、どこへでも好きなところに行くのだ!写真が残ってないかとネットで調べてみたが、残念ながら見つからず。でも、コレットが乗っていたのも、ホームズに出てきたヴァイオレットが乗っていたのと同じような、クロモリのガッチリしたフレームの自転車だろう。お弁当は、籠に入れて後ろの荷台にくくりつけたのだろうか?水筒はガラス製、それとも陶器?
この一節を読んで、ぜひ自分もコレットのイワシのサンドイッチを作って自転車旅に出てみたいと思った。しかし、この本のレシピによると、レモン汁と混ぜたオイル・サーディンをバター100gと一緒につぶしてピュレを作れと…いくらフランス料理に上質なバターが欠かせないとはいえ、バターが多すぎないだろうか?
コレットは、「青い麦」とか「シェリ」とか読んだことはあり、情景や心情の描写がとてもみずみずしくていいなと思った記憶がぼんやりとあるだけ。改めてコレット作品を読んで、自転車が出てこないか探してみたい。