俳句つづいてます
ことしのはじめに、美麗なる手帳を使いたいというやや不純な動機ではじめた俳句「一日一句」が、我ながら驚くべきことに続いている。
だれの役にも立たないだろうけど、自分のために俳句を詠むときのポイントをまとめてみた。
1. 情景をできるだけ具体的に描写すべし
2. 季重なりを避けるべし
3. できるだけ中七をまもるべし
4. 詩になっているかどうか吟味すべし
それぞれについてちょっと詳しく説明します。
1. 情景をできるだけ具体的に描写すべし
世界で一番短い詩形といわれる俳句。五・七・五という定型も日本人なら誰でも知っているので、わりと簡単だと思う人も多いようで、「プレバト」に出てくる初心者は「自信あります!」と言って出てくる人が多いが、まあだいたいが夏井いつき先生にけちょんけちょんに直される。
素人が一番陥りやすいのは、五・七・五にとらわれ過ぎること。文字数を合わせることに夢中になって、俳句でもっとも大切な「景を描く」ことができていない。五・七・五にはまってさえいれば俳句ということにはならない。
ごくごく短い詩形におさまったことばから、読み手にどこまで鮮明に情景を想起させるかが俳句の一番の醍醐味ではないかと思う。
詠み手としてできることは、限られた音数のなかにも必要十分な情報をしっかりと盛り込んで、できるだけ情景を描写すること。非常に短いので、たくさんの要素を盛り込みすぎると失敗する。絞り込んでしっかり描くことが肝要。
2. 季重なりを避けるべし
「季重なり」とは、一句のなかに複数の季語を入れてしまうことで、俳句では避けるべきこととされている。。たとえば「春うらら」などとはじめてしまうと、春の季語が「春」と「うらら」と両方入っているので「季重なり」になる。
使いたいことばがあったら、季語になっているかどうか、季語辞典や季寄せで必ず調べること。これ大事!
季重なりがいけないのは、ただそういうルールだから、ということではない。どうせでも音数・文字数が限られているなかで、できるだけ詳しく情景を描かなければならないのだから、一音たりとも無駄にできないのである。さきほどの「春うらら」でいうと、どっちかだけにすれば二音もしくは三音も節約でき、他のことばを入れられるのだから、無駄というよりほかない。
ただ、季語辞典に出ていることばでも、句における文脈によってはそれほど季節感を持たない場合もあり、情景描写に必要不可欠なことばなら省いてはいけない。
3. できるだけ中七をまもるべし
五・七・五の定型は絶対ではなく、字余りや破調も効果が見込めるならもちろん使っていい。しかし、五・七・五の真ん中の七音「中七」は、できるだけまもったほうがいいようだ。つい八音にしてしまったりしがちだけど。
これもルールだからというよりも、中を八音にしてしまうと、全体のリズムが(夏井先生はよく「調べ」とおっしゃる)もたっとした感じになることが多いから。
どうしても八音になりそうになったら、語順を変えてみたり、破調を試してみたりすること。最初の五音は字余りをわりと許容しやすいということなので、どうしても長いことばはそこに持ってきてみてもいいかも。
とにかく、何を詠むか決まったあとも、一番効果的な語順やリズムをさがすべし。
4. 詩になっているかどうか吟味すべし
五・七・五の定型で日常生活を描写すると、川柳みたいになってしまうことが多い。それでもいい場合もあるだろうが、俳句を目指すからにはやはりできあがりが「詩になっているか」が肝要だと思う。
それを判断することは難しいのだが…自分のセンスが問われるし、日々それを磨いてないといけない。
こうしたからああなった、みたいな内容になってしまっていると、散文的になりがち。思いがけないことばの組み合わせや、発想の飛躍が、詩を生む(と思う)。が、それを意図的にやることもまた難しい。
つまり一朝一夕には難しい(あたりまえ)のだが、詩を目指すという意識は必要だと思う。
1ヶ月ちょっとやってきて思うのは、俳句も長い文章と同じで推敲が大切ということ。どこで完成と決めるかはとても難しいが、ちょいちょいと五・七・五でことばを並べてハイできた、というのは絶対ダメ。しかし、悩みに悩んでも、とにかくどこかでエイヤッと完成させることもまた大事だと思う。
そのときは特にいいと思わなくても、ちょっと前に作った句があとからわりといいなと思えたりすることもある。なかなかおもしろい世界なので、これからも無理なく続けたい。
単調な生活をしながら日常を詠むのはやはり限界があるので、ふらりと吟行に出たいなと思う今日このごろです。
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