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『ロスノフスキ家の娘』のシャツ

サラリーマンだった父は通勤電車でいつも何かしら本を読んでいた。池波正太郎とか藤沢周平の時代小説のほか、ジョン・ル・カレ、フリーマントル、ディック・フランシスなど翻訳ものも多くて、ジェフリー・アーチャーもお気に入りの作家のひとりだった。中学か高校のとき、父の書棚にあった新潮文庫の『ケインとアベル』と、その後日譚『ロスノフスキ家の娘』をなんとなく手に取って、物語に引き込まれ一気に読んでしまった。ベルリンの壁が崩壊する以前の話である。

月日は流れて2016年、ヒラリー・クリントンが大統領選挙に出馬したとき、「ついにアメリカ初の女性大統領が誕生か?」ということで、『ロスノフスキ家の娘』を再読したくなった。あまり本を捨てない父もこの本は処分してしまっていたので、あちこち探した。『ケインとアベル』はまだ新潮文庫から出ているようだったが、『ロスノフスキ家の娘』のほうだけなぜか長らく絶版になっているようで、地元の図書館にも見つからず。

気長に古本屋さんを探すか…とぼんやりしているうちにまた月日は流れ、次の大統領選挙で初の女性副大統領カマラ・ハリスが誕生。ますます、ポーランド移民の子である女性がアメリカの大統領になる『ロスノフスキ家の娘』の再読を切望していたら、つい最近になって、新訳が出版されたのを書店で発見!アーチャー自身が原稿を改訂したそうで、今回はその改訂版の初邦訳とのこと。新潮文庫で絶版になっていたのは、原書が改訂されたからなのかも。

実は、ヒロインであるフロレンティナが大統領になるまでの経緯を実はまったく覚えてなかったが、再読してみて、なるほどこういうことだったのかと。ベルリンの壁崩壊以前に書かれた物語で、ヒロインは1930年代生まれ、80年代に大統領になるのだが、その時代時代に実際に起きた大きな出来事がちゃんと背景に出てくるので、説得力がある。妊娠中絶に関する議論や、冷戦時代の国防の問題など、それぞれの時代に議論された大きな問題が次々に出てくる。このときにはまだ、マイノリティやLGBTQの問題がほとんど議論されてなかったのか、そのあたりが全然問題として出てこないのもまた興味深い。さらに意外なことに、政治の世界に女性が圧倒的に少ないという状況を改善しようという話題も出てこない。

ヒロインが下院議員になってから以降の物語は、アメリカの議会や選挙のドキュメンタリーのようで、勉強にもなる。ヒロインは権力への野心のためではなく、アメリカという国に奉仕したいがために政治家を目指すのだが、年功序列の男社会である政治の世界は思い通りにいかないことだらけ。その中で彼女は騙されたり、譲歩を余儀なくされたりしながら成長していく。法廷もののようなスリルがあっておもしろいし、ところどころに出てくる彼女の演説のことばが素晴らしく、彼女こそ理想のリーダーだなと思わされる。

中学か高校のころに読んだこの本で、大人になってもずっと記憶に残っていたのは、実はこうした政治や選挙にまつわる部分ではなく、物語の前半の、彼女の学校生活や大学での、特に衣服にまつわるエピソードだった。

学校向けの身支度を揃えるためにニューヨークに買い物に行ったり(ヒロインはシカゴ出身)、初めて肩紐のないドレスを買ったり…まだ国外に出たことのなかった自分には欧米の学校生活への憧れがあったからか、このあたりの描写が好きで、当時繰り返し読んだりした。

女子ラテン語学校高等部に進んだおかげで、フロレンティナは二度目のニューヨーク行きが実現することになった。新たに制服を購入しなくてはならなかったのだが、着るものはシカゴの〈マーシャル・フィールズ〉で手に入るものの、靴はニューヨークの〈アバークロンビー&フィッチ〉でしか扱っていなかったからである。アベルは腹を立て、そんなのは最悪の俗物主義の裏返しだと断言した。

『ロスノフスキ家の娘』上巻112ページ

高校時代の自分にはこの固有名詞はどれもチンプンカンプンだったし、その後もずっとファッションには疎いほうだが、十年以上経って初めてインポートショップでAbercrombie&Fitchのロゴのついた服を見たときには「あっ!あの本に出てきたアレか!」と思ったものだ。ちなみに、フロレンティナと家庭教師のミス・トレッドゴールドは、この店で茶色のオックスフォードを二足買う。

「ほんとに実用一点張りね」というのがミス・トレッドゴールドの評価だった。「ここの靴を履いている限り、偏平足になる心配は死ぬまでないわ」

『ロスノフスキ家の娘』上巻113ページ

このくだりを読んで、〈アバークロンビー&フィッチ〉というのは実用本位の、しかし高級な衣料品を扱っている店なのかなと勝手に想像したのだが、実際に自分で見たアバクロの服はこの文章の印象とかなり違う、アメカジの服だった。その後、アバクロの店舗が日本にできて、店内は真っ暗でクラブのようにイケてる音楽が大音量でかかってて、モデルみたいな店員がいるという話を聞き、ますますイメージが違うなと思ったものだ。そんな噂を耳にしてしまっては、敷居が高すぎて店内にはまだ足を踏み入れたことはない。

さて、フロレンティナは高校に入った後、新入生にも関わらず生徒会の委員に選ばれる。委員になると特権がいくつか認められ、そのうちのひとつが「パステルカラーのシャツを着ていい」というもの。男子はオックスフォードでなくローファーも履いていいらしい。なぜに男女差があるのかは疑問だが、そもそも生徒会の委員に特権があるというのも、日本の学校しか知らない自分には理解しがたい。

のちに女性向けのブティックを起業して成功するフロレンティナは、おしゃれへの関心が高く、そして着こなしのセンスもいいらしい。だからニューヨークでは、おしゃれなシャツを何枚も買い込んだようだ。生徒会委員としてその特権を享受しつつ、次は生徒会長の座を狙うのだった。

新学年の初日、フロレンティナは〈バーグドーフ・グッドマン〉で買った洒落たパステルカラーの、最近流行っているボタンダウンの襟のシャツを着た。女子ラテン語学校の女子生徒全員が羨むという確信があった。次期生徒会長がどう行動すべきかを全員にわからせてやるつもりだった。生徒会委員の選挙まで二週間あったから、毎日違うパステルカラーのボタンダウンのシャツを着て登校し、生徒会長の仕事を自ら引き受けた。選挙に勝ったらどんなタイプの車を父親にねだろうかということまで考えはじめていた。

『ロスノフスキ家の娘』上巻184ページ

ところが、特権を振りかざす高慢な態度が過ぎてすっかり人望を失ってしまった彼女は、まったく得票できずに生徒会の会長は愚か委員にすらなれずに落選。フロレンティナは深く反省し、これまでの特権をそのまま行使してもいいと言われるけれども…

ニューヨークで買ってきたシャツを一枚残らず一番下の引き出しにしまい込み、鍵をかけた。

『ロスノフスキ家の娘』上巻186ページ

このあと、ラドクリフ大学のウールソン奨学金なるものに挑戦してはどうかと校長先生に勧められて、猛勉強を始める。

試験は三月上旬にラドクリフ女子大学で実施されることになっていて、出発の前夜、フロレンティナは一番下の引き出しの鍵を開け、ニューヨークで買ったお気に入りのシャツを選んだ。

『ロスノフスキ家の娘』上巻186ページ

フロレンティナが奨学金の試験を受ける時の勝負服として選ばれたシャツも、ボタンダウンだったのか?色は果たしてパステルカラーだったのか、それともやはり鉄板の白だろうか?そこはわからないままだが、彼女は見事に難関を突破して、この奨学金を獲得するのである。

このシャツのエピソードには、のちに政治家として成功するヒロインが、どのようにして謙譲の心を学んだのかが集約されている。小道具をこんなふうにうまく使えるところが、さすがベストセラー作家である。

かつての日本の学校制服はどこも似たようなもので、紺のセーラー服か紺のブレザーとプリーツスカートだった。アメリカの高校生たちは、好きなシャツを着て、スカートの丈も自由、一応揃いのセーターやベストがあって、気候にあわせて着るのかなぁ、おしゃれだなぁとぼんやりと夢想したものだった。

思えばちょうどこの本が出たころに、日本ではデザイナーものの制服の私立学校が出てきた。ブレザーにェックのスカート、色もグレーとか茶色とかの、かわいい制服が登場したのだった。アメリカやイギリスの名門校っぽい制服に憧れを持つ人が多かったのかもしれない。

筆者自身は、制服が不要になってしばらく経った二十代の半ばごろから、シャツを偏愛するようになった。特に、白のオックスフォードのボタンダウンのシャツはいつもちょっといいものを買って、面接等できちんとしたいときにも、友だちと会うのにちょっとおしゃれしたいときにも着て、数枚を袖口が擦り切れるまで着倒した。

『ロスノフスキ家の娘』の記憶があったからか、パステルカラーのシャツにも挑戦したことがあるが、いまいちピンと来なくて結局白ばっかり着てしまうので、諦めた。この本を再読して、そうか自分は学級委員の器じゃないのだなと腑に落ちた。

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