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イルゼ・アイヒンガーのボタン

なぜかボタンというものが好きである。系統だてて集めているわけではないので、コレクターとはいえないが、一生かかっても使い切れないくらいの数のボタンを持っているし、これはというものに出会うと買ってしまう。新しくシャツやカーディガンを買うと、多くの場合はボタンを付け替えてから着る。「いいボタンに替えたら映えそう」という理由で服を選ぶこともある。

ボタンの歴史は古く、現在のように大量生産される前には美術品や工芸品のようなものだったこともある。現在はプラスチック製のものがほとんどだが、貝、ナッツ、木、ガラス、金属、糸、布、ありとあらゆる樹脂の類など、さまざまな素材で作られてきた。デザインもごくシンプルなものから、絵が描いてあるもの、デザインが刻印されているもの、何かをかたどったものなど、とにかく多様である。

世界のあちこちにボタンのコレクターはいるらしいのだが、意外なことに、ボタンのことを書いた文献というのは少ないようだ。時々思いついたように英語やドイツ語でもボタンの本を探してみるのだが、あまり出会えない。

あるとき、ドイツの古本販売サイトでボタン本を探していたら、ボタンの写真が使われた、昔のポストカードが見つかった。どこかのボタンメーカーがカタログがわりに作ったもののようで、「実物大」と書いてあり、それぞれに番号が振ってある。

これはうれしい発見だった。ドイツの古本サイトにはポストカードもたくさん出ているので、同じようなものがあればまた買おう、ボタンそのもの以上にこういうものを集めたいという気持ちになったのだが、その後、一度も出会えていない。

同じときに、イルゼ・アイヒンガーの書いた"Knöpfe"(『ボタン』)という本も見つかった。イルゼ・アイヒンガーは戦後のオーストリア生まれの作家で、ドイツ語圏を代表する女性作家のひとりである。自分が探しているような、ボタンの歴史などについての文献ではなかったが、そのものずばり「ボタン」というタイトルであるなら、フィクションであってもどんな内容か気になる。日本語訳も出ていないので、原語で読んでみるしかない。ということでこちらも買ってみた。

イルゼ・アイヒンガーはラジオドラマのシナリオもたくさん残した人で、これもそのひとつだった。日本に比べ、ドイツはオーディオブックやラジオドラマが盛んなように感じる。ラジオドラマの脚本のためか、文章が口語中心で大変読みやすかった。

『ボタン』のヒロインは若い女性で、ボタン工場で働いている。そのボタン工場で作られるボタンは、とても美しくて質の高いもので、高い値段で売られている。同じ工場で働いているのは若く美しい女性ばかりなのだが、新商品が登場するたびに、工員がひとり、またひとりと姿を消していく。ヒロインも怖くなって、仕事を辞めたいと思うのだが…というストーリー。

ホラーというのとも違うのだが、なんとも不気味な話だった。おもしろくて先が気になる内容だけれども、読み終わってみるととても後味が悪く、強烈に印象に残った。

それから何年か経ってから、仕事でアイヒンガーの専門家の方と話す機会があった。『ボタン』というラジオドラマだけは原書で読みました、と軽い気持ちでその方に伝えたところ、

「彼女はロンドンでビミニっていうボタン工場で働いていたことがあるんですよ」

というではないか!これはびっくり。アイヒンガー自身が女工としてボタンを作っていた。しかもビミニで!それでは、あの不気味なラジオドラマに出てくる「とても美しい、高級なボタンを作っている工場」というのはビミニがモデルだったの!?

ビミニボタンについてはこちらに簡単な解説がある。

イルゼとビミニの関係についてもっとよく知りたければ、下記の本に、アイヒンガーの姪、アーティストのルート・リックスが手記を寄せており、そこにボタン工場で働いていたことも書いてあると教えていただいた。

イルゼ・アイヒンガーの母親はユダヤ系の家族の生まれだった。イルゼの叔母にあたる人クララが、ナチスがオーストリアを併合したあとウィーンにいられなくなり、若いころに暮らしたことのある縁を頼って英国・ロンドンに亡命。そのほかの家族もロンドンに呼び寄せようと試みた。イルゼの双子の妹ヘルガはなんとか間に合って英国行きの最後の船に乗ることができたが、母親の面倒をみるために残ったイルゼは、英国が世界大戦に参戦してしまったため渡航できなくなり、家族は離れ離れになってしまう。

ヘルガはロンドンで結婚、出産。イルゼとヘルガは1945年の終戦以降、やっと文通ができるようになったが、なかなかビザが下りず、イルゼと母親がようやくロンドンのヘルガを訪ねることができたのは1947年のこと。それからしばらくの間、ロンドンに滞在したという。

ヘルガが頼っていた叔母のクララがビミニでの仕事を見つけてきて、ヘルガもここで働いたという。イルゼもロンドン滞在中の短い間、やはりここで働いたことがあるそうだ。そして、やはりここでの体験にヒントを得てあのラジオドラマを書いたとのこと。そして手記には、クララが持っていたビミニボタンの写真が掲載されている。

ビミニは、ウィーン生まれのフリッツ・ランプルが創業したガラス工芸品のメーカー。もとは亡命してきた吹きガラス工芸職人を雇ってランプやオブジェを作っていたが、やがてボタンの制作も開始。プレス加工のガラスボタンは熟練工でなくても作れるため、ランプルは友人知人を多く雇い入れたという。のちに著名になる陶芸家ルーシー・リーも、ここで働いていたことはよく知られている。

ランプルも詩人だったそうだが、商才にも長けた人だったのだろう。ビミニのボタンはよく売れて、亡命してきた女性たちにとってはありがたい稼ぎ口だったようだ。

オーストリアからロンドンに亡命してきた人たちは、英語があまり話せない人も多く、お互いに助け合って生きていたという。ビミニの工場では、ドイツ語が飛び交っていたのかもしれない。

イルゼと母親はなんとかナチスの弾圧を逃れて生き延びたが、イルゼの母親側の親族の多くは強制収容所に連行され、そこで命を落としたという。その体験と、女工がひとり、またひとりと姿を消していくというラジオドラマのホラー的なストーリーは、無関係ではないのだろう。

ボタンに関心を持っていたから、有名なビミニのことは知っていたし、ルーシー・リーが働いていたことも知っていたが、漠然と「ロンドンのボタンメーカー」という程度の認識だったので、亡命オーストリア人によって成り立っていたということは知らなかった。しかも、イルゼとヘルガがそこで働いていたなんて!

ルート・リックスの手記に掲載されているビミニボタンの写真には、12個のボタンが写っていて、どれも違うデザインのもの。そのうち、渦巻きのは私が持っているもの、花の形のは母が持っているものと同じだったので、興奮してしまった。自分が持っているボタンも、これから出会うビミニボタンも、もしかしたらイルゼが作ったものかも知れない。イルゼでないとしても、オーストリアから亡命し、ロンドンで必死に生きていた女性たちが作ったものかも知れない。自分の持ち物と歴史とがつながったように感じられた。

アイヒンガーの本『ボタン』の表紙とビミニのボタン


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