生命体として辿りつきたい境地
「あなたが生命体として辿りつきたい境地は何ですか?」と聞かれて、私が思いついたは「死」だった。
この質問は先日参加したイベントで問いかけられたもの。確か「ブッダは心の安らぎを求めて悟りの境地に辿り着こうとしました。では、あなただったら?」というような流れだった気がする。
他の参加者が「自分の持っている才能やスキルを最大限活かせる状態」、「何かしらのかたちで多くの他者を助けられるようになる」と生き続ける前提で回答するなか、私は「死ですかね。」と答えた。
「そうはならなくないですか?笑」と主催者さんから突っ込まれたが、私にとってはこれが一番しっくりくる答えだった。
同イベントのなかで知ったのだが、ブッダは悟りの境地に辿りついて死のうと思ったらしい。
これを聞いた時、私は「まあそうだよね」と思った。
「いや、なんでまだ生きられるのに、難しいことを達成して偉大になれたのに死ぬんだよ!」と考える人もいるのだろうか。
「達成できたことを他の人に知ってもらおう」とかなんならその活動を通してお金を稼いでいこうとか、更に先のことを考えるのが普通なのかもしれない。
でも、少なくとも私的には「やりたかったことも達成できて、やすらぎを手に入れられたのなら、まあ『もう死のう』ってなるよね。」という感じだった。
ブッダは心のやすらぎを得るために悟りの境地を求めていたらしい。だから、この問いへの答えを考えるにあたって私は「どうしたらやすらぎを得られるだろう?」と考えた。
生きている上で、煩わしいものはたくさんある。
職場での人間関係とか家の掃除とか夏の暑さとか。こうしたものは環境を変えればなくせるものもあるが、社会的・経済的な諸々を考慮すると一切なくすというのは難しいのではないかと思う。少なくとも生きている限りは。
そう、生きている限りは。
でも死んだら?
多分人と話すことはなくなるし、持ち物の手入れもできなくなるし、気候の影響も受けなくなるはずだ。
そうしたら、煩わしさから解放されて心のやすらぎを得られるのではないか。そう思った。
...と書いていて気付いたのだが上記の私の考えと悟ったブッダとの考えの間には大きな違いがある。
ブッダはやすらぎを得たから死のうと思ったが、私はやすらぎを得るために死のうとしている。(いや、今のところ積極的に死ぬ予定はないが)
そう思うと悟ったブッダの考えは「もう死のう」よりも「もう死んでもいいや」という感じに近かったのかもしれない。(あくまでも想像。ブッダがそう思っていたかは知らないし知る由もない。)
これだったらみんなにももうちょっと納得してもらえるような気がする。
何か良いことがあった時、「もう死んでもいい!」みたいなことは思うのではないだろうか。もしくは思ったことはなくても、そんな表現は見たことがあるだろう、きっと。
だから生命として私が辿り着きたい境地は、多分「もう死んでもいいや」って思える状態なんだと思う。
ということで、どうやったらその境地に辿り着けるのか具体的な案はまだないが、「もう死んでもいいや」と思えるように、ひとまずやりたいことをやっていこうと思う。
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