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サラリーマンの卒業練習 2020年8月3日

 8時ころ目が覚めた。
 今日も夏らしい一日になりそうだ。

 ベッドを整え、2階の窓をすべて開け放すと、街の喧騒が聞こえてくる。サラリーマン時代なら、今頃ちょうどわたしもその中心で通勤電車に揺られている時間だ。
 階段を下りていくと、猫のひじきに出くわす。彼は「にゃあ」とわたしにあいさつを交わしてすれ違っていった。
 散歩から帰ってきたばかりの父にあいさつをし、白湯をレンジにかける。その間に洗濯機に洗い物を投げ込み、洗剤を入れ、キッチンの食器を片付ける。
 ダイニングテーブルに腰を下ろし、白湯を飲みながら2匹の猫たちの相手をしていると、ようやく今日も順調に始まったと思えるようになる。
 今日はバスの仕事がメインの日だ。午前中はちょっとした書き物をしながら旅と思索社の月末締めを行い、夕方前から日が変わるころまでバスの乗務が待っている。

 サラリーマン一筋の暮らしをやめて自分の会社を作り、なにがいちばん変わったかといえば、もちろん稼ぎ方そのものが変わったのだけれど、それ以上に変わったのは人生の力点の置き方かもしれない。
 朝の始業に合わせて目覚ましで寝不足の体を何とか起こし、1分1秒無駄にしないように出かける準備に専念していたときは、心に余裕などなかった。
 そして、今度は満員に近い電車の中で、さらにストレスを感じながら働きに出るのだ。
 今考えると、それを続けてこられたことが奇跡のような気さえする。

 最近、コロナの影響で在宅勤務やリモートワークが増え、朝の通勤地獄を「普通」だと慣らされていた自分にいまさらながら気づいて疑問をもった人も多いのではないだろうか。
 たぶん、その疑問はとても正しいと思う。
 自分が周りと同じ環境にいるときは何も疑問を持ちえないのだろうと思う。わたしもサラリーマン生活に落ちこぼれて、ようやくこれまでの働き方、暮らし方に疑問を持つようになった。

 それだけで「旅と思索社」を作ったわけではないけれど、結果的にこれまでのような生活には戻らない、そうしないための方法を作り上げるという方向に考えが変わっていったのは事実である。
 そして今現在の自分は、少なくとも間違いではない道をたどってこられたように思う。

 コロナでこれからの自分の仕事や働き方に不安に感じている方はたくさんいると思う。でもその時にこれまでの働き方に固執するのではなくて、新しい働き方を考えてみるのも決して無駄ではないように思う。
 わたしの場合はそれが「複業」のだった。自分の会社で自身が稼ぎ、一方ではサラリーマンとして給料をもらう、そういう道を選んだ。

 そして、特にわたしのような50歳前後の年齢の人間は、きっと到来するであろう雇用が厳しくなる時代に備えて、少しずつでもいいからサラリーマン暮らしの呪縛を解くことを訓練しておいた方がいいと思う。
 給料がもらえなくなり、失業手当をもらってから悩んだのでは遅い。
 意識を変えるのは思っている以上に容易ではない。かくいう落ちこぼれのようなわたしでさえ、いまだ完全に逃れられていないのだから。

 朝のひと時の話が、こんなふうに展開するとは自分でも思ってみなかったが、ニュースを読み、たぶん近い将来、倒産やリストラによる失業者の増加でこの問題は避けて通れないだろうと思うと、どうしても書いておきたかった。

 思い立ったが吉日、である。
 僭越ながら。

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