コロナという暗雲をいつも感じながら。
最近、文章を書くのがまったく楽しくないなあ、そう思っていたら、コロナのことばかり考えているからだと気づいた。
何をやろうとしても、コロナを感じる。
昔と変わらず、愉快なこと、興味津々なことがたくさんあるはずなのだが、コロナという真っ黒な雲が青空のずっと向こうに不気味な姿をのぞかせているのだ。
その雲はときおり、青空になじんで消え失せたかと思えば、突然すぐ近くに再び姿を現す。常に不安と隣り合わせの生活。
そんな毎日が、わたしに変化を与えたのだと気づいた。
思えば、東日本大震災直後も同じような状態だった。
見たこともない巨大な津波、度重なる大きな揺れ。
でもそれ以上にわたしを暗くさせたのは、コントロールできなくなった原発だった。
制御不能に陥った原発がどのような最悪な事態を引き起こすのか、誰にも分からない、むしろそのことだった。
9年の月日が多少の知恵とわたしたちの慣れを醸成しただけで、実は今も何も変わっていないのかもしれないが、少なくとも物理的な距離さえ保てば、わたしたちは何とかその脅威から逃れることができる。
でも、コロナにはそういう逃げ道がないように思える。
いつわたしを本気で襲い、周りを巻き込むのか推し量ることができない。
自然災害やほかの病気と異なるのは、突然やってくるのではなく、現在進行形という形でり患の有無に関わらず身近に影響をおよぼしているということなのだろうと思う。
そういう不安にさいなまれ続けていたら、自分のすることに意味を求めるようになってしまった。
ささやかな日々の喜びすら無理して感じ取ろうとしている自分。それが苦しい。
こういうときこそ、もっと正直に自分の言葉を紡がないといけないとは思うのだけれど。