王なる神
(中高科のメッセージの原稿)
今日は士師のひとり、ギデオンの話です。まず、ギデオンについて書かれている話を紹介します。
イエラエル民族はカナンに定住したものの、ミデヤン人、つまりアラビア半島の遊牧民にしばしば攻撃を受けました。要するに定住して農耕を始めたはいいけど年一の収穫をごっそり遊牧民に取られちゃって困ったわけです。これじゃ約束の地の意味がない。
さて、主の使い、あるいは主自身がギデオンに接触しギデオンをミデヤンその他遊牧民の連合との戦いのためにリクルートします。ギデオンはめっちゃ不安だったのか色々駄々こねたり奇跡を要求したりしましたが、結局いくつかの部族を招集してミデヤン連合軍に立ち向かいます。
ただでさえ敵軍の数が多かったところですが、主からの指示を受けてわずか三百人の隊を編成、真夜中の見張りの交代時刻に奇襲をかけ、三百人全員が松明と角笛で威嚇するというとんでもない戦法で勝利を収めます。
追撃でミデヤンの二人の王の首を取ったはいいものの、戦利品でエフォドという偶像を作るギデオン。これのせいで後のイスラエルに災難もあったようです。ともかくこれで40年間の平穏を手に入れました。
さて、エフォドのことはともかく、大活躍したギデオンにイスラエルの人々から王になってくれという要請がありました。それが今回の箇所です。
しかし、これをギデオンは断ります。我々を治めるのは神だから、という理由です。
神自身が王だからという理由の正しさはともかく、イスラエルはこの後で王政を敷くわけですから、なんで王になるのを拒むのか少し不思議かもしれません。しかし、イスラエルの歴史で王というのはかなり不完全な存在として描かれます。少しこの後の聖書の記述をみましょう。
士師記で王不在ゆえに外国と一進一退の戦争を繰り返し悩みが絶えなかったイスラエルに、サムエル記では民の要望が湧き上がって王が選ばれます。しかし、神はこれを当初からただ容認しただけという態度で見ていました。
外国と戦う指揮を取る王が欲しいと言いつつ、民は神がその上に王として君臨していることを認めていないと言われています。つまり、士師記で小競り合いをしたのだって結局王がいないからじゃなくて神に従わないで偶像崇拝をしたからだし、ここでも王を立てたところで良いことないと言われているも同然です。
案の定、統一王朝が成立したすぐに後で南北朝へ分裂、そして北イスラエル王国のアッシリア帝国による滅亡と南ユダ王国の新バビロニア帝国による滅亡が列王記と歴代誌で描かれます。なぜ滅んだのか? その理由は随所で書かれていますが全て同じで、イスラエルが主に背いて偶像礼拝に走ったからです。
ギデオンとイスラエルの人々の会話は、この歴史を先取りしています。ギデオンに、ギデオンから始めて何代にも続く王となってイスラエルを治めてくれと言います。それはギデオンがミデヤンからイスラエルを救ったから。でもイスラエルの王は本当は神なんだ。エジプトで奴隷となったイスラエルを救ったのが神だと書かれているのが、この士師記に至るまでの旧約聖書に書かれているほとんど唯一のことだから。
でも、この地上で治める王がいなけりゃ、俺たちは生きていけないじゃないか。そういう問いはずっとあった。だからこそ神であるイエスが王となって地上にやってきた。ただしみんなの思った通りじゃなかったかもしれない。何しろ、世界を治める神たる王がそこにいるのなら、その指揮を取る戦争がどこに向かうのかは、そんなに文字通りの意味にはなり得ないのだから。
私としては、全世界の王の治める地上がどのようなものであるか、よくわかりませんが、ただそこに平和があるように祈ります。