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教会設立宣言 羊たちの夕べ
単立教会 羊たちの夕べ 設立宣言
教会
聖書系Vtuberグループ「羊たちの夕べ」の配信メンバー(足袋田クミ、五旬節子、遠升あきな、棚葉香蓮、鹿藤陸)は2025/2/14の配信をもって、「単立教会 羊たちの夕べ」の設立を宣言します。
当教会は配信メンバーとリスナーの全体を羊の群れ、すなわち教会であると認識します。
代表
教会の代表は足袋田クミです。
聖職者
当教会は聖職者を置きません。ゆえに聖礼典(説教、聖餐式、洗礼式その他)を行いません。
礼拝
当教会は毎週金曜日の配信を礼拝とします。
教会員
配信をリアルタイム、アーカイブ問わず一度でも視聴したことのあるものは羊の群れ、つまり当教会の教会員を名乗ることができます。これは本人の意思でいつでも辞めることができます。
他教会の教会員であることは当教会の教会員であることを妨げません。
教会員に礼拝出席の義務はありません。
教会員に奉仕の義務はありません。
教会員に献金の義務はありません。
BOOTHの収益
羊たちの夕べのBOOTHにおける収益は、羊たちの夕べの活動費とし、配信メンバーによる合議で使途を決定します。
設立趣旨
私たち「羊たちの夕べ」はYouTubeチャンネルにおいてVtuberとして活動しています。活動開始当初より、草の根運動として、聖書とキリスト教にまつわる話題を共有し、自由で知的な営みについての間口を広げることを目指してきました。この4年間の歩みを振り返るとき、皆さんに支えられてきたと同時に、皆さんと私たちの双方向のやりとりが「羊たちの夕べ」を形成し、結実させてきたことは決して無視できません。
たとえば、足袋田クミの配信機材のためのクラウド・ファンディングは、想像をはるかに超える勢いで目標を達成しました。「羊たちの夕べ」一同にとって、このような皆さんからの支援と交流は、途方もない大きな驚きであり、感謝の念を禁じ得ない経験でした。「羊たちの夕べ」に差し伸べられた支援の手に、私たちは、リスナーの皆さんの期待と、居場所を求める想いを感じ取りました。
配信メンバーは定期的に「羊たちの夕べ」のあり方について議論し、長期的な視点から、その在り方を模索してきました。当初から在り方のひとつとして、イメージされていたものは、学問的議論の場ができる開かれた大学のような場所でした。しかし、現在、私たちと皆さん「羊たちの夕べ」は、毎週金曜日に定期的にオンラインで集まり、聖書とキリスト教にまつわる事柄を双方向的に共有することで、教会のような共同性を帯び始めています。
足袋田クミとしては、「忙しい人のための聖書シリーズ」を終えたのち、自分を含む集う者たちにとって喜びがあり、継続的に提供できて、価値あるコンテンツとは何か?と考えました。結果、毎週、聖書のお話、短い説教を準備することになりました。事実、定期配信とnoteにおいて、ともに聖書に聞き、語り合い、共有することは、足袋田クミが強く願うことでもあり、同時に、敷居の高いものでした。現在まで、毎週、聖書の話を皆さんと続けられていることは、望外の喜びであり、神の恵みにほかなりません。
しかし、それでもなお決定的な意味で「羊たちの夕べ」を教会や礼拝という枠組みで考えるべき理由が、あまり見つけられませんでした。それゆえ、この四年間は、この恵みある「羊たちの夕べ」の現状を維持することに努めて来ました。しかし、足袋田クミの観測した限りにおいて、日本のインターネット上のキリスト教/クリスチャン界隈では「教会に行けない」問題が明らかになっているように思われました。
すなわち、キリスト新聞社のクリスマス企画(2021年12月25日「『いのフェス』オンライン2021——クリぼっちなんていわせない!!」)において問題提起された「教会オワコン問題:教会は終わったコンテンツ問題」です。既存教会が目指す「建物、月定献金、無料の奉仕当番、牧師の生活保障」を用意して運営していく在り方には、限界が来ているのはないか。
実際に、教会を存続させるために必要な信徒数を揃えること自体が難しくなっているように思います。同時に、一部の「教会」が、信徒へのハラスメントによって、聖書と神から、教会それ自体から人々を遠ざけている現状があるように思われました。もちろん、ごく一部の教会の話でしょう。しかし、オンラインで観測するキリスト教/クリスチャン界隈においては「本当は喜んで教会に行きたいのに、もう教会に行けない」人々の痛みは明らかでした。
そして思いいたりました。羊たちの夕べが「教会」と名乗るだけで信仰の痛みから誰かが解放されるならば、「羊たちの夕べ」は教会になりたい。後ろ指をさされて笑われても、教会でありたい。そう思ったのです。もちろん「羊たちの夕べ」は、一般的な教会の要件を満たしていません。また、それらを軽んじてもいません。按手を受けた牧師を置き、聖礼典を執行し、日曜礼拝の時間を確保し、教会員名簿をつくることは、インターネット上の共同体や礼拝経験においては高いハードルのある話です。
しかし、私たち「羊たちの夕べ」は、要件を完備する「教会」を目指しているわけでもありません。「礼拝に出たいけれど出れなかった」「教会へ行きたかったけれど、行けなかった」と、いま、今日この瞬間に落胆する人々の必要に応えたい。不完全で部分的で、行き過ぎた願いかもしれません。それでも、聖書の話をしたい、神様について共有したい、というオンラインの叫ぶ痛み、その破れ口に立つ者になりたい。「羊たちの夕べ」は、そんな人々の、私たちと皆さんのエマオ途上の休憩所、星空を見上げたヤコブの石枕になりたいと思うのです。
すでに「羊たちの夕べ」四年間の歩みは、牧師がいないだけの教会のようにも見えます。週一回の集会、信徒による聖書のお話、互いのためのお悩み相談。たしかに聖礼典は執行されていない。否、神学的に、教会論として、執行できないと考えている。しかし「羊たちの夕べ」は、実態として「教会」となっている。そう考えるからこそ、「教会」と名乗りたい。なぜなら「羊たちの夕べ」もまた全時空をつらぬくキリストの身体、教会の一部だからです。
それゆえ「羊たちの夕べ」という活動が、そもそも教会と呼ばれるべきか否か、についても判断を保留したい。究極的な意味で、人間にその判断ができるとは思えないからです。
「羊たちの夕べ」足袋田クミとしては、この場を「教会」と呼びたい。つまり、皆さんと教会をやりたいのです。「羊たちの夕べ」に集う皆さん、一緒に教会をやりませんか。精一杯のお誘いとして、あなたの心に直接話しかけています。この場を教会と呼びませんか。
足袋田クミと配信メンバーは、それぞれ教会だと思うものを、この場に持ち寄ります。ポトラック・パーティのように、皆さんも、あなたが思う教会らしさを「羊たちの夕べ」に持ち寄ってくれませんか。見に来るだけ、こっそり聴いているだけでも「羊たちの夕べ」は大歓迎です。そして、いつの日か、そんな教会らしさの欠片を皆で集めてみたら「羊たちの夕べ」もまた教会になっているはずだと考えるのです。
誰かが教会を必要としている。しかし少なくともオンラインのキリスト教/クリスチャン界隈では、その必要が満たされているとは到底思えない。また混合・変化・分離・分割し続ける、歴史的教会の形を、ひとつの教会や教団、教派が持ち得ているとも思えない。完全な教会など存在しない。
だから「羊たちの夕べ」は宣言します。いつでも、誰でも、大歓迎です。もし私たちが持ち寄るものが、誰かのためになるならば、それでよし。精神的・肉体的・社会的困難を抱えながら「教会に行きたい」という気持ちをぶつける先がないなら、ここに的があります。どうぞ、その思いをお示しください。打ち返せるかは分からない。受け止め切れるかは知らない。でも「羊たちの夕べ」には、来て、その思いを見て、聴いて、触れる誰かが、私たちがいます。
返す言葉が見つからないかもしれない。でも聞く耳はある。銀の弾丸を持っているわけではない。でも一緒に悩むくらいはできる。貸せるような金はない。でも方策を考えることはできる。どうぞ「羊たちの夕べ」にお越しください。建物はなくても人が居る。触れられなくても繋がっている。 今からここは教会です。 あなたをお待ちしておりました。
さあ、教会を始めましょう。
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