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そういえばエッグタルト@香港
北海道のエッグタルトが世界で一番美味しいと思っていた。
それは揺るぎない真実だった。
香港に行くまでは。
実家ではよくエッグタルトを食べた。
よく、というほどでもないが数ヶ月に一度、エッグタルトで乾杯する夜があった。知り合いにもらったり、お出かけついでに買って帰ったり、オンラインで取り寄せたり。エッグタルトは日常の一部だった。
なにしろ北海道にはローカルなお菓子メーカーがたくさんあって、豊かな大地に育くまれた卵と牛乳で夢のようなスイーツを次から次へと生みだしている。エッグタルトをメイン商品にしているメーカーは少ないが、例えばKINOTOYAとかマイコのマドレーヌとか花畑牧場とかニセコ高橋牧場とか、地元では有名な企業の多くがエッグタルトも作ってくれている。
中でもお気に入りがマイコのマドレーヌ。マドレーヌではなくエッグタルト。ややこしいがマイコのマドレーヌが作るエッグタルトが大好きだ。生地の砕ける感触、ほどよい甘さ滑らかさ。一番は卵がしっかり主役を張っているところ。あらゆる材料たちが同じパーティーに出席しながらも、主役は卵であることをみんながちゃんと知っている。そんなエッグタルトなのだ。
だから香港でエッグタルトを食べようなんて、考えてもいなかった。北海道の方が美味しいに決まってるんだから。
とスカしていた一日目。
無事にエッグタルトを食べることなく、小籠包やら馬拉糕やら芋圓やらを楽しんで安眠についた。
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そして二日目。
どういう流れだったか、二日目にしてやすやすとエッグタルトに手を出してしまったのである。美術館でさんざん歩いた後、疲れ切った身体を引きずって香港の街に繰り出したのがいけない。
「そういえばエッグタルト」
何かのはずみでぽつり。
思い出すはずはなかった、でもずっと言いたかったのかもしれない、禁断の一言。
口にしてしまった以上、もう後には戻れない。エッグタルトを食べ終えるまでは、もうその存在を掻き消すことはできない。
諦めて買ったエッグタルトはよりによってパイ系エッグタルトだった。これも運が悪かった。クッキー系エッグタルトだったら、北海道神話をなんの疑いもなく信じ続けられたのに。
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香港にはクッキー生地のエッグタルト(曲奇蛋撻)、パイ生地のエッグタルト(酥皮蛋撻)、ポルトガル式エッグタルト(葡式蛋撻)の3種類がある。おそらく『bake house』や北海道のエッグタルトは曲奇蛋撻で、『HashtagB』は表面のこんがり具合をみるに葡式蛋撻と思われる。
ホテルに戻って、食後にまだほんのり温かいエッグタルトを一口齧る。
さくッッ
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パイ生地に包まれたカスタードが一口齧ると蜜のように溢れてきて、慌ててかじるとまたサクッと音がしてまたとろける。あやうく溺れそうになった。
カスタードはとろりとしているがトロトロではなく、ふかふかのプリンのようで、残像をしばらく楽しめるのが良い。
そしてなんと言っても卵が、卵がヒロインだった…!
思わず横を見て友人の生存確認。特すでに遅し。彼女はもう完全に昇天していた。
ノックアウト。
完全になめてたぜ、香港。北海道ナンバーワンと胸を張りたいところだけど、ちょっとこのエッグタルトの前では背筋が伸びる。
ただ美味しい、というだけではない。香港で、長い時間をかけて培われてきた、確かな奥行きがあった。モダンにデザインされた箱や袋の背景に隠された、エッグタルトに託された香港のこれまでの道のり。人々が何世紀にもわたって受け継いで更新してきた、そう簡単に真似はできない、老舗の深み。
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香港の人が日常的にエッグタルトを食べているのか知らないけれど、調べた限り、香港のエッグタルトの歴史は長い。つまり、人々から愛されてきた時間も長い。
自由で先進的で人々の憧れだった香港が、この十数年間で辿ってきた激動の日々を想った。人々が自由を守るため、闘い続けた結末は絶望に近いものかもしれない。
でも例え抑圧されようと、支配されようと、きっとその自由意志は引き継がれていくだろう。
時代が変わってもブレることなく本質的なエッグタルトを守り続けられる人たちなんだから。
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巨大な高層ビル群の明かりに埋もれたホテルの一室で、何層にも折り重なるエッグタルトを食べた。香港の明日を願いながら。