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オールナイト・フォー@ベトナム

ベトナムのハノイで徹夜をした。
再試確実の試験の前日にすらしたことのない徹夜。隣のベッドから凄まじいいびきが一晩中鳴り響いていた。前回の「サンドイッチと呼ぶ勿れ@ベトナム」でハノイを雑踏と喧騒の街と称したが、ドミトリーの一室でもその喧騒は保たれていた。多少のいびき、という生半可なものではない。その破壊的ないびきはヘッドフォンの音量をマックスにしてノイズキャンセリングをしているにも関わらず余裕で貫通してくるのだ。イギリス人の女の子が何度かそのいびきの持ち主を起こそうとしてくれていたがその努力も虚しく、時は刻々と過ぎていく。シンディーローパーのAll through the night が脳内で流れ続け、何とか寝ようと格闘しているうちに朝の四時になった。流石に諦めて出かける支度を始めた。

相部屋の子のいびきがうるさすぎて一睡もできなかったというのに気分は意外にも晴れやかだった。寝たかったけど、まあいいいかと髪を結ったりしていると何だかおかしくなってきて、クククとヤモリみたいな笑いが漏れる。そんな健やかな精神をいつまでも大事にしていたい。

朝五時。
真っ暗なハノイにはもうすでに人がちらほらと一日を始めようとしていた。ベトナム人は朝が早いと聞いていたがそれは本当だった。繁華街のフォー屋さんにはすでに食事をしている人がいる。先ほど起床したようなおじちゃんと、昨日からずっと起きてそうなつぶらな目をした女性が同じフォーを啜っている。つぶらな瞳のまま、おぼつかない手でゆっくりと半開きの口にフォーが運ばれていく。彼女に不思議な親近感を覚えた。お酒は飲んでいないが活動時間だけで言ったら彼女と同じだ。こっちだってオールナイトしてるんだから。

オールナイト明けのフォーは、沁みるという言葉以上に適切な言葉見つからなかった。スープの澄んだ優しさが一口啜るたびに骨の髄まで染み渡っていった。絞ったライムの爽やかな香りが宙に舞う。少しずつ熱気を帯びる店内。扇風機の大きな風が頬を撫でる。

ああ、気持ちいいな。

風が吹くたびになびく前髪をそのままにしながら、素直な呼吸を一つ、二つとくり返す。その心地良いリズムに体を委ね、静かに人々の往来を眺めた。店の奥からのぞくハノイはどことなく寂寥感を帯びており、そこはかとなく感じていた虚しさが込み上げてくる。つい先ほど、夜が明けるまで暇つぶしに読んでいた本の言葉が蘇ってきた。

「生きていることと、死んでいることは、もしかしたら同じことかもしれない」

錦繍/宮本輝

誰しもが死にむかって、喜びと哀しみの間で揺れ動きながら、懸命に一日一日と歩を進めている。それは死んでいくことで、また生きていくことでもある。例えどんな歩みであろうとも、それ自体に意味があるんだと大好きな人たちを見て思う。そして今この瞬間も、死んだ後も魂は同じ光であって、この通りを過ぎゆく人たちの生も死も、宇宙にとっては例外なくかけがえのない…

と思ったところで我に帰った。あぶないあぶない、またどこかへいくところだった。人は寝ないとこうになるのか。

食べ終えたフォーをもう一度手繰り寄せてスープを一杯口に含んだ。オールナイト後の独特の虚しさや胸の内にささやかれる諸行無常を、フォーが包み込んでくれた。はじまりの朝に、長い夜の果てに人々を癒すベトナムのフォー。全てを浄化してくれるような、どこまでも広がりゆく海のような、深い深い優しさがあった。


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