マワリテメクル森の再生~自然本来の流れが動きだせば自ずと整う~を知った日
清里にある竹早山荘での森の再生プロジェクト!
期せずして琴線に触れる体験に今思いを馳せても心あたたまる♡
スコップを手にし”森の再生”の為にどこをどのように作業するのか
その”指示”を期待し、学び持ち帰る”講義”に慣れている私たちにとって
その言葉に困惑しにわかに立ち尽くしても不思議ではない
森の再生に携わる高橋利和さんは、まるで自身をすーっと森に馴染ませるかの如く存在し、ごく自然に言葉をすすめる
何かを説明しているときも、森から意識を離すことはなく、静かに、
ごく自然に大地と呼吸をあわせ続けている
その佇まいから、森や大自然に対する畏敬という心
その本質にふっと触れられた気がした
剥き出しの土には、剥き出しになってしまっている原因がある
たまたま枯れ葉がおちていないのではなく留まれない!のだと!
やがて土は深部まで固くなり自ら再生ができなくなる
そんなことは考えたこともなかった
自然本来の循環にある土は、水を含み呼吸をしている
そこには健やかなるものが有するふわっとした空間がある
そこに舞い降りてきた落ち葉は、空間と空間の間で互いに呼吸しあい
心地よく重なり合って留まっていく
そして微生物たちとの共生が始まる
落ち葉がたまらないには理由があった
そして思った
表面から見える症状としての肩こりや痛みは
酸素や血の流れが滞ったむき出しの土と同じ
固いからといってそこを叩いたり掘り返したりしても
(したくなるのが人間のサガなのか・・・)
根源的な解決には一切なっていない
その暴力的ともいえる行為に土(体)は荒れ果てるだろう
存在あるものには、めくるめく本来の循環というものがそこにすでにある
それを大宇宙というならば、人間の体には同じように小宇宙がある
その本来の流れを感じることなく、信ずることなく、呼吸をあわせることなく手を施したらどうなるだろうか
”余計な手をいれるな”
体からそんな叫びが聞こえてきそう
幸運にも私は師である駒川先生*からその境地を学び進めている
たっぷりしっかり施すことが満足度に繋がる一般的セラピーの傾向から
”体の声を聴いた必要な打ち手”に変わりつつも
文字通り”打ち手”という技の領域の中でもがき、小宇宙の中の自然な流れを塞き止める原因をつきつめようとする思考の支配からは解放されていない
本来そこにある流れに呼吸をあわせ、意識をあわせ、その流れを感じ一体となることで自ずと整っていくものなのだと
言葉にならない”その境地”を 駒川先生が可能な限り言葉にかえ体現される中で、私たちセラピストは”その在りよう”に気づきを得ながら
目下進化中!!なのである!
森の再生師でである利さんが、言葉を越えたところで言わんとしていることが、進化中の心にズコンと刺さり響きひろがり、人間存在を含む宇宙の法則の糸口に触れた気がして心が躍った
何事も”熟練”していくことは必須だけれど
その入り口は技術ではなくハートにあるということを
この森の再生プロジェクトで改めて体得した・・といいたい!!な
変化を感じないと何かが足りてないのではと手を打とうとする人のサガ
ハートから離れた思考だから闇雲に動いてしまう衝動
表層からは見えない深層で起こっている”何か”を信じ
心を合わせ”その時”感じていこう
*
竹早山荘敷地内に水が枯れてしまった池があり、2020年の秋から”息吹を招く手”入れ始めたそうで、
数日経つと微かな変化がおこりはじめ、その変化をみてまた最小限の手を入れる。半年たった今、池には湧き水がもどり、小川のせせらぎも美しく、生命も宿していました
・・・自然の力・・・
本来、大宇宙にも小宇宙にも備わっている”本来の機能を取り戻そう”とするごくごく当然の治癒の力に対し、私たちができること、すべきことは、
本当に”最小限に見極められた愛ある手”
なのであると心に沁みた出来事でありました。
精進いたします・・・!
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森の再生
草の存在の大きさを知った日!!
音声配信です♡
*
竹早山荘
IAM 駒川先生
https://www.iam-assoc.jp/komagawacolumn/blog/610/
濱田 奈美 ソリスト達のアトリエ~Flowering-mind Trifina~主宰
癒しソリストとして、広い意味での”癒し”にかかわることライフワークに、誰しもに内在している”魂のソリスト”開花への道をサポートしつつ共に歩みすすめています✨