【劇場版】ヴァイオレット・エヴァーガーデン 考察 、本編の流れ
2020年9月22日(火) 5:55更新
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皆様、いかがお過ごしでしょうか。2020年9月18日(金)に、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が、京都アニメーションより全国の劇場にて公開されました。劇場版公式サイトでの拡散数は現時点で1,915,000件を超え、ファンからの平均評価は☆5を獲得しております。
今回は、劇場版を観た後の"考える場"として考察をさせてください。皆様の想い、制作者様の想い、そして、キャラクターたちが魅せる想いが結ばれるような場となれば幸いです。皆様からのコメントをお待ちしております。
ご注意
(本記事は、劇場版の考察記事ですので、ネタバレを含みます。劇場版をご覧になっていない皆様は劇場版を観劇したのち、ここで皆様と想いを募らせることができれば、幸いでございます。また当方、劇場版のあらすじも執筆させていただいておりますので、こちらをご覧になってから劇場へ足を運んでくだされば嬉しいです。)
マグノリア家の子孫の物語から始まる
ヴァイオレットがアニメ第10話で出会ったマグノリア家の当主クラーラと、その1人娘アンの子孫の物語で幕を開ける。登場するのは、アンの孫にあたるデイジーとその両親で、アンの葬式があったと劇中で描写がある。また、アンが幼少期に肌見離さず持っていた黄色の人形が登場し、アンが幼いときに両親を亡くしているとの描写もあった。デイジーは母が仕事(医者)を優先しているわけではないと理解していたが、仲が良かった母と祖母(アン)の関係を近くで見てきたからこそ、祖母に対する気持ちが薄いのではないかと、どこかで冷たい態度をとる自分がいた。
亡くなったアンが大事にしていた50通の手紙をデイジーが眺めていると、切り取られた古い新聞の記事を発見する。そこには、ライデンで当時話題となっていたドール、CH郵便社のヴァイオレットの記事が書かれていた。
デイジーはヴァイオレットのことを知りたいと、しばらくライデンへ行くとの手紙を両親に残して、1人でライデンへ向かう。このときにはもう、CH郵便社は博物館として寄贈されており、郵便の仕事は国の事業になっていた。博物館には、当時、CH郵便社で受付をしていたとされる女性が係員として座っており、デイジーと切手について会話をするというシーンがある。切手はエカルテ島で発行された切手ということを知り、デイジーはエカルテ島に行く決心をする。
物語の結末では、雪が降る季節に船に乗ってエカルテ島に向かうデイジーの姿があった。ヴァイオレットは、18歳の年にCH郵便社での仕事を止め、エカルテ島で郵便業務をこなしていた。デイジーの時代には、エカルテ島の郵便業務は灯台ではなく、町の通りに移転して行われていた。成人の男性が全く居なかったエカルテ島だったが、男性が居住するようになり、郵便業務を行っていたのも男性だった。デイジーは、博物館でみた切手のことをその男性に尋ねると、これはCH郵便社の特別切手であることを知った。切手には、鞄と傘を持ったヴァイオレットが描かれており、ヴァイオレット色の切手だった。
(考察)
ヴァイオレットの物語へファンを引き込ませる見どころをつくった京都アニメーション、TVシリーズで一番感動した第10話の物語を劇場版に取りこんだことで、冒頭から感動せざるを得なかった。また、人形が登場してデイジーがアンの子孫であることを理解したときの鳥肌は今でも忘れられない。デイジーの風貌も幼い頃のアンに似ていたので、その描写だけでデイジーがマグノリア家の子孫であることが分かった人もいるかもしれない。また、TVシリーズ第1話で、ヴァイオレットが入院していた施設にも同様の人形があったが、それについては赤い人形であったため、今回登場した人形とは異なるものである。ホッジンズが退院祝いで子犬の人形をあげていたことから、当時の子供のおもちゃといえば人形が主流だったのだろう。
切手の話をところどころに散りばめることで、時代が変わってもヴァイオレットの存在は消えることなく、永遠に残り続けるものであることを伝えてくれた。そして、私達の心からもヴァイオレットの想いや存在、優しさを消さないで欲しいという作者の想いが込められている気がする。
ライデンでの歌唱祭でエリカと会う
ヴァイオレットは、手紙の代筆や恋文、劇作家の助手、ドロッセル王国とフリューゲル王国の戴冠式におけるダミアン王子の宣誓文の代筆などの実績から、ライデンでの歌唱祭で海の賛歌の執筆を推薦された。お店を見て回るアイリス、ベネディクト、ホッジンズ、ヴァイオレットの4人は、CH郵便社を退社したエリカと出会う。エリカは、TVシリーズ第7話でヴァイオレットが出会った劇作家オスカー・ウェブスターの弟子として新作劇の仕事を担っていた。また、1週間後にはエリカが考案したお芝居を催すことになり、それに4人を招待した。ホッジンズは、「強く願うと、想いは叶うものだな」と言うが、それに対してヴァイオレットは、『強く願っても叶わない想いは、どうすればよいのでしょうか』と答える。今もなお、少佐への想いは変わることがなかった。
(考察)
まず、時代はヴァイオレットがCH郵便社に勤める最後の年ということがわかる。外伝のエピソードの後半で、テイラーがライデンに来てから数カ月後の物語であることがわかる。(ヴァイオレットが18歳の年、この歳にヴァイオレットは予約分の仕事を終え、エカルテ島へ移住したという内容あり)
エリカに招待された芝居を見に行ったのは、アイリス、カトレア、ベネディクト、ホッジンズの4人で、ヴァイオレットはその場にいないという描写が作品の結末に存在した。このとき、ホッジンズはその場に居ないヴァイオレットに対して声をかけるなどと、ヴァイオレットに対する想いが少なからず存在していたことが見受けられた。(この内容については後述する)
また、TVシリーズ第13話で、航空祭の手紙を誰宛に書いたかを話すシーンでエリカがベネディクトへ好意を持っていることが判明したが、本劇場版ではあからさまにエリカがベネディクトへ好意があるという描写はなかった。エリカはベネディクトと対面するが、他の同僚と同様に接するため、一段階上のステップへ進み、自分の変化を受け入れていたように感じた。
(自分の意見)
エリカが自分の夢を掴むために、ヴァイオレットの前に立ち、自ら決断してオスカーに願いを乞うシーンは、"夢への第一歩"、そして、"0から1を実現する力"を感じることができた。やりたいことはあるが、はじめの一歩を踏み出すことが本当に、本当に難しいと悩んだことがあったため、エリカの勇姿を見て、大変大きな勇気をもらったような気がした。そして、自ら決断して前に進んだ者は成長し、堂々たる人間へと変わっていくことができるのだと認識できた。(エリカは前髪を上げ、ハキハキと話し、とても大人びた雰囲気を醸し出していた)
時代の変化 と 心の変化
ホッジンズは、最近始めたというテニスにヴァイオレット、アイリス、カトレアを誘うが3人は用事があると断る。このシーンでは、テニスが普及するような新時代へと時代が移り変わっていくことを描写していた。さらに、ガス灯が電気へ、手紙が電話へ、そして電波塔がもうすぐ完成するという表現より、新たな時代へ移り変わり、暮らしが変わる様子が描写されていた。また、デイジーがCH郵便社の博物館に行き、係員とデイジーが並んだ際に、2人の足元を写す描写があり、デイジーがもの新しい白いソックスを履いていたことにも時代の変化を意味づけしてあるように感じた。
ユリスの場面では、大切な友人リュカに向けて手紙を書くことはできなかったが、最期のシーンではリュカと会うことはせずに、電話を用いてお互いの気持ちを知ることができた。アイリスは、「少しはやるじゃん」と電話のことを評価する描写があり、時代の変化を受け入れるべきだと理解をしていたように思う。
それに対して、不変なものであるヴァイオレットの想い。彼女はギルベルト少佐の母、ブーゲンビリア夫人の墓参りに1月に1度訪れていた。そこで少佐の兄、ディートフリート大佐と会い、「ギルベルトのことは忘れろ」と伝えられるが、『忘れることは難しいです。(私が)生きている限り忘れることはできない』と変わらない想いを伝える。
そして、ホッジンズがギルベルトの筆跡を目にしたあと、ヴァイオレットにそのことを伝えに行く場面がある。ヴァイオレットは、大佐から譲り受けた本(ギルベルト少佐がお気に入りだった)を読んでいた描写がある。ホッジンズが、「確証はないがもしかしたらギルベルトが居るかもしれない」と伝えた際には、少佐に会えるかもしれないという期待と早く会いたいという想いが、表情にかなり強く表れていたように思う。
(考察)
”時代が変わる”、そして、”想いは変わらない”、という2つの焦点を対比させて物語が進んでいったため、想いが変わらないというメッセージを強調させているように感じた。
手紙は、想っていても伝えられない気持ちを伝えるもの。
電話は、直接話してありのままの気持ちを伝えられるもの。
時代の変化によって想いの伝わり方は異なるが、電話などが普及しても、手紙は永遠に消えることのない大切なものであり、現代でも想いを手紙で伝える重要さを忘れないでほしい、というメッセージを作品から感じ取ることができた。時代の変化で変わっていくことは多い。しかし、自分の素直な想いはいつまで経っても変わらないという重要なことに気づかせてくれたように思う。
ギルベルトのいままで と ヴァイオレットのこれから
インテンスの戦いで爆撃され認識票を落としたギルベルトだったが、人に助けられ、修道院の病院で目を覚ました。右目と右腕を失ったが、ギルベルトは生存していた。回復したギルベルトは少しの間修道院で仕事をした後、ライデンシャフトリヒには戻らず、あちこちを巡っていた。ライデンの敵国、ガルダリク帝国により占領されていたエカルテ島に1年前にたどり着いたギルベルト。エカルテ島ではギルベルトの名は捨て、ジルベールと名乗り、教師として生活をしていた。戦争前に住んでいた男性は戦争に行ったまま帰還せず、子供と女性、年寄だけが住む島だったため、ギルベルトは住民から慕われていた。
ホッジンズとヴァイオレットは、ギルベルトの筆跡を頼りにエカルテ島へ到着していた。ギルベルトが構うかもしれない、とヴァイオレットを止めたホッジンズは、1人でギルベルトと対面する。すると、ギルベルトは、「ヴァイオレットを不幸にしたのは私、会えない、もう二度と」と過ちを戒め、「ギルベルトは死んだ、年月とともに、新しい人生を邪魔しないでほしい」と過去を捨てた違う人生を歩むギルベルトがいた。
ホッジンズは、ギルベルトに「会えない」と言われたことをヴァイオレットに伝えた。ヴァイオレットは、どうしても会いたい衝動に駆られ、走ってギルベルトを探しに行くが、すでに町の仕事に出かけており、対面することはできなかった。
その夜、2人はギルベルトの家に向かった。扉の前に立つヴァイオレットは、『愛してるもすこしは分かるようになったのです。今では少佐の気持ちも少しは分かるのです』と伝え対面を望んだが、ギルベルトは「会いたくない、君にひどいことをした」と自分を戒め、扉を開けることはなかった。ヴァイオレットは感情的となり、土砂降りの中、走ってその家から離れていった。(地面を流れる水の描写では、1つの水の流れが2つに別れる描写があり、想いが2つに別れてしまうことを表しているように感じた)
その後、2人は灯台兼郵便局を訪ね、泊めてもらうことにする。ヴァイオレットは、ギルベルトの「会えない」という言葉を重く受け止め、感情を無にしていた。そこに、アイリスから "ユリス危篤" との信号が送られてくる。ライデンへ帰らないといけないと我に返るヴァイオレットだったが、ライデンへは3日かかるため、すぐには戻れないことを悟る。そこで、ヴァイオレットは、"ユリスと堅い約束をした3通の手紙を持って病院へ向かってほしい" とアイリスに依頼をした。アイリスはベネディクトとともに病院に向かう。ユリスは「(ヴァイオレットが)会いたい人に会えて僕も嬉しいよ」と人の幸せを喜ぶ言葉を届けてくれたため、ヴァイオレットは "自分の居るべき場所" 、"自分の存在意義" を確認できた。その後、ヴァイオレットは、『(ライデンに)戻って手紙を書く。少佐の声を聞けて、私はもうそれだけで十分です』と心を取り戻し、次の日にライデンへ戻ることを決意した。
次の日、ヴァイオレットは "愛する人へ送る、最後の手紙" を先生に渡してほしいと子供に託して、前に歩き出していた。
ギルベルトが町の仕事をしていると、兄ディートフリートと対面する。「帰るところがあるなら帰ったほうがいい」とギルベルトに伝えると、「ずっとここにいる」「ヴァイオレットを引き取るべきではなかった、楽しい時間を過ごせるような、美しいものを感じられるような、そんな時間を与えたかった」と自分を戒めるギルベルトに、ヴァイオレットからの手紙が届く。
親愛なるギルベルト少佐
育ててくれてありがとうございます。
生きるように、想えるように受け入れてくれてありがとうございます。
本、文字を教えてくれてありがとうございます。
ブローチをくれてありがとうございます。
あいしてるを教えてくれてありがとうございます。
私が生きる"みちしるべ"になってくれてありがとうございます。
私もすべての人にあいしてるを伝えたいです。
「皆、素直になれない」「お前は自由になれ」「行けよ」という兄からの言葉と、ヴァイオレットからの手紙を見て、本当の想いに気がついたギルベルトは、走ってヴァイオレットを探しにいく。
(考察)
ギルベルトの想いがわかりやすく表現されている描写があった。ヴァイオレット色に注目していればわかりやすかったと思うが、物語のはじめの方に、子供が「これはパンジーの花だよ」とギルベルトに伝える描写がある。さらに、エカルテ島ではぶどうの収穫を描写している。この2つの色については、どちらもヴァイオレット色をしており、ヴァイオレット本人と関係があるように解釈できる。
それを考察すると、ギルベルトは、当時のヴァイオレットへの想いが心から薄れていくことを表現しているように見受けられる。ヴァイオレットの容姿や雰囲気は覚えていても、月日が流れることで、ヴァイオレットを想う気持ちが変化しているのではないかというものを、物体に例えて表現しているように感じた。ぶどうを機械で下から上に送り出すシーンは、心の中からヴァイオレットを送り出すというイメージを描写していたのではないかと思う。
しかし、今までのはっきりとしない想いは本心ではなく、手紙を読んだ後の少佐は素直な自分を取り戻していたように見えた。それを手助けした兄ディートフリートも、劇場版ではとてもいい役割をしていたように思う。(ディートフリート大佐については、後述します。)
そして、ヴァイオレットの想い。今までずっと、ずっと変わらなかった少佐への想いは、さまざまな人に出会い、さまざまな想いに触れることで変化をはじめた。『声を聞けて、私はもう、それだけで十分です』と1つの答えを出すシーン、手紙を子供に託して振り返らずに歩いていくシーン。数年間、強く強く願い続けた想いを変え、自分の歩むべき道に向かったヴァイオレットは、人間として本当に強くなったのだと感じた。(私だったら受け入れられないと思います。) そして、このあと、ギルベルトとヴァイオレットが再開するラストシーンへと物語が進んでいく。
人形と言われた彼女が感情をぶつけるラストシーン
"愛する人へ送る、最後の手紙" を読んで素直になれたギルベルトは、ヴァイオレットが乗る船を目指して、急勾配な坂を全力で下っていく。ギルベルトがヴァイオレットの名前を叫ぶと、船に乗っているヴァイオレットのもとへ声が届き、ヴァイオレットは船から海に飛び込む。2人は月が照らす夜の海で再開を果たす。
「私は君の主人でも、上官でもない。」
「私は君にふさわしくない。傷つけてしまった。」
「それでも、今でも、君を愛してる。」
『私、私…』
「そばにいてほしい」
『少佐…』
「ヴァイオレット、泣くな。私も泣きそうだ。」
「君の涙を拭いたい。」
「お願いだ、顔をあげてくれ。」
『私…少佐を…少佐を…』
「愛してる。ヴァイオレット。」
「ずっとこうしたかった。」
(考察)
ギルベルトはずっと、ヴァイオレットにしてきたひどいことを心に留めており、それが原因で愛してるという感情を表に出すことができなかった。だが、ヴァイオレットの手紙により、素直な気持ちをヴァイオレットに伝えることができた。
そして、ヴァイオレット。彼女については、今まで見せたことのない表情を見せる。TVシリーズ第10話で見せた涙とは異なり、これこそ人間だというほど、顔をグシャグシャにして泣くヴァイオレット。人形と呼ばれた少女の姿はもうそこにはなかった。ずっと大切にしてきた変わらない想いを、頑張って少佐に伝えようとするヴァイオレットだが、なかなかそれを言葉にして伝えることができない。膝をトン、トンと自分自身を励ましている姿を見て、感情移入していたファンらは号泣したはず。きっと、ヴァイオレットも『少佐を愛してる』という言葉を伝えたかったのだと思う。ギルベルトがヴァイオレットを抱きしめ、「ずっとこうしたかった」と伝えラストシーンを終えるが、切実に、ヴァイオレットに幸せになってほしいと思うラストシーンだった。
(おまけ1)クラウディア・ホッジンズの強い想い
今作では、ホッジンズがヴァイオレットを想う描写が数多く存在した。
ヴァイオレットがブーゲンビリア一族の船に行こうとしたときに、「俺も一緒に行こうか」と尋ねるシーン。(ここでは、ヴァイオレットが、「心配、同情、過保護はいりません」とユリスが言っていた言葉を使い断った)
ギルベルトの筆跡を見つけたあと、そのことをヴァイオレットに伝えるシーン。(そのことを伝える前、ホッジンズは手を強く握る描写あり。)
エカルテ島で、ギルベルトと会う前にヴァイオレットに「ここで待ってて。」と伝えるシーン。(ヴァイオレットが『待ちます』といった後のホッジンズの不自然な目の表現、嘘をついているような…? ごめんねと心でつぶやくような?)
ギルベルトの家の前で、ヴァイオレットと対面しなかったギルベルトに対して「オオバカヤロウ」と叫ぶシーン。(今までのヴァイオレットの想いをすべて受け止めていたホッジンズだからこそ言えるセリフ。ヴァイオレットがどんな想いでいたのか知らないくせに、ふざけるな。というような思いがこもっていた気がする。)
エリカの芝居を観に行ったとき、そこには居ないヴァイオレットに対して話しかけるシーン。(ベネディクトにいじられる。)
(考察)
いままで、自分の子供のように成長を見守ってきたヴァイオレットが、自分の元から離れていってしまうことが悲しく、寂しいという想いが伝わってきたように思う。特に筆跡のことを伝えるシーンでは、このことを伝えてしまうとヴァイオレットが離れていってしまうかもしれないと手を握って躊躇うような表現、そして、ギルベルトに会うシーンでは、自分の想いを優先してしまったことについて、ごめんねと伝える不自然な目の表現があったように感じた。
この他にも、気になる点を挙げてみると、
TVシリーズ第13話で未来の娘に対して手紙を書いていたシーン。劇中でヴァイオレットがなんの報告もなしに大佐の船に行ったときに、女の子の子供はきついというシーン。死んだカマキリを見て驚き、男の子の子供も神経がもたないというシーン。
TVシリーズ第13話の手紙の内容は、「祈ってる。君がすくすく育つことを。幸せになることを。誰かを愛し、愛されることを。」である。手紙については、ヴァイオレットに関連する言葉であるのを少しだけ感じとることができるため、ホッジンズはヴァイオレットに対して、愛くるしい想いが芽生えていたのかもしれない。
(おまけ2)ディートフリート大佐の想いをヴァイオレットが変える
落としたリボンをヴァイオレットに届けるシーン、船の上で体勢を崩したヴァイオレットに手を貸すシーンを見て、TVシリーズ第12話のディートフリート大佐とは異なり、少し雰囲気が和らぎ、優しいという印象を受けた。
大切な人をなくしたという同じ立場であるディートフリート大佐とヴァイオレット。ヴァイオレットが居たおかげで、大佐は、弟のことを忘れることはできないという自分の素直な気持ちに気づけたのかもしれない。(ギルベルトのことを忘れろといったことについてヴァイオレットに謝罪する内容あり)
また、ホッジンズが大佐を訪れた際にも「問題があるのは俺だ、すまない」と謝罪をしているため、昔の大佐とは違う想いを持っていたように思う。
(おまけ3)透明感のある物体の描写に注目
『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公開直前カウントダウンコメントにて世界観設定、鈴木貴昭さんがこうコメントしている。
〜完成した映像を見て驚かされることばかりのシリーズでしたが、今回はそれに輪をかけて特に水や雨などの透明な存在の描写に驚き、心動かされました。〜
透明な存在に注目して作品を見ると、ユリスの病院の前の噴水、病院の中の透明なボトル、ラストシーンの波の描写が際立っていることを発見できた。もう一度映画を見るファンの方は、ぜひ注目して目を凝らしていただきたい。
(おまけ4)TVシリーズ最終話の結末はどこに繋がる?
TVシリーズ最終話でヴァイオレットが依頼主の元へと向かうシーン。ヴァイオレットは、扉の向こうにいる依頼主を見て笑顔を見せる。そこにいたのは一体誰なのだろうか。
(考察)
ヴァイオレットがCH郵便社のドールとして仕事をするのは、ギルベルトに会うまでと、ギルベルトに会ってからの残りの予約分のみである。個人の意見としては、このシーンはギルベルトと再開した後の数ヶ月の間で起きた話であると予想できる。それは、今までの挨拶では笑顔を一度も見せたことがないからである。ギルベルトと再開したことで心に余裕を持つことができ、人間らしく仕事をする様子を表現しているのかもしれない。
一番難しい論点としては、扉の向こうにはどのような関係の人がいるのかということである。原作を読んでいない筆者であるため、確かな情報を伝えることはできないが、"瞳がギルベルトと同じ色"の依頼主に出会ったのかもしれない。(ぜひ、皆様の意見をお聞きしたいです。コメントをお待ちしております。)
(おまけ5)描き下ろし短編小説冊子「ベネディクト・ブルーの菫」
劇場版公開記念の入場特典として3種類の短編小説冊子をランダムで配布しておりました。そのうちの1つ、「ベネディクト・ブルーの菫」の内容について軽く触れます。
内容は、ヴァイオレットの同僚であるポストマンのベネディクト・ブルーの物語。ヴァイオレットに対する気持ちの変化。一緒に仕事をしてきて、どんな気持ちで彼女と関わってきたのか。そんな内容が書かれています。
結論を言うと、はじめは "人形" としか思えなかった少女に、徐々に愛情が芽生え、好意を抱くという内容です。
外伝のエピソードの他に、アニメでは登場していない、2人で食事に行く話や、同僚の結婚式の話が書かれています。
てっきり、ベネディクトはカトレアに好意を抱いているのではないかと推測していたので、この小説の内容は新たな発見でした。
キャスト & スタッフ
キャラクター
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 石川由依
ギルベルト・ブーゲンビリア 浪川大輔
ユリス 水橋かおり
リュカ 佐藤利奈
デイジー 諸星すみれ
クラウディア・ホッジンズ 子守武人
ディートフリート・ブーゲンビリア 木内秀信
カトレア・ボードレール 遠藤綾
ベネディクト・ブルー 内川昂輝
エリカ・ブラウン 茅原実里
アイリス・カナリー 戸松遥
スタッフ
原作
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
暁佳奈(KAエスマ文庫/京都アニメーション)
監督
石立太一
脚本
吉田玲子
キャラクターデザイン・総作画監督
高瀬亜貴子
世界観設定
鈴木貴昭
美術監督
渡辺美希子
3D美術
鴨ノ口穣二
色彩設計
米田侑加
小物設定
髙橋博行
撮影監督
船本孝平
3D監督
山本 倫
音響監督
鶴岡陽太
アニメーション制作
京都アニメーション
製作
ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
配給
松竹
主題歌
TRUE 「WILL」
ED曲
TRUE 「未来のひとへ」
挿入歌
茅原実里 「みちしるべ」
デイジー役とアン役に同じ声優(諸星すみれさん)をキャストしているのにも味があります。
まとめ
最後に筆者が感じた想いについてまとめます。
・ 伝えたいことはできる間に伝えたほうがよい
・ 時代が変わっても想いの伝え方を意識したい
・ 自分の素直な想いを大切にしたい
劇場版の最初と最後は、暗い道筋の描写があります。最初にはなにも映し出されませんが、最後には、その道筋の先にヴァイオレット・エヴァーガーデンが歩いているという演出になっています。この作品を見て、ヴァイオレットの想いが私達の人生の"みちしるべ"となればいいなと願っております。
ヴァイオレットが歩いた道が、わたしたちに、そしてその先にも続いていることを感じてほしい。
(脚本 吉田玲子)
(エンドロールで誰も席を立たなかったことが衝撃でした。そんな映画にはいままで出会ったことがありません。優しい世界が訪れることを期待しております。)
公式サイト および 特典
・『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』期待・感想投稿キャンペーン
・『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公開記念半券キャンペーン
・アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』制作風景 第1弾「総作画監督」
制作風景の続きはこちら!
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少しでも気になっていただけたら幸いです!今後もよろしくお願いします。