越中を代表する北前船の寄港地・伏木
岩瀬(富山)と並んで、富山を代表する港町・伏木(ふしき)。
岩瀬を巡った後に、列車を乗り継いでやってきました。
岩瀬を巡った様子はコチラ
高岡駅からは氷見線で伏木に向かいます。
藤子不二雄先生の出生地の縁もあって、忍者ハットリくんのラッピング列車を、氷見線では見かけることがあります。
沿線には…
雨晴海岸という非常に景色のいい所を通ります。
また、終点の氷見で魚を食べるのも、またいいです。
ただ、今回は伏木が目的地です。
氷見線で北に向かうと、小矢部川を渡ります。
富山県には南から北へと日本海に注ぐ河川が7本あります。
富山・岩瀬のある神通川は有名ですが、小矢部川は富山の中でも一番西側を流れています。
その河口にあるのが、伏木の町です。
古代には国府が置かれた場所であり、港町として発展してきた町でした。
江戸時代から明治にかけては、北前船の寄港地としても知られています。
十年ほど前までは、ロシアのウラジオストクとの定期便が出ていた港でもあります。(現在は休航)
伏木駅から向かったのは、北前船の廻船問屋の秋月家の住宅。
現在は資料館として公開されています。
伏木の川沿いの通りは、小矢部川と並行しているのですが、小高い丘の上に登る道は、入り組んでいて、初見では分かりづらいものでした。
階段の奥に見えているのが、ニシン釜。
江戸時代から明治にかけて、蝦夷地で獲れたニシンを現地で煮るために使われていました。
その煮たニシンを乾燥したものは〆粕(しめかす)と呼ばれ、かつては肥料として使われていました。
高岡は元々鋳物で有名だった町。
その鋳物は伏木に運ばれて、北前船を通して各地に売られていったのです。
秋月家の建物は小高い丘の上にあって、入船状況を見届けることができました。
この場所が元々船員の宿泊所だったこともあって、港の様子が見られるのは重要なことでした。
水運とともに生きてきた町だったことが伺える風景でした。
伏木は、この時はごく短い時間の滞在でした。
ただ、伏木も含めて氷見線沿線は個人的にはまた来てみたい場所の1つです。
そして、この時の立山連峰の様子が非常に印象的だったのを覚えています。
また、ここに来たいと。
ほどなく高岡を後にして、金沢へと向かいます。
【続く】
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