2月22日の「忍者の日」 伊賀上野に行ってみた
昨年の話になるのですが、2/22がニンニンニンで「忍者の日」に伊賀上野に行ってみました。
そこもかしこも忍びの者だらけです。
伊賀上野駅から市内に伸びる伊賀鉄道の車内の棚の上にいる忍びもいることがあります。
そのくらい「忍者」で推しているのが、この伊賀上野になります。
確かに、「伊賀」は、山を隔てた北にある「甲賀」とともに忍者は有名です。どうやら、伊賀の山中は農耕に向かない土地らしく、傭兵稼業として工作活動をする忍者が生まれたと言われています。
忍者もいいのですが、私の目当てはコチラ…
国内で最大級の高さを誇る、伊賀上野城の石垣。
大阪城と遜色ない高さの石垣です。
石垣の底の部分から測れないために、どちらが本当に高いのかは、わからないそうです。
伊賀上野城の石垣を見ていると、切石で丁寧に組まれています。
この城が築かれたのが、戦国時代も後期になって、ある程度落ち着いてからだという事情もあります。
最初は、秀吉の治世になってから筒井氏が築城しました。
関ヶ原の戦いを経て、江戸時代に入ってから、日本各地の城を建ててきた藤堂高虎が入城。
伊賀上野城のこの石垣は、藤堂高虎の時代になってできたものです。
筒井氏時代の城は東寄りで、あくまで東国から大坂に攻めてくる軍勢を意識していました。しかし、藤堂高虎の拡張により、この伊賀上野城の高い石垣は西側に、そして、天守閣も西側に建てられます。
大坂方面からの軍勢を意識した造りに変えられていたのです。
藤堂高虎から始まる津藩は、この伊賀上野と伊勢の安濃津城(津城)を抱え、東海道の要所を押さえる役割を担うことになります。
何度もJRで伊賀上野城の近くは通っていましたが、やはり距離があるだけに、その大きさや凄さはあまり伝わってきませんでした。
(それに今あるのは模擬天守ですし。)
でも、こうして間近で、築城の名手といわれた藤堂高虎の築いた石垣を見ることができたのが嬉しいのはあります。
伊賀上野城の石垣の上からのこの風景が見られるだけでも、心地良いものです。上野盆地を一望できるだけに、やはり、重要な場所だったのだというのが分かります。
伊賀上野の町の地図です。
伊賀上野城はこのように川に囲まれた丘の上に城が建っています。
城の北側は急な斜面になっているため、城下町は城の南側に広がっています。
その城のすぐ南、伊賀鉄道のすぐ北を通っている大通りが、伊勢の亀山と奈良とを繋ぐ、旧大和街道になります。
町の造りを見ても建つべき所に建っていると感じるのです。
伊賀上野の市内へは、JR・伊賀上野駅や、近鉄・伊賀神戸駅から伊賀鉄道に乗り換える必要があります。
JRに関しては、1時間に1本程度しか伊賀上野駅に来ないので、来る際には計画的に。
関西本線自体、景色はいいので、のんびりとローカル線の旅をして来るにはいい所だと思います。
忍者・城と戦国期以降の歴史が好きな人なら、色々見所がある街ですので、少し足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
あの伊賀上野城の石垣からの風景はやはり気持ちいいですよ。
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