煙に巻かれて。 プロローグ
光一つも射さない暗がりで、男が喋った。逃げ場所のないそこでは、声はとてもよく響いた。
「今日も、いい具合だった。完璧に、敷地の外に煤の一欠片も出さないで燃やしてやったよ」
「…………」
「なんだなんだ? 黙りこくって。完璧な仕事ぶりに嫉妬したか?」
男は上機嫌であった。子供が自慢するみたいな口ぶりで話している。ライターを取り出して、タバコに火をつけ始めた。
今日は特に完璧だった。男はそう考えていた。今までの集大成と言っても過言じゃねぇ。大きな箱の中にすっぽり入れて焼いたみたいに、四角い焼け跡になった。敷地面積を調べて、湿度、風の向き、強さ、油の質、どれが欠けてもこの焼き上がりにはならねぇ。
男は、満足そうに口笛を吹いた。その音も、この暗がりの中でとてもよく響いた。
「力はいるか?」
威厳のある不思議な声が、唐突に闇の中から聞こえてきた。天の叫びのような、地の唸りのような、この場所ではありえない響き方をしていた。
「急にどうした?」
いきなりの出来事に、男は戸惑っているようだ。タバコに火をつける行為も、うまくはいかない。
「力はいるか?」
同じ言葉を、声は繰り返した。
「……いらねーよ魔法なんざ。俺は俺の技術でやるんだよ」
「……そうか」
「本当にどうしちまったんだよ。こんなこと今まで言わなかったろ」
相変わらず、タバコに火はつかない。
「餞別だ」
「餞別? なんのだよ」
「…………」
声は答えない。
「なんなんだよ。ったく」
かちっ、かちっ、かちっ、ライターは軽い音を響かせるだけで、その使命を果たそうとしない。
「どうなってんだよ!」
その瞬間、タバコの先に爆発するかのように火が灯る。
「のわぁっ!」
男が点けたのではない。ひとりでに点いたのである。
「急にやめろよ。ビックリするだろ!」
男はその原因が声にあることを知っているようである。
「……三匹やる」
「は?」
「タバコの火代わりだ。三匹やる」
男が辺りを見ると、火の玉のようなものが辺りを飛び回っている。その動きには確実な「意思」を感じた。
「なんだよこりゃ」
「時間だ」
「は?」
「…………」
「おい! ……おい!!」
そこには、明らかな闇しかなかった。確かに先程までいた存在はもう、いないのである。露となったように。あるいは、煙になって消えたかのように。
男の加えているタバコから立ち上る、白い白い…………。
煙に巻かれて。