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098.物語の島へ旅する

2003.12.30
【連載小説98/260】


『儚き島』
徒然に重ねてきたこの手記も、まもなく連載100回を迎える。

文量で見ればかなり分厚い単行本に匹敵するボリュームだし、一気に読み返そうとすれば10時間程度を要するはず。
僕にとっては、ひとつの企画としては、本業の創作活動においても成し遂げたことのない長編作品ということになる。

にもかかわらず、この物語は、未だプロローグを脱していない段階だ。
連載を重ねる本人にして、ストーリーは始まったばかりとの思いが強い。

いや、どれだけ回を重ねても、この物語は今のような初期状態のまま終わることなく続くことを、僕自身が既に心のどこかで悟っているような感覚。

そう、地球の自転速度で地平線や水平線を追うのに似て、「その先」の結末は「期待」として消えはしないが、そこに到達することも叶わぬ旅。

それが、僕、真名哲也にとっての『儚き島』だ。

他エージェントの活躍とトランスアイランドへの貢献度と比べれば、こんな僕の営みは、極めて悠長な「異業」なのだろう。

ところが、広報エージェントのハルコがそれを「偉業」に変えようとしてくれている。

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「物語の島へ旅する」

ハルコはそんなコンセプトによるトランスアイランドのPR展開を考えている。

トランスプロジェクトにおける対外的な広報活動も2年の月日の中で大きく変化してきた。

開島前後は移民募集が目的。

落ち着いてからはツーリスト向けの観光PR。

マーシャル諸島やソロモン諸島との友好関係が生まれると、ポリティカルな対外広報。

最近では、各種プロジェクト立ち上げや企業との提携といった具体的政策発表といった具合に、広報活動の変遷から着実な島の成長を垣間見ることができる。

また、ここで付け加えておかなければならないのが、コミッティの方針により、全ての広報活動は量的な部分で意図的に抑えられてきたという経緯だ。

「南海の島で人類の豊かな未来を模索する」社会実験としてのトランスプロジェクトは、単に居住者や旅行者を受け入れることが目的ではなく、「価値観」の共有者をネットワークすることが本来的な目的であったため、対外的な広報活動やパブリシティに関しては、慎重かつ計画的な対応が重ねられてきたのである。

結果として間違った情報流通や大きなトラブルもなく、2年近い月日を重ねてきたわけだから、これまでの広報戦略は的確なものだったといえる。

そんなコミッティが専任の広報エージェントとしてハルコを迎えた背景には、安定してきた島政状況の中で、中長期的な次なる広報戦略が求められてきたことにあった。

表向きは島民やツーリスト誘致の広報活動の背後に、各種プロジェクトを効果的に推進する仕組みを内在させ、その中で価値観のネットワークという根源的ミッションを果たす戦略的広報。

それを達成するには、IT時代のコミュニケーションビジネスやメディア特性を熟知するプロの存在が必要とコミッティが判断したのである。

では、2周年会議の重要課題として議論が重ねられた結果決定した今後の広報方針と具体策を報告しよう。

「楽園」イメージが呼び寄せる要素に、時として「悪」や「毒」が混ざることは歴史の常である。

高度な「知的楽園」を目指しながらも、表層的なメッセージだけがメディアに露出することで、トランスアイランドに負の要素が流入する可能性は多大にある。

つまり、価値観のネットワーク獲得を目的とする広報においては、「間口」に対して「奥行き」をいかに伝えるかが大きなポイントとなるのである。

そこでハルコが提議した戦略が「間接的本質広報」。

「奥行き」の部分に点在するミクロの取り組みを露出することで、集積としてのマクロ(=島)のアイデンティティをアピールする戦略で、対外露出の前面に具体的活動を登場させる。

パーソナルな個々の活動が最初にあり、その連携によって社会は成り立っているという普遍的な基本構造を重視する広報展開であり、物量的パワーが成果に直結するマスメディア広報に対して露出効果は低いが、適切な情報流通を実現すれば質的に効果の高い広報が可能となる。

で、具体策である。

なんと、『儚き島』がその素材として活用されることになったのである。

今まで、この手記は島民のみを対象に「島の記録」としてストックされていくコンテンツであった。

ところが、今度はそれを対外的にオープンにすることで、読者との価値観ネットワークを構築していこうというのである。
具体的な実験企画として、日本の携帯電話会社との提携で、その名も『儚き島』という連載電子小説プログラムが3月頃にスタートすることになっている。

僕にしてみれば、連載当初に重ねていた各種トランスアイランド解説に対して、かなり私的な日々の活動や雑感を記す方向へと、この手記を転換していたので、幅広い読者向けの広報に耐えうるか不安を感じる部分もあったのだが、ハルコ曰く、そこが「間接的本質広報」の目指すところらしい。

『儚き島』を読む読者個々が、同じ時間を生きる遥か南海の島に暮らすひとりの男の日々を伺うことで、自らの日々と心中、さらには社会や地球のことを再考する機会を得る。
その結果としてトランスアイランドへの旅が生まれ、そこから幾人かの島民が生まれる…

そんな連鎖のスタートとして、まずは掌中の物語の旅があることに意味があると彼女は強調する。
(そういえば、僕自身、第65話で「手記の持つ物語性」と題して同様のことを「内なる島」と「外なる島」の関係性の中に記していた)

そう、僕はただ僕の旅を続けるだけでいい。

その思索をテキストにしてアップし続ける行為が、日々他の誰かの旅と繋がれ、見えないネットワークとして拡大しているはずなのだ。

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『儚き島』は、僕がトランスアイランドと共にある限り、終わりなき物語だ。

いや、仮に僕がこの世を去る時が来ても、誰かがこの作業を引き継いでくれることで、永遠にピリオドが打たれることのないストーリーだと信じている。

終結が目的となる個別作品の創作活動を積み重ねる作家にとって、この営みのなんと楽しく愛しいことか。

そう、『儚き島』は生涯の友として、常に僕の傍に居てくれるのだ。

「物語の島へ旅する」というハルコのコンセプトに改めて感じるシンパシー。
それは、僕をしてトランスアイランドという優れたストーリーを旅するひとりであるという大きな自覚故なのだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

SNSもなかった当時、僕が『儚き島』で創作したかった世界観は、この回の後半に記した「『儚き島』は、僕がトランスアイランドと共にある限り、終わりなき物語だ」という部分に集約されていた感があります。

20年の時間を経て再度ネットワーク上にアップし続けるネット小説ではありますが、5年間暮らした島から出て他所での日々を重ね、20年後に舞い戻って再び5年間を費やす…という感じなので、この間もトランスアイランドは僕にとって地球の裏側で着実に歴史を重ねていた島なのです。

当時なかった概念としては「Society5.0」もありますが、サイバー空間とフィジカル空間が融合した社会が僕にとっては当時の日常でした。

僕はただ僕の旅を続けるだけでいい。

このコトバに込められた当時の「意志」は、今も変わらず僕と共にあります。
/江藤誠晃

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