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135.島で見た「光」

2004.9.14
【連載小説135/260】

不思議なミュージアム体験をした。

のどかな空間は日本における地方の小島の典型的な村落風情といっていい。

細い路地に人影は少なく、少し歩くと鳥居が見え、そこから石段を登れば町を小高い場所から見下ろす神社へと至るようだ。

その先さらに高いところに広がる残暑の空はまだ青く、潮風を受けて木々が揺れる葉音の向こうに微かな波音も聞こえる。

そんな静かな町のはずれに、周囲から独立した存在感を持って横たわる木造の建築物がある。
名は南寺、「みなみでら」と読む。

そこに感じる威圧感は、外装が真っ黒な木板によるものだからであろう。
そして、誰もがそこに感じる違和感の理由はしばらく外観を眺めればすぐに判明する。

この建物には窓がないのである。

裏手にまわると、この不思議な博物館のスタッフが待機している。
施設解説はいたってシンプルな以下のようなもの。

・このミュージアムに展示されているのは絵画や美術品ではなく「光」である。

・入館者は明かりを発する携帯電話や時計などのスイッチを切らなければならない。

・入館者は一歩その中に足を踏み入れたら、退館するまで沈黙を守らなければならない。

・外部光を遮断した施設に入ると、まず入り口側の椅子に腰かける。

・そのまま黙って前方に気持ちを集中させて待つ。

・個人差はあるが、視覚が闇に慣れてくると、数分で前方に「作品」が浮かび上がる。

・作品を視認したなら椅子から離れて前方へ歩み出て作品に触れてみてほしい。

その意味するところを半ば理解できないまま、僕は南寺の暗闇へと足を踏み入れた…

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一昨日、「大きくなり過ぎた島国」第4の訪問地である瀬戸内海の直島を訪れた。

岡山県の宇野港からフェリーで20分のこの島は県としては香川県に属し、南の対岸遠くに高松市が見える。

島の面積が7.8平方kmで、島民数は約4000人。

直島が観光地として年々その知名度を高くしているのは、出版や教育産業を展開するベネッセコーポレーションが1992年から取り組む現代アート活動の「ベネッセアートサイト直島」によるところが大きい。

1992年に安藤忠雄設計によるホテル&ミュージアムの「ベネッセハウス」が完成。

1998年には歴史ある本村地区を舞台に古い家屋を改修して空間をアート化する「家プロジェクト」がスタート。

今年2004年の7月には、同じく安藤忠雄設計で「地中美術館」が開館した。
(この新しい施設は、「自然と人間を考える場所」なる興味深いコンセプトで計画されている)

そして、僕が不思議な体験をした南寺は、「家プロジェクト」4施設の中のひとつだったのである。

では、続きを紹介しよう。

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後方にスタッフの気配が消えると、暗闇の中にひとり取り残される。

30秒経過。
上下前後不覚の空間に迷いこんだかの思いに囚われる。

1分経過。
瞬きをしても眼前の闇は不変で、ある種の恐怖感さえ沸いてくる。

2分経過。
いや3分?5分?
時間そのものから取り残され、4次元空間に浮遊しているような感覚。

やがて時間の経過などどうでもよくなったその時。
前方にうっすらと横長の長方形の「光」が浮かんでいることに気付く。

黒い空間に濃いグレーで登場したその「光」は次第に白みを増してくる。

誘われるように立ち上がって恐る恐る前へと進む。

10歩ほど進んだところで「光」に手が届きそうになり、さらに前へ進もうとすると、膝が壁にあたりそれ以上は進めない。

腰から上の前にはまだ空間が残り、手を差し出すのだが、それでも長方形の「光」には届かない。
ちょうど窓辺に立って外に手を伸ばし、虚空をつかまんとする状態のようだ。

手で触れること叶わぬ「光」を確認するまでに要する時間は3秒程度だったろうか?

気付くと僕はそこに背を向け、入り口目指して再び暗闇をゆっくりと歩いていた…

●●●○○

さて、今回の『大きくなり過ぎた島国』の候補地選定テーマは、ずばり「アート」だった。

「自然」に対する「人間」の営みとして、一方に「テクノロジー」が存在し、その対極として「アート」がある。

「無」なる「自然」に介入する「有」なる人工の営みである点においては「テクノロジー」も「アート」も同様であるが、そこには大きな違いがある。

「テクノロジー」に働く力が遠心力であるのに対して「アート」の方は求心力だ。

「テクノロジー」は大衆のために存在するが、「アート」は個人に帰結すると言い換えると分かり易いだろうか?

空間概念で見れば、「島」より「大陸」を選んできたのが「テクノロジー」であり、「島」であることにこだわり続けるのが「アート」なのだ。
(文明に背を向けタヒチにこだわったゴーギャンの生涯を引き合いに出した方がイメージし易いかもしれない)

日本という「テクノロジー」の「大陸」において「アート」で成り立つ「島」はあるか?

そんなテーマから選ばれたのが直島だったのである。

結果からいうと、南寺だけでなく直島の「アート」はその全てが貴重な体験だった。

島を「自然」から引き離すことなく人工化する方法として「アート」は有効だとの実感があった。
この手記を読む「貴方」も是非この島を訪れて、「自然と人間を考える」機会としてほしい。

僕からは、印象に残ったひとつの光景を紹介しておくことにする。

宿泊したキャンプサイトに近い海岸に、無造作に置かれた幾何学的なオブジェがあった。

流木や海草の流れ着く砂浜においては、本来「不自然」であるはずのそれは不思議な調和を保って存在していた。

そして、僕がそこを訪れた夕暮れ時、近くを散策する母娘の姿があった。

ふたりは流木や貝殻を集めているらしかった。

やがて幼い娘の方がオブジェに気付いて驚いたようにそれを見上げる。
夕陽に光る金属塊を前に、一瞬身構えた彼女は恐る恐るオブジェに手を触れる。

やがて、背後にまわってオブジェの穴から海を見たり、その穴に木片を出し入れしたりして遊ぶ瞳が次第に優しいものに変わっていく。

無垢な少女の目には人工の「アート」もまた流木のごときものなのだろう。
夕暮れの海岸に、もうひとつの「光」を見たような気がした。

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実は、直島は今、観光どころではないというのが実情だ。

日本列島を襲った台風16・18号の被害で多数の家屋が浸水し、通常の観光プログラムが提供できない状態なのだ。

紹介した「家プロジェクト」の1施設は見学不可となっていたし、僕の泊まったキャンプ場前の海岸はウッドデッキが崩壊し砂浜もかなりのダメージを受けていた。

「自然」の猛威の前に「人間」は無力だ。
天災の規模次第では、町も生活もそこに生まれた芸術も、全てが無に帰することさえある。

が、そこからまた再スタートを行うことで歴史を重ねてきたのが人類でもある。
いつかこの島を再訪する時、そこに新たな「アート」と「光」を見ることができるはずだ。

嵐が去った後の直島に思うこと。
それは、暗闇の「無」の中に静かに佇むことでやがて見えてくる光明があるということだ。
そして、「人類の営みとは全てそういうものなのだよ」と、南寺の「光」が暗に物語っていたような気がしている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

日本から海外へ飛び出して創作活動を重ねていた20年前。

つまり観光業界におけるアウトバウンドの仕事をしていた当時。
僕の周囲で「日本もインバウンド(訪日)観光市場を開拓しなければ…」という雰囲気が兆しとしては出てきていましたが、まさか20年後に輸入と輸出が逆転するかのようにインバウンド市場がアウトバウンド市場を上回るなど考えてもいませんでした。

この回で紹介した直島は極めて未来的で芸術的なデスティネーションが登場し、驚かされましたが、今や世界中から注目を集めるインバウンドの聖地です。

それも海外の富裕層が憧れる「アートの島」であり、安藤忠雄建築の美術館や直島のシンボルと言える作品である草間彌生の「南瓜」の存在は日本観光のキラーコンテンツです。

新たな安藤忠雄美術館が来年にオープンということで、これからも瀬戸内海の小さな島が世界各地から旅人を呼び寄せる装置になるはずです。

ところで、最近「日本のギリシア化」なる表現を聞くことがありました。
歴史ある国でありながら観光産業に頼り、財政難という喩えだそうです。

確かにインバウンド産業が自動車産業に続く日本第2の規模に躍り出たわけですから「観光立国」は大きな成果であるのですが、世界から見た際にその他に目立った分野がないということなのでしょう。

通過の「円」が歴史的な安さとなり輸出業であるインバウンドに頼らざるを得ないという状況は、僕の仕事がアウトからインへと大きく変容した実情に通じていますが、今、僕の目の前で観光ビジネスの地平線(水平線か)は巨大に広がった感があります。

その際たるテーマが「アート」です。
機会を見て披露してひきたいと思います。
/江藤誠晃

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