008.ノースイースト・ヴィレッジ
2002.4.9
【連載小説8/260】
子供の頃から地図を見るのが好きだった。
日常から飛び出して、鳥になった気分で人間界を見ることが出来るような気がするからだ。
今、僕の手元に一枚の古地図がある。
愛読している『ナショナルジオグラフィック』誌の最新号の付録で、「大日本沿海輿地全図」。
そう、伊能忠敬が作成した日本最初の実測地図だ。
日米に分散していた大小様々な原本と写しを、デジタル技術でひとつに復元したという。
忠敬はこの地図作成のために17年の歳月を全国踏破に費やし、その死後3年を経て、弟子たちによって全図が完成した。
1821年のことである。
結果として、見る者が鳥の目線を獲得することのできる地図も、それが出来あがるプロセスは、人が着実に踏みしめる大地への一歩一歩の積み重ねであるという事実。
航空写真や人工衛星のテクノロジーによる、詳細かつ正確な地図を入手できる現代の我々に、古地図が伝えてくれるロマンとはそんなところからきているのかもしれない。
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トランスアイランドの踏破?
実は、僕はそれを既に何度もこなしている。
サークルアイランドの道が整備されていて、その殆どがビーチ沿いの平坦な道だから、25平方キロのこの島は5、6時間もあれば周回可能だ。
つまり、トランスアイランド踏破は海沿いの気軽なピクニックで達成できるというわけ。
そして、定期的にそれを繰り返せば、ゆったりと成長していく島の変化を直に観察することができる。
この凝縮された空間性がトランスアイランドの魅力でもある。
では、ヴィレッジのレポートを記していこう。
まずは僕の住むノースイースト・ヴィレッジから…
ここは作家や詩人など、常に「言葉」と共にある人々が暮らすにふさわしい村を目指している。
コミッティによると、この「ふさわしい」とは、「何もない」ということだそうで、確かに他のヴィレッジに比べても、大きな建物や設備がなく、静かな時間が流れるコミュニティとなっている。
現在35人が暮らしているが、文筆家に加えて、学者や読書家など、孤独と上手く付き合える人たちが集っているようだ。
女性が目立つのもこのヴィレッジの特徴といえる。
さて、「言葉」という形のないものを扱う文筆家に最も適した住環境とは、心を開放し、集中して創作に向かえる空間だといっていいだろう。
その意味においてノースイーストの村は最高の場所である。
青い空と海、安定して北東から吹く貿易風、木々の緑と花や果実の原色たち…
変わらない豊かな島の自然の中に身を置くことが、そのまま心の開放へとつながり、創作に幅と奥深さをもたらす。
この環境ならでは生まれる「トランスアイランド文学」誕生に期待したいものだ。
そして、もちろん、僕もその潮流の中にありたいわけだ…
ところで、静かなノースイースト・ヴィレッジにも、刻々と変化する自然がある。
波だ。
北を向いて太平洋に面するこの村の海岸は、ビッグウェーブで有名なハワイのオアフ島ノースショアとほぼ同じ環境にある。
10~3月は、遥か北方のアリューシャン半島沖で発達した低気圧に端を発するうねりで波が高く、荒々しい海が目の前に立ちはだかる。
4月の今は波も少し落ち着いてきたところで、これからの季節は日ごとに海が穏やかになる。
ちなみに、南半球で発生するハリケーンやサイクロンのうねりが強まる6~9月は島の南部海岸の波が高くなる。つまり、波のリズムは島の南北で正反対なのだ。
内に向いては不変の常夏の島でありながら、外に眼を向ければ、彼方の季節循環を波の大きさで体感できる。
「変わらぬ自己と、移ろう他者」
なんとも文学的な空間ではないか、と思うのだが、いかがだろう?
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変わりゆくものと、変らないもの。
その双方に支えられて島はある。
いや世界も、地球も人類も皆同じなのだろう。
毎日のように島を歩いて、そんな当たり前のことを確認し続ける。
そしてこのノースイースト・ヴィレッジに打ち寄せる波のサイズが一巡すれば、僕の人生に、またひとつ年輪が加わるのだ。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
文学のデジタル化という難しいテーマに挑戦したものの、僕自身は極めてアナログな人間で、実のところ機械に弱いメカ音痴。マイクロソフト社主催のコンテンツ会議に出席しながらなんとか末席に留まることができたのは、IT系のメンバーと対局に位置しそうな文学論で未来を探究するポジションを得たからでした。
一方でマーケターとしてはかなりのキャリアを得ていた僕の基本スタイルは「モノゴトのシンプルな構造化」でマトリックス分析は慣れた手法。南北と東西の2軸で空間を4等分する島のコンセプト設計はそこから生まれました。
今では手にすることもなくなった方位磁石はかつて僕にとって旅に出る際の3種の神器のようなものでしたが、当時も今も僕にとって、文学は未来を模索するための羅針盤的存在です。
/江藤誠晃
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