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156.生きる活力

2005.2.8
【連載小説156/260】

昨日、僕は12時5分長崎空港発のORC便で福江島に到着する香山波瑠子を迎えるために路線バスで空港へ向かった。

つい1週間ほど前に初訪問者として降り立った空港に、今度は来客を出迎える立場で立つ。

こんな不思議なポジションを得ることができるのも「旅を人生の住処とする」僕ならではの楽しさだ。

そこに暮らす「生活者」では決してないが、ある程度の滞在時間を重ねたが故に既に単なる「訪問者」ではない、という中庸にして曖昧なポジションを僕は大いに好む。

観光という視点で見れば、迎える側の土地にとっては駆け出しのガイドであり、訪れる側の旅人にとっては頼もしい先輩といった感じだろうか?

何れにしても、先んじて旅したことで僕は五島列島と香山波瑠子の双方に対する観光エージェントを演じることができるのだ。

さて、今回彼女が福江島へやって来たのはほかでもない。
編集者として1年間の連載企画「大きくなり過ぎた島国」の総括を担当作家の僕と行うためである。

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実はこの連載がスタートした時点で香山波瑠子と僕はひとつの約束を交わしていた。

それは、現代の日本という国が抱える閉塞感や、その日本に対して僕たちが抱く物足りなさのようなものを6つの島への旅を終えた後に明確な言葉で結論付けようというものだった。

訪れた島々は6ヶ所。

●沖島(滋賀県)
●波照間島(沖縄県)
●中ノ島(島根県・隠岐)
●直島(香川県)
●神島(三重県)
●久賀島(長崎県)

選んだ島の条件は3つ。

1.島面積50平方km以内。
2.島民数1000名以内。
3.ツーリストによるアクセスが可能な観光地。

結果的に言えば、1年前の編集会議における選定作業は的確なものだった。
6島を旅した僕は、予想以上に現代日本を客観観察することができたからだ。
(編集会議については第103話)

島々における様々な気付きや思考は最終回を除いて既に雑誌面で記事化されているから、旅ごとの結論らしきものを残すことはできている。

が、それら全ての旅を経ての全体的結論というものを表現する場はない。
あるとしても雑誌上では「1年の取材を終えて」といった限られたスペースの表現に制約されるだろう。

そこで、連載終了に際して僕たちは顔をつき合わせて語り合い、「大きくなり過ぎた島国」にこんな結論を導き出した。

「生きる活力の弱化」

そう、個々が掛け替えのない一度きりの人生を生きるという「生命体」としての「活力」のようなものがあるとしたら、その国民平均値はここ数10年の間に明らかに低下・弱化しているという結論である。

人それぞれの活力を客観化しうる指標など存在しないから、この結論は極めて抽象的だと思われるかもしれない。

が、国家や社会とはそこに生きる個々の人生の総和である。

「生きる活力の弱化」が、病める現代社会を作り出したのだと断言することにしよう。

では、その「生きる活力」とは何か?

そこを最終訪問地となった久賀島で訪れたある歴史スポット紹介の中に説明しておこう。

今回の取材で僕が最も訪れたかった場所でもあるその場所は「牢屋の窄」。

1868年(明治元年)に久賀島全島のキリシタンが捕らえられ、僅か6坪の牢屋に200名以上が監禁され8ヶ月もの長期に及ぶ拷問を受けた場所である。

40人近くの殉教者を出したその跡地に、今は小さな聖堂と碑が建てられている。

この場所へのアクセス手段を記そう。

久賀島は北の方角を上に蟹の爪のような形をした太いU字型の島だが、「牢屋の窄」はその中心部の湾の奥深い場所に位置し、多くの島民が暮らす集落もその近くだ。

唯一の交通手段である福江島からの定期船は島の南西部に位置する田ノ浦港に到着するから、集落へはそこから険しい山道を越えて延々と歩かなければならない。

実際に僕もその道を歩いたが、島外からの物資に頼る島の生活においてはかなりの不便を伴う。
船から降ろされた積み荷を運ぶ軽トラックを数台見たが、自動車などなかった時代には外界と隔絶された島といってもよかったのではないだろうか?

が、これこそが「隠れキリシタンの島」を成り立たせていた空間構造なのである。

国家中枢から遠く離れた西国の、そのまた先の訪れるに困難な静かな島。
この閉鎖性故に長い禁教の時代を信仰が乗り越えたのだ。

と、この地を紹介すれば「生きる活力」の何たるかがおわかりいただけるのではないだろうか?

1世紀半近く前、日本に現在の3分の1程度の人口しか存在せず近代的な交通手段も情報ネットワーク網もなかった時代。

この島に禁じられた信仰を外界との交わり少なき中に何百年も守り通した島の民が存在したのだ。

彼らに内在するのは、逆境を恐れずに自らの信じるところを貫き通した「生きる活力」以外の何者でもない。

また、弾圧の側に立った人々も同様だったのではないか。

拷問そのものを許すことは決してできないが、時の権力に命じられて最果ての地に異教徒を追い続けた者たちもまた、自らの信じる国家や信仰と残虐行為の板ばさみに苦しみながら悲しい宿命の中に「生きる活力」を持ち懸命に日々を重ねていたに違いないのだ。

現代を生きる者たちは、そんな「活力」など意識することなく流されるように生きてしまう…

多分、「生きる」という行為自体が持つ根本部分の「重さ」を忘れてしまっているのだ。

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「大きくなり過ぎた島国」

このタイトルで日本国家をマクロ観察しようとした僕は、一方で相対的に弱化する日本人をミクロ観察したことになる。

「小さくなり過ぎた日本人」
である。

が、それでも僕の中には悲観に勝る楽観がある。

この1年間、日本の島々を旅する中で活力溢れる人々にも多々出会ったからだ。

「生きる活力の弱化」は国民の平均値においてであると上記した。
数値高き人が存在するならば、そこを基点に社会は生まれ変わればいいのだ。

高度ネットワーク社会においては方法次第で「生きる活力」さえも広く世界に繋ぎ合うことが可能だろう。

そのささやかな一例として香山波瑠子と共に重ねた思考の1年があったのだと、旅を終えるにあたって僕は考えている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

まだ、国内の観光プロジェクトが多かった当時、僕の仕事は特定のエリアの観光市場活性化に関するものばかりでした。

着地型のプラン造成やメディアの編集者・ライターとして「現場」を旅する日々を重ねていましたが、日本ではビジネス案件以外の地を訪れることは少なく、世界各地を訪れる旅行作家業のほうが刺激は別格でした。

そんな中、『儚き島』を使って日本国内の辺境を転々と取材する機会は「異国のごときJAPAN」とでもいうべき旅で、特に五島列島は特別でした。

秘められた世界史と日本史の交差点、とでもいうべき島。

今、インバウンド観光の仕事比率が増え「日本」というコンテンツを世界にどうプロモーションするべきか?というテーマが仕事の中核になっていますが、20年間にこんな旅を小説創作と共に重ねた時間は活かせれていると感じます。

ありがたいことに「生きる活力」は当時も今も僕の中で不変です。
/江藤誠晃


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