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note43: イスタンブール(2011.7.17)

【連載小説 43/100】

ボスポラス海峡。
西アジアのアナトリア半島と東ヨーロッパのバルカン半島を領有するトルコはアジアとヨーロッパにまたがる国家であり、そこを隔てているのがイスタンブールにあるこの風光明媚な海峡である。

一昨日、イスタンブールに到着して希望していたボスポラスパレスホテルにチェックインした僕は、モスクや宮殿、博物館など、この街を代表する観光スポットを一通り訪れたが、観光地としては何よりもホテルの前に広がるボスポラス海峡がお気に入りとなった。

午前は海峡沿いのカフェでたっぷり時間をかけて遅めのブランチ。
昼下がりには海峡を見下ろす高台へ散歩して写真を撮る。
夕方にはホテルに戻って窓辺から海峡の景色を観察。  
と、とにかくボスポラス海峡に身も心も一体化させてイスタンブール滞在を満喫している。

今日は午後の時間を海峡沿いのカフェを梯子しながら過ごしているのだが、ボスポラス海峡が何故こうも心地良いのか思いを巡らせていて気付いたというか再確認したことがある。

僕は世の中の“端”にその身を置くことが好きなのである。
いや、これは好みのレベルを越えて一種の性癖のようなもので、半生を振り返ってみれば小さい頃から常に気付けば“端”に居た。

小学校高学年の頃は友達と遊ぶよりも好んでひとり近所の裏山や空き地へ探検に出かけた。

中学や高校時代は窓際の席が好きで、先生の講義をBGMのように聞き流し窓から見える遠くの景色や空に浮かぶ雲を眺めていては怒られた。

大学生になると、時間を作っては一人旅に出かけた。
行く先は様々だったがバイクにテントとシュラフを積んで半島の先の小さな町や過疎の離島など、常に国の“端”や“隅”に位置する土地を目指した。

そして、日本という島国では“端”を目指せばそこには必ず海があり、海岸に座って水平線と向き合う機会を重ねることになるから未来の進路がおのずと海の向こうの異国に決まった。

そして“旅を人生に住処”とする日々を選んで四半世紀。
今ではトラベルライターなる職業を名乗ってそれなりのポジションを獲得はしているが、それも未だ見ぬ世界各地の“端々”を巡り歩き続けるための方法論でしかないのかもしれない。

ひとつの“端”を目指すことは旅の目的でありながら、常に次なる旅のスタートでもある。
地球は丸いから“端”はあっても“終わり”はなく、ゆえに旅は“永遠”なのだ。

ボスポラス海峡がかくも心地良いのは“アジアの終わり”という旅の達成感を水際で与えてくれながら、海峡を挟んだすぐ眼前に次なる旅のステージを見せてくれているからなのだろう。

残りのトルコ滞在5日間の全てこの海峡を前に過ごしてみるのも悪くないなと考えている。

しばし読書と散歩三昧の海峡滞在を過ごすことで、4ヶ月を越えた「SUGO6」の旅を振り返って心身をクールダウンさせ、まだまだ続く旅に備えるのだ。

ちなみに今日は「DICE ROLL」デーで次なる訪問地が決定するが、イスタンブールで終わるアジア大陸の次はヨーロッパ大陸ではなくアフリカ大陸の何処かになる予定だ。

「SUGO6」ルートは【イスタンブール→ルクソール(エジプト)→ナイロビ(ケニア)→ヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)→カサブランカ(モロッコ)→リスボン(ポルトガル)→バルセロナ(スペイン)】となっていて、ダイスの出目次第ではヨーロッパに到達することになるのだが、6大陸の全てに立ち寄るルールがあるから次のデスティネーションはルクソール・ナイロビ・ヨハネスブルグ・カサブランカの何れかになる。

今、アジアの“端”に来て眼前にヨーロッパを見ながら、あえて海峡を渡らずアフリカ大陸へ向かう、という旅のルートも悪くない。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年7月17日にアップされたものです。

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