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046.楽園年表

2002.12.31
【連載小説46/260】


『楽園年表』

いつかそんな作品を創作してみたいと考えている。
多分、それは僕の人生における最後の作品。

未だ見ぬ世界の輝きを、ひたすら書物の中に求めて乱読を重ねた若き日々。
物語を書く作家稼業に身を投じて、不器用ながらも自由を追い求めて世界各地を転々とした10年余。
偶然めぐり合ったトランスアイランドという小さな島での満ち足りた時間。
そして…

夢と現実、フィクションとノンフィクションが交錯するその私的紀行記をもって、僕は自らの執筆人生と精神の放浪に一旦区切りをつけ、おそらくその時点で辿り着いているであろう安住の地で、残る時間をただ自然のリズムに任せて過ごすのだ。

こんなことを夢想するのは年の瀬だからだろうか?

12月30日。
『儚き島』と題したこの手記も、2002年はこれが最終回となる。
(20時間の時差があるから、日本は既に大晦日だ。)

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ある意味で、今年の年末は、ここ数年で最も静かな年度転換なのではないだろうか?

1999年から2000年への移り変わりは、Y2K問題で世界中に緊張があった。
(もう忘れた人も多いようだが、コンピュータシステムが「99」に続く「00」に対応できないことから発生が想定された各種トラブルのことだ。)

2000年から2001年はミレニアムフィーバーで世界中が踊った。

そして、2001年から2002年…
やっと落ち着いて静かに新年を迎えるはずだった1年前、あの同時多発テロ後の特別な空気の中、人類は今までにない新たな緊張感と共に越年を体験した。
それは、ある意味で、人類が明確な課題のもとに「新世紀」を迎えた大きな契機だったといっていい。

つまり、今回の2002年から2003年への移行をもって、やっと人類は毎年繰り返されてきた本来の年度リズムに、自らのリズムを重ね合わせることができるのだ。

が、僕は違う。
いや、この島に暮らす全ての人もそうだろう。
何故なら、我らがトランスアイランドは、その歴史において初めての年末年始を体験するからだ。

そう、この世にどれだけ国家やコミュニティがあっても、そのスタートから存在し、最初の年度転換に立ち会える人などそうはいない。

実は、どこからか発生した、「新年のファーストサンライズを島民全員で見よう」という呼びかけが瞬く間に島中を巡り、全島民参加による初のイベントが、明後日の早朝にSE・ヴィレッジの東海岸で行われることになった。

イベントといっても特別なことは何もしない。
夜明け前に老若男女全てが集まり、一列に並んで浜辺に座って昇る太陽を静かに見ようというものだ。
(もっとも、ここで僕がこう記すこと自体がおかしい。現時点でこのイベントを知らない人はいないはずだし、参加しない人もきっといないだろう。)

民主的にしてプリミティブ。
これぞBLUEISMを具現するトランスアイランド的なイベントではないか。

明後日、きっと僕らは世界で最もハッピーな新年を迎えることになる。

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いつか僕がまとめる『楽園年表』には、どんな「楽園」が登場するのだろう?

例えば、16世紀にトマス・モアが『ユートピア』に求めた理想郷。
そのかなりの部分は人類の理知により、その後の都市の中に実現された。

例えば、19世紀にゴーギャンなどの知的亡命者が文明に背を向けて目指した野生。
そこに真の救いなどなく、文明からの隔絶による自由など人類には不可能であった。

そして、20世紀後半のリゾート文化。
洗練された文明の果実たる南洋の楽園においてさえ癒されなかった我々が21世紀の今に突入している。

多分、「楽園」は「此処ではない何処」にあるのではなく、今は僕らの心の中に隠れてある。
そして、それは同時に僕らの頭の中にも隠れて存在している。
(この「頭の中」というのが重要だ。)

だから、僕らはそれを求めて彷徨うのではなく、ただひたすら自身の中を観察し続ければよいのだ。
色とりどりの花を見るように、空に流れる雲を追うように、昇る朝日を見守るように…

ところで、日付変更線の東側すぐに位置するこの島は、世界で最もゆっくりと新年を迎える地だ。
日本からなら20時間遅く、ニューヨークからなら6時間遅れて…

この時間感覚がトランスアイランドらしくていいではないか。
新しい1年のはじまりの余韻に最後まで酔い、巡る太陽と最後まで語り合う民の住む島だ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

当時はそんな概念さえなかったDX(デジタルトランスフォーメーション)。
その定義は「デジタル技術を活用したビジネスの革新」ですが、小説創作という分野にDXがあるとすれば?

物語そのものが外部状況の影響を受けて流動的に変化する。
特定の書き手が存在しない、AIが誘導するストーリー。
多様な登場人物それぞれの物語が同時進行しながら同じ結論に収束する物語。

といったあたりでしょうか?

アメリカ発のヴァーチャルフィクション的作品を紡ぎたかった僕が5年をかけて生み出した『儚き島』は2020年の世界からバックキャストさせるかたちで未来を手繰り寄せる試みだったのに、気付けば世の中は2020年を超えて物語の設定そのものが崩れ、僕の中で不思議な古典のような存在になりました。

と、振り返る今がヴァーチャルな『楽園年表』に刻まれているとしたら、この回顧録は20年遅れのスピンオフ作品なのかもしれません。
/江藤誠晃




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