023.真の独立は何処に
2002.7.23
【連載小説23/260】
「自分たちの国を真の意味で“独立”させたい」
マーシャルからやって来た少年ジョンのメッセージを端的に表現すると、そんな独立の願いだった。
完成された文明国に住んでいると、その国家が独立しているか否かなどの疑いを持つことはないだろう。
が、21世紀を迎えた今でも、国家集団としての世界はまだ混沌としている。
今年の5月、オーストラリアの北にあるティモール島東部に21世紀初の独立国、東ティモール民主共和国が誕生したのは記憶に新しいし、大国信託領の独立移行や、分裂や統合による新国家誕生の可能性はまだまだ世界中にある。
マーシャル諸島共和国は1986年に独立しているが、その未来は財政的にも文化的にも前途多難。形としては独立した国家でありながら、その中身は未だ独立に程遠い。
しかし、そんな国の行く末に不安を感じ、何かアクションを起こさなければ、と本能的な部分で感じているジョンのような若者がいることをマーシャルは誇りとするべきだろう。
単身カヌーで、厳しい航海の末にトランスアイランドへやってきた彼の勇気は、そのまま、小国でも世界に対して何かができるというデモンストレーションに繋がっているわけだから…
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かつて、日本の地方公務員の友人から、都会集中型の社会構造の中で、「地方は人的教育赤字だ」という嘆きを聞いたことがある。
高校を出ると若者たちは都会へ進学・就職し、そのほとんどが地元に戻ってこないから、若者を教育するコストはインプットに対するアウトプットが少なく、構造的に赤字だというわけ。
同様のことを国家レベルで僕に語ってくれたのが、マーシャル諸島共和国議員のカブア氏だった。
昨年、ある取材の仕事でマーシャルを訪れた僕が、日本大使館を通じて政府に取材を申し込んだ際に、その窓口となってくれたのがカブア氏で、30数人からなる国家議会の中で主に教育や文化分野を担当する議員だった。
アメリカと日本への留学経験を持つ最年少議員の彼は大統領の信頼も厚く、次代を担うリーダー候補だと大使館が分析していたとおり、頭脳明晰にして、国の将来に明確なビジョンを持つ人物でもあった。
その彼が憂えていたのが、教育水準と進学率を上げる努力をしても、エリート層が米国へ行き、島に戻ってこないという若者の流出現象だ。
米国と自由連合関係にあるマーシャルの若者はアメリカに渡ることも、そこで学び、働くこともできる。
選ばれし若者には、文明国の技術や文化、思想をしっかりと学んでもらい、それを島に持ち帰ってもらおう、というのが本来的な目的なのだが、ひとたび文明を見た若者は祖国の現実を再確認し、半ば失望し、自らの未来を新天地に求めてしまう…
「ドルと英語、それにハリウッド映画は島の民に夢と未来を与えてくれたが、同時に、その未来が“何もない”この島には存在しないことを、露呈してしまったのかもしれない…」
カブア氏のそんな言葉が今も僕の耳には残っている。
インタビュー後、島や海を愛する者同志、いつか若者たちが夢と希望をもって新しい時代へ旅立つ航海の手助けをできたらいいですね、などと生意気な発言をした僕の手を握って、
氏は、「必ず」とやさしく、しかし力強く微笑んだ。
あの時点で、わずか1年後、ジョンという少年が僕らを繋いでくれるとは両人とも想像さえしていなかった。
が、僕は縁あってマーシャルに近いトランスアイランドという新しい島に移住してきた。
そしてそのことを彼にeメールで知らせていたことにより、彼は勇気ある少年の航海の先に僕という中継地を選んでくれた。
「マーシャルの未来を担うであろう、この若者の力になってやってくれないか?」
とだけ書かれた彼のレターは、交わした握手の感触が消えないうちに僕の掌に戻ってきたことになる。
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集中から分散。
それが21世紀、つまりはネットワーク社会の大きな潮流となるべきであろう。
「独立」という概念も然りである。
国家という集合体の独立も、その構成員たる個人の独立なくして成立しない。
言い換えるなら、個々の独立心がそろって初めて国家の独立は完成するということだ。
その観点からすれば、文明国も途上国も含めて世界は未だ混沌としている。
カヌー少年ジョンの独立は、僕の独立やトランスアイランドの独立に繋がり、さらには世界大の人類社会の真の独立にも見えない糸で繋がっているのだと思う。
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
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