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149.新しく深きハワイ
2004.12.21
【連載小説149/260】
非日常空間における知的余暇活動という意味での「旅」と「読書」の類似性。
機会あるごとに僕が強調してきた消費者市場におけるこの関係は、その生産者(発信者)の側にも成り立つのではないだろうか?
「観光開発」と「小説創作」の類似性ということである。
そこには舞台装置としての国や街がリアルであるかヴァーチャルであるかの差があるし、創作に費やす時間とコストは桁違いである。
が、大きなプロット(筋書き)に基づいて小さなパーツを組み立てていく緻密な作業という意味で両分野は非常に近しい。
「観光開発」とは街を舞台とするストーリー創作であり、「小説創作」とは空想世界における旅情開発なのだろう。
改めてそんなことを感じるのは、優れた観光作品?たるワイキキに居るからかもしれない。
先週の木曜にマウイ島における「ラハイナ・ヌーン」の集会に参加した僕は土曜にオアフ島へ戻ってきた。
今回は今週末までの少し長めの滞在になる。
(ラハイナ・ヌーンの詳細は第88話)
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この手記においても何度か記したと思うが、僕、真名哲也にとってハワイは特別な場所である。
「旅」や「島」「楽園」をテーマとする文筆と創作を重ねてきた半生において最も多く訪れたのがハワイの島々であり、トランスアイランドへ移住した2002年以前の数年間は、ワイキキに拠点を置いて日本とハワイを行き来していたからだ。
「旅を人生の住処とする」今の僕のライフスタイルにおいても、ハワイ(特にオアフ島)はトランスアイランドという内なる基点の世界から外なる世界へ旅立つ玄関口、もしくは精神のトランジットポイント(中継地)ともいえるべき場所であり、新たな意味で特別な場所となっている。
そして、来年は「ハワイ再見」の1年になりそうである。
理由が3つ。
ひとつ目は香山波瑠子からの依頼によるハワイに関するコラム執筆だ。
現在、彼女と取り組んでいる「大きくなり過ぎた島国」の連載企画は2005年3月で終了となるが、その後にコラムの仕事を引き受けてほしいとのオファーが来たのは先週のこと。
(連載の詳細は第101話)
日本の某旅行エージェントがハワイへのリピーター獲得を目的に来春開設する広報サイトに数人の「ハワイ通」がコラムを寄稿するプログラムが予定されているらしく、そこに加わってほしいという内容だった。
久しくハワイに関する創作をしていなかったこともあるし、最近着実に変わりつつあるハワイ観光に関してはテキストに残しておきたいことも多々あり、快く引き受けることにした。
ふたつ目の理由がTQシンガポールの活動。
同国政府観光局の対日観光誘致戦略ディレクターを務める僕にとって、ハワイという観光地はマーケティング活動上興味深い対象である。
日本の海外旅行市場における規模の大きさやリピーター層拡大のプロセスなど、先行事例として学ぶべきところは多いし、ハワイの強みと弱みを分析する中にシンガポールが目指すべき観光のオリジナリティーを客観視できるような気がするのだ。
(詳細は第143話)
そして、もうひとつの理由がトランスアイランドの観光開発。
具体的にはスタンと進める「ストリームライヴ」のための取材活動である。
島南部のスターライトビーチを舞台に夜空をカンバスにライヴなショープログラムを展開する「ストリームライヴ」。
この企画のソフト制作のために収集しているのが太平洋上の島々に残る数々の神話だ。
(詳細は第124話)
年明け以降、スタンと共に博物館や大学を訪ね、有識者や語り部などへの取材を重ねる地道な作業を行うことになっているのだが、今回の滞在でそのリストアップ作業を行っている。
以上、2005年の僕にとってハワイが重要な場所となる。
さて、これら3つの活動は舞台と目的が違いながらも、その根幹の部分で共通する要素がある。
ひとことで言うなら「史的アプローチ」だ。
創作活動における間口から奥行きへの視点移動と言い換えてもいいだろういう。
ハワイ観光に関して見れば、かつてのビーチ&ショッピングに代表される遊楽ツーリズムから伝統文化を見直す懐古性強きツーリズムへとその軸足が着実に移行してきている。
ここ数年、フラの文化や伝統食、民俗遺産や各種ミュージアムなどの情報が旅行雑誌やパンフレット上を飾るようになってきたのが顕著な例だろう。
それらは総じて「ディープなハワイ」と形容され、新たなハワイツーリズムとして編集されている。
つまり、「深い(=古い)ことが新しい」という図式が20世紀のマスツーリズムに対するオルタナティブなものとしての21世紀観光の基本史観となっているのだ。
そして、この流れは急速な発展を遂げたシンガポール観光にも求められるものとなっていくだろう。
狭い国土で“箱モノ”の観光素材を次々と生み出すのには限界がある。
その背景にマレー・インド・中国の多様な文化を併せ持つシンガポールゆえに史的アプローチによる観光開発は必須のものとなるはずだ。
もちろん、トランスアイランドとて例外ではない。
島という器そのものに歴史性はないものの、ここは「文明」という人類全体のストックを未来にどう引き継ぐかをテーマとする未来観光地である。
遠い過去と遠い未来を繋ぐ壮大な社会実験の島における史的アプローチとして、太平洋の島々に伝わる神話や民話の力を借りるのが「ストリームライヴ」なのだ。
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「感性の楽園」から「知性の楽園」へ。
以前のハワイが感覚的な癒しを提供する地であったとすれば、21世紀のハワイは知性的な癒しを提供する段階へと進化するようだ。
ともすれば表層部分のみを生きてしまう人類が、歴史や文化という自らの奥行き部分に触れることで得る安堵感。
そこに至ることで個々が癒され、その連鎖の中に全体が癒されていく善循環。
ハワイにはそのヒントが数多く眠っているように思えるし、それらはどの国や地域にも通用する共通のものであろう。
観光先進地ハワイを、作家ならではの好奇心と想像力をもって見つめ直し、ひとつひとつ丁寧に拾い集めていくことにしよう。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
先々週、四日間という短い滞在ながらもハワイでワーケーションの旅に出ていました。
僕は仕事柄、海外渡航歴をしっかり記録していて、今回のハワイは通算34回目の渡航でした。
手元のデータを見ると訪問国別集計の通算が113回なので、1/3近くがハワイです。
今回はワイキキから一歩を出ず、コンドミニアムのリビングとお気に入りのビーチやカフェを転々としながら過ごしました。
最近読書時間が激減しているので、この機会に3冊は読もうと鞄にビジネス書と経済書、小説を放り込んで出かけたのですが、結局1冊半しか読めませんでした。
ワーケーションだったので、Zoom会議が数本と企画書作成に大半の時間を費やしてしまったのが現実です。
が、振り返って考えてみると、このような時間の使い方が僕の目指したライフスタイルで20年前に描いた「真名哲也」的な時間、つまり物語のような時間を久しぶりに過ごしてきました。
『儚き島』は2002年から2007年までの5年間の連載になりますが、真名哲也というキャラクターのデビュー?は遡ること6年の1996年11月。
そのスタートとなる小説の冒頭部もワイキキに滞在して創作したことを鮮明に覚えています。
ワイキキ中央部に今もある「Denny's」で何杯もコーヒーをおかわりしながら夜中すぎまでパソコンに向かってテクストを入力し、昼はビーチの木陰で参考文献の読書…
今から考えるととても優雅な時間だったと思いますが、良きキャリアを重ねてきたものです。
今回のワイキキ滞在で改めて「小説を書きたい」という思いが再燃しました。
プロデューサーとして極めて現実的なノンフィクションの世界に生きる僕ですが、自ら創作するフィクションの世界とバランスをとって生きてきたはずなので、近年そのバランスが崩れていたような気がします。
2025年は少しビジネスのスキームも変えたいと考えているので、この回に記した「観光開発と小説創作の類似性」を改めて探究してみたいと思います。
/江藤誠晃