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021.東西軸と南北軸
2002.7.9
【連載小説21/260】
どんな小さな島でも、世界に対してその空間的ポジションを明確に表現可能な方法がある。
緯度と経度。
つまり、東西と南北の2軸をその上に交差させればいいのだ。
「点」は「点」である限り、「点」でしかなく、「面」に対して存在なきがごとくだ。
が、「点」と「点」を結べば「線」となり、「線」が無数に重なるところに「面」は出現するのだから、「点」はまず、「線」の上に自らを位置づけることで「面」に大きく近づくことができる。
そして、自らを貫く2軸さえとらえれば、「点」はどれも「面」に於いて他に変えがたき唯一の存在となる…
人という「点」もまた、社会という「面」に対して同様なのではないだろうか?
「点」たる「島」でさらに、「点」たる「個」として生きることで見えてくる「面」としての世界というものがある。
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僕の住むノースイースト・ヴィレッジは、通称「文学の村」。
その他の村は、時計回りに「アートの村」「エコロジーの村」「テクノロジーの村」だ。
そして最近、トランスアイランドのこのヴィレッジ配置が、優れて象徴的な世界の縮図であることを発見したので説明しよう。
まずは、島上に東西と南北の2軸を想像してもらいたい。
次に、それぞれの軸の両端に対峙する価値観を設定してみる。
東西の軸は、冷戦の時代なら「社会と個人」とか、「管理と自由」といった関係性であったろうが、僕はそこに「求心と遠心」というキーワードを見ている。
自己を探求するベクトルが求心、対して、ヒトが周囲に対して働きかけるベクトルが遠心だ。
南から北へ向かう軸は、通常、人類史における発展ベクトルと表現されるが、こちらには「文明と自然」という関係を見ている。
ただし、北の「文明」に対して南の「自然」を優劣関係でとらえることはしない。そこに見て取るのは「変化と不変」の関係だ。
「求心と遠心」「変化と不変」。
改めてこの2軸で島を見てみよう。
北に位置する2ヴィレッジは、人智の成果たる「技術」と「言語」という文明系のエリアでありながら、西の「テクノロジーの村」はネットワークに代表される遠心ベクトル、東の「文学の村」は作家的自己探求の求心ベクトルが作用する。
一方、南の2ヴィレッジは、人類を取り巻く大きな「自然」と向き合うエリアである。
違うのは西の「エコロジーの村」が有機的ネットワークとしての連鎖の中に自己を位置づけるのに対して、東の「アートの村」は自己の中に、その他全体を取り込もうとすることだ。
どうだろう?
以上の2軸で俯瞰すれば、トランスアイランドは非常にコンセプチュアルな基本設計の上に成り立つ島だ。
そして、島民は居住地選択、つまり、「点」たる自己を「面」たる島に位置づける際に、無意識にこの2軸を自身の中でクロスさせていたのではないだろうか…
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僕の住むノースイースト・ヴィレッジは、通称「文学の村」。
その他の村は、時計回りに「アートの村」「エコロジーの村」「テクノロジーの村」だ。
そして最近、トランスアイランドのこのヴィレッジ配置が、優れて象徴的な世界の縮図であることを発見したので説明しよう。
まずは、島上に東西と南北の2軸を想像してもらいたい。
次に、それぞれの軸の両端に対峙する価値観を設定してみる。
東西の軸は、冷戦の時代なら「社会と個人」とか、「管理と自由」といった関係性であったろうが、僕はそこに「求心と遠心」というキーワードを見ている。
自己を探求するベクトルが求心、対して、ヒトが周囲に対して働きかけるベクトルが遠心だ。
南から北へ向かう軸は、通常、人類史における発展ベクトルと表現されるが、こちらには「文明と自然」という関係を見ている。
ただし、北の「文明」に対して南の「自然」を優劣関係でとらえることはしない。そこに見て取るのは「変化と不変」の関係だ。
「求心と遠心」「変化と不変」。
改めてこの2軸で島を見てみよう。
北に位置する2ヴィレッジは、人智の成果たる「技術」と「言語」という文明系のエリアでありながら、西の「テクノロジーの村」はネットワークに代表される遠心ベクトル、東の「文学の村」は作家的自己探求の求心ベクトルが作用する。
一方、南の2ヴィレッジは、人類を取り巻く大きな「自然」と向き合うエリアである。
違うのは西の「エコロジーの村」が有機的ネットワークとしての連鎖の中に自己を位置づけるのに対して、東の「アートの村」は自己の中に、その他全体を取り込もうとすることだ。
どうだろう?
以上の2軸で俯瞰すれば、トランスアイランドは非常にコンセプチュアルな基本設計の上に成り立つ島だ。
そして、島民は居住地選択、つまり、「点」たる自己を「面」たる島に位置づける際に、無意識にこの2軸を自身の中でクロスさせていたのではないだろうか…
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
僕のことをよく知る方々なら、各種プロデュース活動において常にマトリックスを導入していることをご存知だと思います。
その中でも縦横2軸で4象限化する分類は基本中の基本ですが、問題はその「軸」の立て方。
当時の僕の頭の中にあったのは20世紀後半までの冷戦構造をベースとする「東西軸」と先進・途上国をベースとする「南北軸」でした。
この2軸が対立する関係から融合に向かうのが21世紀であるという楽観主義(若しくは願望)がこの作品にありましたが、2022年の今、再び世界は2極対立関係で再編されようとしています。
世界各国を旅してきた僕の思いは、異国を観ることで得る俯瞰的な思考のの提唱でしたが、残念ながら「旅すること」もままならないのが実情です。
/江藤誠晃