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151.厳しい船出

2005.1.4
【連載小説151/260】

2005年は厳しい船出となった。

2004年末26日に起こったスマトラ沖地震とインド洋大津波の被害は大きく、死者は10万人を大きく超えた。

人類は20世紀以降最悪と評される天災の痛ましい傷跡と共に新年を迎えることになってしまったのだ。

旅と共にある豊かな日々。

未だ見ぬ土地とそこに暮らす人々との高度情報ネットワーク。

トランスアイランド発、観光元年。

本来ならば『儚き島』の新年第1回となる今回の連載を、僕はそんなスローガンと共にスタートさせるつもりだった。

が、病める「北」を癒す機能を持って、自然豊かな「南」が存在しうる可能性を論じていくはずだった新年はまさに厳しい船出となった。

頼みの自然そのものが時として人類にとって大きな脅威となる現実を痛感する中に新たなスタートを切らなければならない。

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現地の惨状や復興状況については膨大な量のニュースと映像に頼るとして、ここではトランスアイランド視点による事態の深刻さをまとめることにしよう。

地球温暖化に伴う海面上昇により国家水没の危機に瀕する島嶼国家群。
21世紀中にはその存在が消滅してしまうかもしれない「南」の現場から「北」へ「SOS」のメッセージを送ると同時に、その回避に向けての具体的アクションを南北融合の中に模索し実践する。

それがトランスアイランド誕生の原点であった。

文明社会における人類の果てなき競争と大量消費がもたらした貧富差や環境問題を是正し、適正消費による循環型社会実現の中に新たな国際共生社会を目指す。

そんな大目標に向けての具体的な取り組みをひとつひとつ実践する社会実験の場として、太平洋の真ん中に浮かぶ僕たちの島は3年近い日々を重ねてきた。

豊かな自然のただなかにありながらも高度情報ネットワークで世界と繋がれることで知的な文明社会が可能となるなら、そのシステムとライフスタイルは途上国はもちろんのこと、「過疎地」や「僻地」と呼ばれる地の活性化にも役立つだろう。

また、そういった土地への人口分散化傾向が生まれることで世界はそのバランスを取り戻すかもしれない。

そう、「集中から分散へ」の価値創造が僕たちの目指すところなのである。

が、今回の惨事はその理想論を根底から揺るがすものだった。

「自然」の側にいるということは、その「美しさ」に近いと同時に、「恐ろしさ」や「厳しさ」にも近いということが明示されたからだ。

「自然」との距離とは国土の位置的問題だけではない。

海岸線に近い民ほど多くの命を奪われ、近代的な建造物という人工の砦に逃げ込むことのできた民が多く助かったという津波被害の実情は、天災時における文明優位を裏付けるものだった。

また、文明優位は情報力という側面においても明らかである。

「北」の国家における地震発生事の津波警戒に対する情報伝達システムはかなりの精度で完成されているが、今回の惨事の舞台となった「南」の国々ではその整備が完全に遅れていた。

いや、大衆の中に「TSUNAMI」という自然現象の基礎知識さえ共有されていなかったというのが現実だ。

文明優位は災害発生時だけではない。

災害後の復興活動において物資獲得の物理的困難さから食料や生活物資が不足したり、医療体制の不備から各種感染が拡大したりする現実もまた「南」の脆弱さの顕著な例だ。

こういった実情を知って、「文明」側の民に都市に留まる安心感が増幅し、「自然」に近い民に都市への逃避願望が再燃するとすれば、僕たちの目指す理想社会は遠い向こうに離れてしまう。
縮めるべき「北」と「南」の距離がより隔たってしまうのだ。

被災地の小さな村は、瓦礫を取り除き土地をならすところから始め、そこに家を建て田畑を開墾し直すことで新たな歴史を始める。

同様に、少し遠のいたかもしれない僕たちの未来も露呈した課題群のひとつひとつを解決する中に手繰り寄せるしかないのだろう。

さて、もうひとつ気になるのが当該地域における観光産業への影響である。

今回の惨事はイラク戦争やSARS被害による落ち込みから復活し初めていたアジア観光に対して大きな痛手となるだろう。

こと観光産業に関しては、直接的な被害を受けた地はもちろんのこと、周辺地域にも連鎖的影響が生まれてしまうこと必至だ。
被災地方面への旅行を差し控えようというツーリスト心理が当然のものとして蔓延するからである。

観光産業に頼る国家や地域にとって最も着実な復興は観光産業によるものであるというロジックは、「北」のツーリストの心理に届きにくいものだ。

当面の間、南~東南アジア観光は苦戦を強いられることになるだろう。

リアルな人的移動のみに頼る従来型の「観光」からリアル&ヴァーチャルの「新観光」へのシフトというトランスアイランドの活動テーマが、より一層重要になるのだと受け止めておこう。

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大津波の被害だけでなく、イラク問題や北朝鮮の拉致問題、ウクライナの政争等々、年末年始のニュースに暗部は多い。

厳しい現実と多くの課題をもって世界は2005年に移行した。

が、この10日間の事態を観察する中で僕は悲観ばかりを感じているわけではない。

災害直後から動き出した各国政府の人的・資金的援助活動。

民間レベルの医療や物資ボランティア。

インターネット上に登場した数多くのチャリティーシステム。

被害者の側からすれば充分ではないことは重々承知しながらも、「南」に対する「北」の対応は迅速なものだったと思う。

特に個人レベルで参加可能な善意のネットワークはインターネット上で一気に拡大した。

世界がひとつに繋がったネットワーク時代。

そこには以前なら見ることのできなかった「光」が輝いているとの実感がある。

ヒトは争う者であると同時に、助け合う者でもある。

天災という有事に際して生まれる被害者への奉仕の心は人心の根源部にあるものだ。

自然がもたらした厳しい現実を受けて僕たちがどう変わったか?

遠い未来に歴史はそこを問うのだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

2025年を迎えましたが、今年は僕にとって特別な意味を持つ「阪神・淡路大震災」から30周年のメモリアルイヤーです。

振り返ると、神戸で被災して多くを亡くした僕はその10年後に『儚き島』を執筆していたことになるわけですが、90年代後半は「自らの復興」ともいえる暗中模索の日々でネット小説という分野に活路を見出して「真名哲也」を誕生させ、ビジネスとライフスタイルが大きく変容しました。

当時、スマトラ沖地震のニュースを聞いたのはクリスマス休暇で滞在していたハワイで、翌年末には大きな被害を受けたタイのプーケットを訪問したので、不思議な縁であるかのように災害の現場を旅してきたことになります。

また、この2005年の4月起こった「JR福知山線脱線事故」は当時の通勤路線だったことから、事故車の1本後ろの電車に乗車していたことから衝撃の事故現場に遭遇することになりました。

その後も2008年のオアフ島大停電で高層ホテルに閉じ込められ、2011年の東日本大震災時も品川の高層ビルの事務所に閉じ込めらるなど、人一倍、災害現場に出くわす機会の多い人生でした。

そんな僕が今は兵庫県の防災ツーリズムの委員長を拝命して2025年を迎えているというのも本当に不思議な縁です。

30年前の早朝5時46分の地震体験は今も鮮明に記憶の中にあります。

真名哲也、曰く
「少し遠のいたかもしれない僕たちの未来も露呈した課題群のひとつひとつを解決する中に手繰り寄せるしかないのだろう」

僕の日々は20年を経てもまだ、瓦礫を取り除くところから小さな歴史を建立する作業の繰り返しのようでありますが、メモリアルイヤーの今年はささやかながら復興の記念碑のような仕事を手掛けたいと考えています。
/江藤誠晃


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