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158.観察者と報告者

2005.2.22
【連載小説158/260】

夫の海外赴任に伴ってシンガポールへとやってきた日本人女性が主人公。

東南アジア史への興味から始めた博物館の日本人観光客向けボランティアガイドの仕事が彼女の転機となる。

ガイドを担当したある男のひと言が彼女に3年の駐在を終えた夫と離れ、ひとりシンガポールに残る決意をさせることに。

フリージャーナリストのその男は、2003年のクリスマスに彼女のガイドを受けた後こう囁いた。

「世界を見れば見るほど、知れば知るほど僕らの日本は理解できなくなるね」

そして彼はイラクへと旅立った…

仮に『ラッフルズホテルから』と題したそんな短編小説を創作し始めたことを、僕は昨年の5月にこの『儚き島』で紹介している。
(第117話)

長く期間を経たが、その続編である。

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この短編小説は、「ラハイナ・ヌーン」が取り組む企画の一環として創作している。

具体的には古典文学作品のトリビュート作品を銘々が自由に創作しようというもので、僕は文豪サマセット・モームの短編をモチーフに、シンガポールを舞台に男女3人の人生が交錯するストーリーに取り組んでいる。
(詳細は第104話)

冒頭部のみの披露で、その後の進捗を尋ねられることも度々あったが、結果から言うと『ラッフルズホテルから』は作品として未だ完成していない。

が、それは創作のサボタージュでも、内容的に行き詰まっているからでもない。
創作は軌道に乗り、作品は既にかなりの文量になっている。

問題はその「軌道に乗った」という部分。

なんと主人公たちの時間進行が現実の時間とシンクロしてしまったのである。
つまり、僕や「貴方」の生きる時間とフィクションとしてのストーリーが同時代性の中に並行して進んでいるということだ。

そこを説明するために、ごく最近の作品の一部を抽出して紹介してみよう。
先月、つまり2005年1月の設定である。

「あの人と偶然再会した時、ラッフルズホテルには時の流れを操る不思議な力があるのではないかと私は思った。
博物館での初対面からちょうど1年を経たクリスマスの日。午前で仕事が終わり、午後のひとときをラッフルズのカフェテラスで読書と共に過ごしていた私の隣のシートに彼が座ったのだ。
目が会うと一瞬過去を探るような表情を見せた彼は、“やあ、また会いましたね”と笑顔で語った。
多分、その短い時間は彼にとって1年間の記憶を遡る作業だったのだろうが、私にとっては過ぎ去った1年が瞬時にしてどこかへ消え去ったかのような衝撃だった。
イラクにおける邦人の拉致や殺害が報道される度に、私の脳裏に彼の面影が浮かび、“もしや”と不安な気持ちに捕らわれ続けたのがこの1年だった。
ところが、その当事者たる彼が、まるで昨日の続きのようにラッフルズホテルで私の前に現れたのだ…」

おわかりいただけるだろうか?

つまり、この物語は昨年の5月に突如として空想の世界に現実の世界と同時代性をもって登場し、その登場人物たちは、それぞれの2004年を過ごした後、今日現在2005年2月22日を過ごしているということだ。

作者である僕は彼らの過去をある程度の裁量をもって創作すること可能だが、物語の背景となる現実が未知数であるが故に、その未来を先んじて描くことが出来ない。

ただ世の中の動きを敏感に察知しながら、空想上の異国に生きる彼らを見失わないよう観察し続け報告する立場なのである。

「ネットワーク上を創作の場とする君ならではのリアルタイムフィクションだな…」

とは、ラハイナ・ヌーンの仲間の評価だが、近年の僕の創作は確かに従来型の小説創作と一線を画するものになっている。

作者と読者の距離や時間差が限りなくゼロに近いネットワーク上の創作活動は、作品そのものをライヴパフォーマンスに変える可能性を持ち、僕はそこにこだわっている。

物語の始終を紙の書籍上に支配した従来の小説家に対して、僕のポジションは現実と並行する空想世界の記録者とでもいうべきものだ。

おかしな話だが、仮に僕がノンフィクションとして連載を続けるこの『儚き島』という手記の全てが架空の作り話であるとすれば、読者の「貴方」にとっては『ラッフルズホテルから』同様のリアルタイムフィクションとして成り立つことになる。

それほどに現実と空想の境界が曖昧になる側面が、ネットワーク文芸の面白さなのだろう。

「事実は小説よりも奇なり」を超えて「事実と小説の奇なる融合」である。

では、もう一節だけ同作の続きを記しておこう。

「何かを変えようと、シンガポールに留まっている私ではあるが、結局は足踏みのまま何も変わっていないのかもしれない。
一方で、不変を装いながらも、あの人の人生は日々変化の中にある。いや、旅する彼を取り巻く世界が激動しているということかもしれない。
ラッフルズホテルで再会のひとときを過ごした彼は、今度は東南アジアを巡ると言っていた。そして今、再び彼の安否に関する不安が私の中で募っている。何故なら彼が最初に目指した地がプーケットだったからである…」

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作家や小説家という職業的分類の前に、自分は「何者」なのだろうと考えることがある。

僕にとって物語を創作する仕事は天職だ。
その全てが楽しく、死ぬまで飽くことなく続けることが出来ると思っているからだ。

が、一方で、それが全てではないとの思いが常にある。
僕にとっての創作は、さらに奥にある「人生の目的」のための手段でしかないという感覚だ。

では、一度きりの我が人生において僕は何をしようとしているか?

それは「観ること」と「報せること」だろう。

自らの人生を取り巻く有形無形の全てを、ただ「見る」のではなく、しっかりと「観る」。
そして、そこで感じたこと考えたことを小説というスタイルに再加工して他者に「報せる」。

つまり、「観察者」というポジションで「旅」し、その成果を「報告者」として物語化する僕のライフスタイルが結果として作家や小説家という職業に繋がったということ。

「時代の観察者にして、次代に雇われた報告者です」

そんな自己紹介もありだと思っている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

イラクへ向かう謎のジャーナリストという人物を小説の中の小説に登場させたのは、2004年におこった邦人拉致事件がヒントでした。

中東でおこる拉致事件というのはその後も絶えず、そのターゲットとなるのはジャーナリストやボランティアですが、そこから「世界」を観察して報告する試みとしてフィクションが担う役割というものがあると考えたからです。

ここ数日、ニュースを賑わせているミャンマーにおける日本人拉致を見ると、残念ながら悲観的になります。
それも闇バイトやオンラインゲームを通じて高校生が拉致される…などという事例はデジタル社会の進化が悪質な犯罪を複雑に進化させている残念な状況です。

『儚き島』で東南アジアをとりあげた僕は、その後延べ50回以上のアセアン取材を行いましたが、2010年に2度ミャンマーを訪れることになりました。

民主化を目指す当時のミャンマーはジャーナリストの長井健司さんが2007年に射殺された事件もあって、緊張感を持って行った取材でした。

その後、着実に進むかと思えた同国の民主化は二転三転しているようですが、今回の拉致事件を見ると「20年たって、世界は少しは良くなったか?」と考えさせられています。

テクノロジーの進化が世の中を改善するどころか、改悪してしまう事実…
そこに対しても「観察」と「報告」を続けなければならない、というのがジャーナリストや作家の使命でなのかもしれません。
/江藤誠晃


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