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024.善循環と悪循環

2002.7.30
【連載小説24/260】


「循環」という概念は自然の中でこそ、身にしみてわかる

海水が太陽光線を受けて蒸発し、空へ昇る。
冷やされて雲となった水は、風に吹かれて旅をする。
山に行く手を遮られた雲は、雨となって大地へ降り注ぐ。
降り注いだ雨は川となって大地を流れ、その道中で様々な生命を潤し、再び海へと還る。

循環は局所でも成り立っている。
例えば、僕らと木々の関係。
僕らは絶えなき呼吸で、酸素を体内に取り込み二酸化炭素を排出する。
木々はそれを受け取って、葉に受ける太陽光線と地中から得る水で光合成を行い、力を蓄える。
双方は持ちつ持たれつの関係で延々と地球上に共存してきた。

水や酸素、二酸化炭素の流れだけではない。
食物連鎖や天敵の存在から、火山噴火や洪水などの天災まで含めて、地球という生命体は、全てが循環シナリオの中に連綿とその歴史を重ねてきた。

では、人間社会の循環の方はどうか?
それも、マーシャル諸島共和国を取り巻く循環は…

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空間的に地続きではなくても、政治的もしくは経済的関係の中にその身を置けば、国家はいとも簡単にシステムとしての空想大陸に取り込まれる。

マーシャルはその意味において米国を核とする巨大文明大陸の隅に位置し、日本もまた同じ大陸にポジションされてある。
架空の大陸を支える地盤は「民主」や「自由」といったイデオロギーのパワーであり、各所を繋ぐのは「人」「モノ」「金」の複雑な流通網。
(我が祖国、日本もマーシャルに対してODA予算を拠出してきたことを知る人は少ないだろう。島を貫く舗装道路は日本の援助によるものらしい。いや、そもそもこの国を知る人がどれだけいるのだろう…)

さて、全体がバランスの中に保たれるのが「善循環」なら、アンバランスの中に無理が増殖してしまうのが「悪循環」だ。
ここで、ジョンの不安を共有するためにも、マーシャルの「悪循環」のことを書いておかなければならない…

前々回もふれたように、マーシャル諸島共和国は、島のひとつを軍事基地として貸し出す金銭的取引を米国との間に交わす国家だ。
それだけであれば、他にも事例はあるだろうが、この国の特殊事情は、それが国家歳入の半分以上を占めるところにある。

基地受け入れによる補償収入は「危険と隣り合わせの不労所得」だ。
が、表立った戦争なき時代、危険の方は大衆に対して身を潜めているから、受け入れ者の感覚は次第に麻痺していく。
何もなければ、遊休地提供で自動的にお金が入ってくるのだ。
ましてやそれが国民生活の一部分ではなく、大部分を担うとなると、気まぐれな自然との駆け引きによる農漁業の成果に対して、平時の基地受け入れは勝率の高いギャンブルになってしまう。

「補償漬け」と悪評されるこの状態の中で、マーシャルにおいては伝統的な農漁業が衰退し、国民の労働意欲が激減した。
もちろん、新たな産業育成を支えるマインドは希薄、高等教育を受けた若者は国に失望して国外流出。インスタントやレトルト食品に偏る食生活による子供たちの栄養障害が問題となり、音楽や映画などは外来エンターテインメント漬けで、独自の文化も育たない…
加えて、地球温暖化による国土水没の危機である。

さらにもうひとつ…
架空大陸僻地におこる「悪循環」に中央の文明エリアが気づかない(気づこうとしない?)という事態の「非循環性」が大きな問題として存在している。

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ジョンは今、文化人類学者、海野航氏宅にホームステイし、弟分の灯君と生活を共にしている。
自然が大好きなふたりは言葉の壁を越えて意気投合し、毎日元気に島中を飛び回っている。

そして、コミッティメンバーと僕を含めたエージェント達は、ジョンが自らマーシャルの未来ビジョンを策定するためのアドバイス活動を日に数時間、ワークショップのかたちで始めた。

マーシャル政府のカブア氏には、ジョンを9月まで預かることを連絡済みで、とても喜んでくれている。
あちらでも何人かの若者を集めて同様のプログラムを組む予定らしい。

未来を創造するということは、イコール子供たちを育てるということだと断言してもいい。
限りない「時間」の中を、僕らは限りある「生」で生きている。
「個」にできることはあまりにも僅かで儚いが、次代への連鎖を作ることで大きな「循環」の中に自らを取り込み未来に貢献することは可能である。

親の世代が子の世代に注ぐ真摯な眼差しと暖かい思いやりさえあれば、我々人類はいかなる「悪循環」をも克服可能だろう。

ジョンのマーシャルの未来にも、「善循環」はある。
僕はそう信じているのだが…

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】
SDGsのはるか以前に残したこの作品を持続可能性の文脈で再読してみると、なかなか示唆に飛んだ内容だったな、と我ながら感じます。

環境・社会・経済の3層構造で分析するSDGsの観点でいえば、「補償漬け」で疲弊していた当時のマーシャル諸島共和国は東西軸でも南北軸でも悪循環の中にありました。

20年を経た今、あの島を再訪したら何を見ることになるのか?
おそらく、あの空と海の青さはそのままだろうし、そこに吹く風の心地良さも不変だと思います。
一方で、CO2問題による国土の水没化や経済の疲弊はどうなっているのか?
その関心が薄れてチェックできていない自分がいることに気付いています。
/江藤誠晃


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