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150.流木舎から

2004.12.28
【連載小説150/260】

ハワイから島へ戻った。
今年も年末年始はNEヴィレッジの自宅でゆっくり過ごす予定である。

まだトランスアイランドへ来たことのない読者向けに解説すると、この島はハワイ同様に湿度が低い上、常に何処からか風が吹いていて過ごすやすい。

おまけに僕が暮らす木造ハウスの周囲四方には大きな椰子の木が立っていて、直射日光を遮るから、室内にいると体感温度は20度強といったところだろう。

Tシャツ1枚で暮らしていれば、エアコンなど必要ない快適な常夏の島なのだ。

書斎のデスク前には海に向けて大きな窓があり、ここに座って仕事をしながら視線を前方に転じると、白い砂浜、波打ち際、濃紺の海、水平線、青い空…、とシンプルにして深い南国の自然を独り占めできる。

多くを持たないことを主義とする僕のデスク上はいつもすっきりしている。

愛用の地球儀と辞書に数冊の本、そして使うことの少ない便箋の束が右隅に積んであり、その上にはモンブランの万年筆とペーパーウェイト代わりの小さな流木が幾つか置いてある。

実は何を隠そう、僕は流木コレクターである。

今年度最後となる『儚き島』は、居心地のよい僕の書斎から、珍しくプライベート部分を披露することにしよう。

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ごく私的なネーミングにして他者に語ることは少ないのだが、僕はNEヴィレッジの自宅を「流木舎」と名付けている。

これで「ナガレギノヤ」と読む。

もちろん、建物自体はトランスアイランド標準仕様のキットハウスで、流木で組み立てたものではない。
南の島々を気の向くままに巡る自らの人生が大海に浮かぶ流木に近いとの思いから名付けた。

つまり流木のごとき男が暮らす家という意味だ。

もっとも、僕の家を訪問した人々には「種々雑多な流木が存在する家」という意味での「流木舎」と思われているようだ。

それほどに僕の生活は流木に囲まれている。

以前から島々を転々とする中で海岸を歩いては流木を集めるのが好きであったが、この地に定着してからはそれが本格的な趣味となった。

目の前のビーチには様々な形と大きさの流木が漂着するが、気に入ったものを拾ってきては自己流のコレクションにしているのだ。

大きなものは、ハウス前で隣人を迎えて宴を催す際のベンチ。

中くらいのまっすぐなものは、組み合わせてロープで縛り、椅子やマガジンラックになる。

小さいものは屋内でハンガーやキャンドルタワーに化けているし、波に揉まれてツルツルに磨き上げられたさらに小さい木片が冒頭に紹介したペーパーウェイトとなって机上に並んでいるのだ。

規格化された木材と違って天然の流木はひとつひとつに個性があっていい。

彼らに囲まれて暮らす日々は、それぞれの背後に存在する小さいながらも壮大な漂流史の数々と共に生きているに等しいのだ。

そして、そんな流木の数々を飽きることなく眺めながら、僕の産み出す物語や文章たちもこのようにあって欲しいと常に願っている。

ネットワークの海を漂い、見知らぬ誰かの穏やかな心の浜辺に辿り着き、ささやかなコレクションとして机上に並べてもらうことで安住の場を得る…、というように。

さて、では何故「ナガレギノヤ」なのかについても余談ついでに紹介しておこう。

きっかけは滋賀県にある観光名所の「埋木舎(ウモレギノヤ)」だった。
ゆかりの人物は「桜田門外の変」で有名なあの大老・井伊直弼である。

直弼は国宝彦根城が残る彦根藩に生まれたが14男ということで家督を継ぐ立場にあらず、他藩に養子に行くか、家臣の家を継ぐか程度の道しかない不遇の身であった。

そんな彼が下積み生活でありながら、17歳からの15年間を学問や武芸の修業に打ち込んだ屋敷が埋木舎であり、今も城下に観光スポットとして残っている。

実は、直弼が埋木舎時代にこんな歌を詠んでいる。

「世の中を
よそに見つつも
うもれ木の
埋もれておらむ
心なき身は」

武士として時代の中心から遠く離れ、世捨て人同然の自分ではあるが、このままで終わるつもりはない…

後にその政治手腕を天下に示し、攘夷派の志士から恐れられた人物ならではの逆境に負けない強靭な精神が滲み出る歌である。

そんな「埋木舎」にヒントを得て「流木舎」なるネーミングを自らの住処に付けたなどと解説すると、何やら大袈裟にとられてしまうかもしれない。

文明から遠く離れた島に居ながらも、いつの日か世界に打って出てやろうと考えているのだな、などと期待されては困るので、一種の当て字的ネーミングだったことを念のために追記しておく。

ただ、同地を訪れた際に僕が感じた「埋木舎」という空間に対するシンパシーのようなものが無かった訳ではない。

ひとりの男が先は見えずとも淡々と修練を重ねた一種のストイズムが宿る場所に不思議な涼やかさを感じ、自らの書斎にもこのような雰囲気が漂うといいなと思ったのは確かである。

もっとも、時代も違えば置かれる立場も気楽な今の僕が詠える歌は、こんな風でしかない…

「世の中を
遠く見つめて
流れ木の
流れるままに
心豊かに」

井伊直弼の15年に対して、未だ3年足らず。
流木たちに見守られて創作の修練を重ねていくことにしよう。

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早いもので、この島で迎える年末年始も3度目になるが、この1年も充実した時間だった。

流木たる僕は今年も様々な地へ旅して貴重な体験を積むことができたし、僕の心の岸辺に漂着した流木のごとき出来事も多々あった。

そして、トランスアイランドという実験社会も同様に順調な1年を重ねたと思う。

「BLUEISM」のコンセプトに共感を持って島を訪れてくれるツーリストは絶えることがないし、リピーターの数も増えている。

島政の外交分野においては太平洋島嶼国家群との絆は強まっているし、文明国との連携によるプロジェクトも進んでいる。

国家を超えて存在する島(=トランスアイランド)の世界は、着実にその輪を広げたと言ってもいいだろう。

一方で世界に目を転じると厳しい1年だった。

各種国際紛争は収まることなく続いているし、頻発した自然災害や進む地球温暖化など悲観的要素があまりにも多い。

文明そのものは荒れる大海に揉まれて行き先を見出せずにいる迷子のようだ。

が、局所にては荒れる海も全体としては大きな海流の中に循環を保つものだ。

悲観の中にあっても、必ずや安楽の地へ到達するとの楽観は必要で、その小さな具体事例として、トランスアイランドやそこに暮らす僕らの日々があるはずなのだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

年の瀬に1年を振り返るという作業は一区切りをつけるという意味で重要な時間です。

この回で真名哲也は2004年を振り返って以下のように記しています。

「世界に目を転じると厳しい1年だった。各種国際紛争は収まることなく続いているし、頻発した自然災害や進む地球温暖化など悲観的要素があまりにも多い」

20年後の今日、僕が振り返る2024年が同じ内容であることに驚きが隠せません。
結局、世界は何も変わらず同様の課題に包まれて1年を終えようとしています。

また、続けてこんなことも…
「文明そのものは荒れる大海に揉まれて行き先を見出せずにいる迷子のようだ」

この迷い子と流木を重ねて見ると面白く、トランスアイランドに辿り着いた木々は漂流の先に安住の地を見出せた幸福者のようです。

僕たちが築く文明という船はいつまで漂い続けるのか?
荒れる大海に「凪」の時は訪れないのか?
それよりも、僕という一本の孤独な流木も安住の地を見出せていないではないか?

そんなことを考えながら、また1年を終えようとしています。
/江藤誠晃


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