note47: ヨハネスブルグ(2011.8.1)
【連載小説 47/100】
野生動物たちの躍動的な姿とサバンナに沈む夕陽の残像をしばらくは心に宿して旅を続けるつもりつもりだったが、昨日ヨハネスブルグへ着いた途端、再び自然から文明サイドへと引き戻されることになった。
O・R・タンボ国際空港で僕を出迎えてくれたのはATJスタッフのSK君。
ナイロビで次なるデスティネーションがヨハネスブルグに決定してすぐに「SUGO6」アプリの「friends」機能を使って連絡をくれてヨハネスブルグ滞在中のガイドを引き受けてもらうことになった学生だ。
SK君は大学を1年休学して4月からアフリカに来ていて、ヨハネスブルグを基点にアフリカ大陸各国への旅を繰り返しているという。
そんな彼が首都プレトリアで開催される日本人向けの経済セミナーに誘ってくれたので、今日レンタカーに乗って出かけてきた。
都市としての知名度があまりにも高いので、南アフリカ共和国の首都はヨハネスブルグだと間違えられることが多いようだが、北方に約50km離れた場所にあるプレトリアがこの国の首都で日本大使館やJICAの事務所もここにある。
そこでまず驚いたのが整備された近代的な高速道路。
数日間サバンナの大地でワゴンに揺られながらの移動を繰り返していた身だから、まっすぐ延びる人工道路に戸惑うのも無理はない。
ところが快適なドライブであったかといえばそうではなく、プレトリアまでは渋滞で2時間近くかかり結構疲れた。
この国では中間層のマイカー所持者が増え、交通渋滞は年々増加しているという。
車窓から渋滞の列を見ているとベンツやBMVなどの高級車が目立ったところにもこの国の“今”を見たような気がした。
さて、参加したセミナーはアフリカを取り巻く現在の国際情勢を知るに充分なものだった。
特に近年積極的にアフリカ大陸に進出している中国という大国のパワーを思い知らされる内容だったので手元にある資料のデータから数字を拾いだしてレポートしておこう。
※そういえばナイロビからヨハネスブルグに向かう機内で多くの中国人ビジネスマンを見た。
セミナーでは1970年の「一人当たりGDP」数値が披露されたが、当時の中国114ドルに対してサハラ砂漠以南の南部アフリカ諸国全体が236ドル。驚く事に南アフリカ地域のひとり当たりGDPは中国の2倍以上あり、40年前はアフリカのほうが中国より相対的に豊かだったことがわかる。
そういえば小学校の頃、近所に住む幼馴染みが父親の転勤でケープタウンに引っ越したことを思い出した。
日中国交正常化前後の当時、周囲にアフリカへ旅立つ人はいても中国を訪れる人など皆無だった。
ちなみにアジア諸国を見るとインドネシアが83ドル、タイが192ドルとなっていて、20世紀後半に成長した東南アジアの国々でさえも当時はアフリカより数値が下だったことがわかる。
つまり現代において“貧しい”とされるアフリカは過去からずっと“貧しかった”のではなく、多くの国が1960年代に欧州の宗主国から独立しながらも内部紛争やクーデター、独裁者への富の集中などの要因によって事実上成長がストップしてしまった結果、右肩上がりの国際社会の中で取り残されてしまったのである。
その間、80年代以降に急速な発展を遂げた中国は20世紀末の段階で一人当たりGDP数値がアフリカを逆転し、その後10年以上を経て今や対アフリカの最大投資国になっている。
13億人という圧倒的な人口ボリュームで日本を抜いて世界第2の経済大国となった中国と、アフリカ大陸の密接な関係とは?
その詳細についてはアフリカ経済を研究しているSK君にも色々と話を聞いて次回レポートしよう。
※この作品はネット小説として2011年8月1日にアップされたものです。