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146.南太平洋の十字路

2004.11.30
【連載小説146/260】

僕がシンガポールと日本へ20日間の旅を重ねている間に、TWCの一行は長いフィジー滞在を終えたようだ。

昨日、次なる目的地であるバヌアツ共和国のポートビラへ向けて旅立つたとの報告が届いた。

久しくTWCの報告を怠っていた。
今週はフィジーのその後をレポートしよう。
(前回報告は第138話

島へ戻って驚いたことは、エージェントの面々がフィジーへと旅立っていたことである。

先に現地入りしていたハルコのことは既に紹介済みだったが、先週そこに3エージェントが合流したようだ。

環境エージェントのナタリー、社会エージェントのドクター海野、マーケティングエージェントのスタンである。
おまけに休暇でのんびりしていたカメラマンの戸田君までが、誘われて同行したという。

もちろん彼らのことだから、単なる物見遊山で出かけたわけではない。
ハルコやトモル君の報告から、それぞれの活動に接点を見出してのことだという。

彼らのフィジー訪問を追うことで、「南太平洋の十字路」たるフィジーが見えてきそうである。

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まずは、TWC本体の活動報告だが、珊瑚礁の実態調査は順調に進んだようだ。

大小330以上の島々からなるフィジーゆえ、その全てを調査するには膨大な時間がかかる。
そこで今回は首都スバのあるビティレブ島周辺に限って海底調査が行われた。

フィジー政府系団体との共同作業にジャブロ号が果たした役割は大きなものだったらしい。

心配された珊瑚礁の被害状況に関しても明るいニュースが届いている。

2000年と2002年の海水温急上昇によって大きなダメージを受け、広範囲における白化現象が観測されたフィジーの珊瑚礁であったが、かなりの回復が確認されているという。

実は、フィジーの珊瑚礁は各国の研究者たちから再生度の高さで注目されているらしく、その理由が解明できれば世界中の珊瑚礁保全の大きなヒントになると期待されているのだ。

TWCの活動がその一助となるなら大きな誇りとなるだろう。

では、次にフィジー入りした面々の活動紹介に移ろう。

まずはナタリーからだ。

彼女が観光産業とタイアップした自然体験型ワークショップとして推進する「オーガニック・ゼミナール」の中に「自然界の色彩観察」という研究テーマがある。
(ゼミナールの詳細は第95話

生態系の中には、無数の色彩の不思議が存在する。

イエローやピンクといった派手な色の珊瑚と同化することで外敵から身を護るカラフルな小魚。

逆にゴツゴツした海底の岩に同化して獲物を待ち伏せするグロテスクな中型魚。

珊瑚の一部かと見間違えるほど精巧なカモフラージュを行う甲殻類。

と、珊瑚礁の世界を観察するだけでも、様々な事例を挙げることができる。

そんな地球上で観察できる色彩の謎をネットワークの中に体系化してみようという研究の輪がゼミナールの中で広がっており、その素材収集のために彼女はフィジーを訪れたのである。

そして、フィジーの海中写真撮影を戸田君に依頼し、彼はふたつ返事でOKしたという次第だ。

次はスタン。

彼は「ハンディ・ミュージアム」のネットワークづくりを進めている。

ハワイ島マウナケア山頂の天文台や波照間島の星空観測タワーを繋ぐ天文系施設との連携に続いて、彼は太平洋上の島々の歴史や自然に関わる地域色の強い研究施設へのアプローチをスタートさせている。

そこで、南太平洋における学術集積の地ともいえるUSP(南太平洋大学)に属する研究所との提携を模索するためにフィジーを訪れることにした。
(USPの紹介は第138話

ハルコと一緒に幾つかの研究施設を訪問し、大きな手ごたえを得たようだ。

機会があれば詳細を彼に聞いて、『儚き島』でも紹介することにしよう。

そのスタンと1年半の長きにわたってミクロネシアはポンペイにおける「ナン・マドール遺跡」の考古学調査を終えたドクター海野は、ふたつの目的でフィジーへ飛んだ。

ひとつ目は、ビティレブ島にあるシンガトカ遺跡への訪問。

1965年の発掘で1850年前に埋葬された人骨や土器が発見されたこの場所は国立公園にも指定され、フィジー独自の歴史と文化を見直し、国家アイデンティティを確立しようという潮流を生むまでに至った価値ある遺跡である。

ドクターは20年近く前にここを訪れた経験があり、その後の動向に興味を持って再訪問した。

そして、彼にとってのもうひとつのフィジー行き目的が息子のトモル君との再会であったことはいうまでもない
(トモル君がTWCの航海に参加した経緯は第116話で紹介)

独立心の強いトモル君ゆえに心配はしていないと常日頃から語っているドクターではあるが、息子のことが気にならないはずはない。

久しぶりに過ごした親子水入らずの数日がとても有意義だったことは、トモル君から僕宛に届いたメールにも記されていた。

「南太平洋の十字路」は、我が友人たちの共創や再会の場所でもあるようだ。

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エージェントたちの近況報告を記す間にも、未だ見ぬフィジーへの旅情が僕の中で高まってくる。

他に訪れてみたい場所はたくさんあるが、直感としてフィジーに感じるのが、そこから先に広がる時空間の可能性。

そこを旅すれば、その先の旅々が見えてきそうな場所という意味だ。
近い将来にフィジー訪問を実現させることにしよう。

ところで、旅を重ねるということは異なる色彩の中に自らを置き換える行為の連続なのではないだろうか?

そんな思いが浮かんだのは、色鮮やかなフィジーの画像をディスプレイ上に見ながら、数日前に後にした東京で目にした秋の色を思い出したからだ。

ビル街の狭間に遠慮がちに棲息する街路樹の葉たちが紅や黄色に色づく景色。

寒気を含んだ風に吹かれて揺れるそれらの中に、コンクリートとアスファルトに大部分を占められる都会でマイノリティながらも力強く生きる生命の躍動を見た気がした。

変わらぬ原色に包まれる南の日々と同時並行して、迫る寒い季節に向けて色彩移ろう北の日々が確実に存在する。

双方に別れて互いを夢想する日々もまた「観光」なのだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

コロナ禍の間、2020年3月から2023年7月まで。
僕は日本から一歩も外に出ない日々を過ごしました。

これほど長期間、海外に出ないことは40年にわたってなかったわけですから、ライフスタイルが変わってしまったような状態だったと思います。

コロナ禍が開けて昨年7月に最初に訪れたのがシンガポール。
それから1年4ヶ月ですが、海外渡航歴は順調に7回に復活。
デスティネーションはシンガポール2回、韓国2回、ハワイ、フランス、香港が各1回。
ようやく、僕らしい活動パターンに戻りましたが、来週はハワイを訪れます。

『儚き島』を創作していた20年前。
既に10回以上の渡航歴があったハワイという場所をベースにこの物語を生み出しましたが、今回のハワイ訪問はなんと34回目になります。

旅をテーマにビジネスを重ねてきた僕にとって、世界を「定点観測」する場所の存在が重要な役割を担ってくれましたが、その2大拠点がハワイとシンガポールであることは間違いありません。

今回のハワイは休暇をとって自らの人生を客観的に定点観測する時間にします。
どんな「気づき」が生まれるか、楽しみです。
/江藤誠晃

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