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040.ジョンからの手紙

2002.11.19
【連載小説40/260】


マーシャルのジョンから手紙が届いた。

手紙と記したが、実際はメールである。
自身のメールアドレスを持たないジョンの代わりに、カブア氏が肉筆のレターをテキストファイル化して送ってくれたのである。

不思議なもので、メールと手紙とでは受け取る際のイメージがかなり違う。
メールが情報的であるのに対して、手紙が情操的ということだ。
前者は合理的に短時間で作成され、後者はじっくり時間をかけて紡がれる。
また、前者が即時に届くのに対して、後者は時間をかけて手元に届けられる。

ジョンのレターは短いものであったが、その文章は彼の中からある程度の時間をかけて生まれ出たものであろうから、たとえそれがネット上で僕の手元に届いたとしても、僕はそれを「手紙」として情操の部分で受け取った。

全文を訳して紹介しよう。

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ミスター、マナ。
お元気ですか?

あの厳しい航海と、それに続いたトランスアイランドの楽しい日々からマーシャルに戻って2ヶ月になります。
僕は今、カブアさんが中心になって進めている「マーシャルの未来を考える会」で、航海の体験やそこで考えたことを島の人々に語る活動をしています。
何度話しても、あの体験はそのたび僕に新たな発見をくれますし、他の人に語ることで見えていなかった自分が見えてきたりして、とても充実した日々です。
でも、一方で島の人々に伝えたい「なにか」を伝えきれないもどかしさもあり、少し寂しい思いをすることがあります。

島の大人は
「よく頑張った。君はマーシャルの誇りだ」
と褒めてくれます。
子供たちは
「いつかジョンのように勇敢な航海者になりたい」
と言ってくれます。

でも、それはとてもうれしい一方で、何かが違うのです。
僕たちマーシャルの人間には、やらなければいけないことがいっぱいあります。
僕の航海が特別なものだったのではなく
「みんなもそんな挑戦をしてみませんか?出来るんですよ!」
と伝えたいのに、大勢の人々は出来上がった本を読んだり、映画を観たりするように、僕の話を聞いて、満足して帰ってしまうのです。

多分、僕にとってトランスアイランドへの航海は、これから始まるもっと長い旅のはじまりの部分でしかなかったのに、それが全てだったように思う人が多いんですね。

日々の娯楽である本や映画は、手にしたらその中に「はじまり」と「終わり」が含まれているけれど、僕たちが生きていくという物語の「はじまり」と「終わり」は、この手の中じゃなく、外の大きな世界にあるんだと、僕はあの航海で学びました。
ゆっくり時間をかけてでも、そこをマーシャルの人々に伝えていきたいとがんばっています。

カブアさんとボブさんで島同士の交流活動を色々考えておられるそうですね。
「来年には、もう一度トランスアイランドに行けるかもしれないよ」
とカブアさんから聞きました。
その時にマナさんに会えるのをとても楽しみにしています。
お世話になったコミッティの方々やエージェントの皆さんにも、ジョンは元気だと伝えてください。

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4ヶ月前の厳しい航海を、「これから始まる長い旅のはじまりの部分でしかなかった…」とジョン自身が書いたことに、僕は心動かされた。
きっと彼は本能の部分で、人生という旅のなんたるかを学んだのだ。
そして、その思いがある限り、彼はマーシャルの未来への航海に正確な舵を取り続けるだろう。

最近思うこと。
それは、旅の成果とはゴールに待っている「なにか」ではなく、その過程にある「あれこれ」ではないかということ。
つまり、旅することそのものが充分に成果的だということ。

どんな旅も、それがさらに先へと続く長い旅の一部であるならば、それを終えた「今」は通過点であり、旅人はまた、新たな「はじまり」の地に立っているのだろう。
僕らが人生という長い旅の途上にあるのなら、巡る日々は全てが新たな「はじまり」だ。そして、一日という短い旅にさえ「あれこれ」が存在し、きっと、それら全てが成果なのだ…

と、今日も変わりなく穏やかな島に暮らす僕は信じているし、きっとマーシャルのジョンもそうだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

手段であるべきことが目的になってしまう…
ビジネスの世界では本当によくあることですが、危険なのは当事者がそれに気づかなくなってしまういこと、いや感覚が麻痺してしまうといった方がいいかもしれません。

テクノロジーが可能にした利便性の大きな課題はここにあります。
自らの肉圧で「書く」手紙に託す際の「思い」がメールでは希薄になってしまいます。
これは「量」と「質」の関係性でもあるのですが、デジタルは量的増産に強くても質的深化に弱いのです。

海外への旅を始めた頃、大切な人に異国から投函した手紙が相手に届く前に自らが帰国してしまう現実にもどかしさを感じたことがあります。

「情報的」か「情操的」か?
マーケティングでも創作活動でも、よくぶつかる壁です。
/江藤誠晃




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