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080.国家の意味を問う

2003.8.26
【連載小説80/260】


ハイビスカスとヘリコニアの花を目の前にして、一瞬、自分は何処にいるのだろう?と思う。

長旅を終えて、日本からハワイに向かったはずなのに、再び竹富島へ戻ったような錯覚。
何故なら、竹富島でお世話なっていた民宿の庭にも、色鮮やかなこの二種の花が咲き乱れていたからだ。

緯度的にいえば亜熱帯に属する八重山エリアは、風土的にハワイに近い。
咲く花のみならず、陽光や風の匂いもここハワイに近くて当然なのだが、国家という枠組みが不思議な違和感を僕に与える。

トランスアイランドに戻ることにはしたものの、トランジットのハワイで数日を過ごしている。
昨年2月まで数年間暮らしていたオアフ島は、第2の故郷のようなもので、友人も多く、訪ねたい場所が数箇所あるからだ。

で、今日久しぶりに会ったのがノースショアに住む旧友。
彼が日系の沖縄移民4世ということもあり、オキナワとハワイの比較文化論に花が咲いた。

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オキナワとハワイの共通点は多い。
誰でも容易に理解できるのが、大陸から離れて広い海洋上に島々が点在する地理的条件だ
が、今回はその歴史的共通点に目を向けてみよう。

オキナワは琉球王国。
ハワイはハワイ王国。

それぞれ独立した国家でありながら、近代化のうねりの中で日本と米国に吸収された。
王国崩壊は、それぞれ1879年と1893年のことである。
つまり、1世紀少し前までは全く違う国家がそこにあり、暮らす民は独自の生活と文化を維持していたのである。

国家喪失の悲史とは、崩壊日の「点」ではなく、そこを基点に過去と未来に延びる「線」の中に横たわるものだから、次にそこを考えてみよう。

大航海時代を経て地球がひとつに繋がり、ヒトや物資の行き来が冒険レベルから生活レベルへと進展したことで、それまで「孤高」な独立国家であった島国に「柔軟」な通商国家への転換が求められる。

琉球王国は、中国大陸や東南アジア各国と薩摩を代表とする日本と。
ハワイ王国は太平洋を目指す欧米列強の各国と。

海を隔てた隣国との交流は、食物や香辛料から工芸品、燃料、武器…と、当初は互いの強み弱みを補完し合うフェアな関係からスタートするが、その量的拡大による歪みは小国側への負担となって蓄積される。

そして、時を重ねて最後に至るのが、統一国家形成によるスケールメリット獲得という大国の身勝手なシナリオだ。

悲史は崩壊後も続く。

共に所属国家における立地的辺境であることに新参性というマイノリティ性が影響し、オキナワとハワイは短期のうちに20世紀的な軍事拠点化を余儀なくされる。
そこから生まれた不幸の数々は、「沖縄本土決戦」や「真珠湾攻撃」だけからでも容易に判断できる。

軍事的争いが終息しても、大国主導の産業的争いが続く。

南国ならではの観光地化は、一方で経済的メリットを提供しながらも、精霊宿る土地の収奪や伝統産業の衰退を引き起こし、それでも成長期はいいが、内外環境に翻弄されて安定は望めず、失業や各種犯罪増のリスクが残る…

悲観的な部分に偏りすぎてしまったようだ。
オキナワとハワイが我々に与えてくれる楽観や夢の部分も強調しておこう。

まず、祭りや伝統芸能に他所には適わないパワーがあることが挙げられる。
これは各地を旅して比較の中に触れることで明確にわかる。

そして、それらが着実に継承されていくシステムが地域に根付いていることにも注目したい。
オキナワにおける民謡やハワイにおけるフラの文化の生活に対する親近性は一朝一夕に出来たものではない。

そして何よりもそれらを担う人々が明るい。
地域の抱える陰を全て隠すほどに強く明るいのだ。

ひとことで言うなら、民の持つ本質的活力ということだろうか?

どれだけ過酷な歴史を重ねてきても、彼らに「抑圧される者」のイメージはない。
むしろ、オキナワにおける「ウチナーンチュ(沖縄住民)」と「ヤマトゥンチュ(日本本土の住民)」に一線を画す意識や、「アロハ」や「マハロ」といったハワイに残る多くのネイティブ言語表現に、最後まで譲らない島の民としてのアイデンティティを感じる。

「国家」の前に「ヒト」あり。
オキナワとハワイは、僕らにそんなメッセージを送り続けているのではないだろうか?

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「国家」とは、ある意味で文明が作り出した最も強力な幻想だ。

ヒトのアイデンティティに最も深く関わる要素でありながら、民俗や言語、肌の色といった分類と比較して、あまりにも脆い。
何千年、何万年レベルのパラダイムに属する他の分類法と比べること自体が酷なのかもしれないが…

21世紀の今、国家の意味を問うということは、その重さや責任を軽減させることではないかと僕は思う。
それは、国家の価値を下げるという意味ではない。
そこに属する個々人の価値を相対的に高めるべきということだ。

リアルとヴァーチャル双方で世界がネットされ、個々が自由にその暮らす土地を選ぶことが可能となるなら、国家というマクロの枠組みの中に自らのアイデンティティを求める必然性はなくなる。
個の存在価値はその思想やそれに伴う行動というミクロと共にあるのだ。
(その社会実験としてトランスアイランドがある)

「私は日本人です」
といった帰属国家に基づく自己紹介に代わって、自らの価値観とライフスタイルによる挨拶が可能な時代が到来すればいい。

その時、僕ならこう言うだろう。

「私は日系の島嶼巡遊民です」

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

物心ついた頃から長い物に巻かれるのがいやで、マイノリティ側に属することに安堵感があった僕…

少数民族の歴史を追う創作を重ねたのも、そこでハワイ王国や琉球の歴史に惹かれていったのもベースにはマイノリティ志向があったからです。

そもそも、島国・日本という外界と距離を置く国に育ちながら、どこか生きにくさを感じていた20代の僕にとって南洋の島々はある種の「約束の地」だったように思います。

特にハワイは90年代以降、ほぼ毎年のように訪れ、渡航歴は30数回になりましたが、日本から離れて「帰る」場所を得たことは僕の人生に精神レベルのバランス調整機能を与えてくれました。

コロナ禍で2020年2月以降遠ざかっていたハワイへ年末に久々に「帰る」ことになりました。
しっかりバランス調整してくるつもりです。
/江藤誠晃



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