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132.シンガポール新時代

2004.8.24
【連載小説132/260】

今月12日。
シンガポールの首相を14年間務めたゴー・チョクトン氏に替わって、リー・シェンロン氏が新首相に就任した。

1965年の独立後40年で3代目の国家元首となる。

シェンロン氏は建国の父リー・クアンユー氏の長男で、副首相や貿易産業相などを歴任し、早くから将来の首相候補とされていたから予想どおりの政権交替であった。

20世紀後半に急速な経済成長を遂げ、アジアのリトルドラゴンと呼ばれる同国は、今も衰えることなく成長を続けているが、それゆえに新首相には様々な課題がある。

高い経済成長率をいかに推移させていくか?

中国と台湾との外交バランスをどう調整していくか?

高外貨獲得の観光産業をいかに展開していくか?

安定ゆえの国民の政治離れをどう解消していくか?

そして、いまだ現役で国家運営に影響力を持つ偉大な父と違った指導者像をいかに確立していくか?

今後のシェンロン氏の動向と手腕は世界から注目されることになりそうだ。
(シンガポールの紹介は第105~108話)

そんなニュースから日も浅い昨日、隣人のシンガポーリアンであるババ・ディックからボブと僕は招待を受けた。
(昨年末にトランスアイランドへ移住してきた彼のことは第102話で紹介)

そして、元料理人の彼がいつものように自慢料理の席に招いてくれたのだろうと思って出掛けた僕らは驚くことになった。

彼の家にはシンガポールから来た3人の先客がいた。

ひとりは僕もよく知る人物で、2月にシンガポールを訪問した際にガイドを務めてくれたディックの元部下ヘンさん。

そして残りのふたりは、なんと新政府の重要セクションに属する人物だったのだ。

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10代半ばで社会に出て、裸一貫の料理人からシンガポールを代表する財界人となり、政府の顧問職を務めるも、30代後半でその名誉や地位を潔く手放してトランスアイランドへ移住したババ・ディック。

彼は今、人生における遅めの勉学期間だと言って、読書三昧の日々を過ごしている。

ところが、周囲は彼の完全引退を許してくれないらしい。

政財界から文化人に至るまで、幅広い人脈を持っていたディックのもとには様々な相談が持ちこまれるようで、その窓口となっているのがヘンさんなのだ。

今回も新政府の重要な政策を担うふたりが、わざわざこの島までやってきたと言うのだから彼の影響力は相当のものだ。

ところが、僕らが驚いたのはそれだけに留まらなかった。

「ボブさん、マナさん。彼らの新国家づくりを手伝ってあげてくれませんか?」

と客人を紹介するやいなや、ディックが単刀直入に切り出したからである。

シンガポール政府観光局のメンバーである彼らの依頼は魅力あるものだったが、その中身を紹介する前に、同国観光市場に関わる最近のトピックスを列記しておこう。

●シンガポール航空がシンガポール-ロサンゼルス間を18時間で飛ぶ世界最長ノンストップ便を就航。

●2006年にチャンギ国際空港に格安航空会社専用ターミナルが誕生。

●シンガポール初の格安航空社バリュー・エアがバンコク、香港、ジャカルタ路線を就航。

●ミャンマー2番目の国際線航空会社として設立されたエアミャンマーにシンガポール資本が大口参加。

●本土南方沖の島々に、カジノを核とするホテル、マリーナ、コンベンションなどの大規模リゾートをつくる計画を政府が発表。

これらの積極策からもわかるように、シンガポールの観光産業は日々進化し、それらに関するニュースが休むことなく世界を飛び交っている。

そんな中で、今回トランスアイランドに持ちこまれたオファーは、ずばり対日観光誘致強化。
ふたりは日本からの旅行者減に対応するプロジェクトチームのメンバーだったのである。

03年の観光統計によると、日本からシンガポールへの訪問客数は前年比40%減の43万4000人で、過去数年にわたり続いていたインドネシアに次ぐ2位の座から4位に後退した。

それも、1992年からの6年間は毎年100万人強をキープしていた数値が徐々に減少した後の大幅減であるからシンガポールにとっては大きな痛手である。

これには、なんといっても新型肺炎SARSの影響が大きかったのだが、シンガポール全体の誘客は03年の統計で19%減にとどまっているから、日本の観光客激減の背景にはその他の要因が相乗的に関係していると分析されている。

まずは、長引く不況下でシンガポールへ進出していた日系企業の多くが撤退したことが挙げられる。

一種の集客装置として機能していた在シンガポール日本人のパワーが弱まったのみならず、日系百貨店などの観光直結型企業の撤退が市場全体に与える影響は大きかった。

もうひとつの要因は、日本におけるアジア観光の多様化である。

日本からより近くて安い韓国や中国の観光市場が着実に伸びているし、台湾、香港、タイなども健闘している。

そこで、今後の対日観光誘致戦略には新たな市場創造やソフト開発が必須と判断した政府が外部との連携プロジェクトの立ち上げを決定し、そのパートナーとしてトランスアイランドが選ばれたということなのだ。

いや、実際はディックが強く推薦してくれたのかもしれない…

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前出の統計によると、昨年度のシンガポール全体の観光受け入れ数は612万5000人。

人口約300万人の2倍規模であるから、シンガポールがいかに優れた観光立国であるかがわかる。

国土の狭さをカバーするソフト力。

他国に負けない先進的アトラクション。

民間レベルに広く浸透するホスピタリティの精神。

常に市場を開拓し、リピーター獲得の努力を継続することでシンガポール観光は発展してきた。
そして、それは未来に対しても同様である。

新首相が取り組む21世紀のシンガポール観光創造。
その未来に、僕たちの島がどう関っていけるのだろう?

非常に楽しみな案件でありながら、このプロジェクトは緊張感と責任感を伴う取り組みとなりそうだ。

「トランスアイランドの思想やシステムが国際舞台で通用するか否かが試される時が来たね」

と、ディック宅からの帰路にボブが呟いた一言が心に強く残った。

今後の進捗は、この『儚き島』で随時お知らせしていくことにしよう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

「今まで訪問した海外でどこが一番良かったですか?」

海外渡航が多い僕が最も多く受ける質問ですが、この回答は難しくて「良さ」の観点次第で変わるため、正直なところ選べないのです。

ただし渡航回数の1番と2番はハワイ(30回以上)とシンガポール(20回近く)なので、こんな回答をします。

観光業界のプロデューサーである僕にとって、人生を学ばせてくれたのがハワイで、ビジネスを学ばせてくれたのがシンガポールです。

20年前に創作した『儚き島』が20年後の世界を視野に入れた小説であったこと。
その作品を20年を経てnote上にアップすることで時代の変遷を振り返っていること。

この活動で不思議な縁のようなものを感じているのが、20年という時間の意味です。

このレポートで年間43万4000人で全盛時の40%に減少していた日本人のシンガポール訪問者数はコロナ前の2019年に88万人を超え倍増化。

今では当たり前になったLCCの就航やカジノを含むIRの施策が成功要因であったことは間違えないと思いますが、それらを推進してきたのがリー・シェンロン氏だったわけです。

僕のキャリアもそこにうまく乗ってきた感があって、その後、毎年のようにシンガポールを訪れる中で、幾つかのコンテンツをプロデュースさせていただき、現地旅行会社のアドバイザーも務めさせていただき、LCCの日本進出にも関わらせていただきました。
今は日本へのインバウンド市場活性化に向けてシンガポール向けプロモーションを手掛けています。

手前味噌ではありますが、20年前にこの国を訪問した際に「この国は僕の未来に影響を及ぼすな…」と直感したプロデューサーマインドは正解だったことになります。

さて、そのリー・シェンロン氏ですが、在籍20年となる今年5月に引退し、後継のローレンス・ウォン副首相兼財務相が第4代首相に就任したことは僕にとって感慨深い出来事です。

リー氏の国政は52歳から72歳。
その国づくり、それも世界最高峰といえる観光立国の変遷を定点観測し、様々なビジネスに関われた経験があるからこそ、シンガポールは僕にとって教師のような場所なのです。
/江藤誠晃

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