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prologue

情報の海に溺れそうになったら
迷わずその島を訪れるといい

世界をネットワークする情報網
個人レベルで自由に使える高性能情報端末
日々生み出される様々なコンテンツ…

20世紀文明の結実としての
インターネット社会が本来目指したのは
自主・自由・自立をベースとする
個人主役の豊かな日常だった。

が、現実はどうだろう?
我々は日々、複雑なメカとの駆け引きに明け暮れ
効率を求めたはずのシステムに縛られ
溢れる情報は洪水のごとく目の前を流れ
手元に残るのはほんの僅かだ。

果たしてITは
人類を豊かにしてくれたのだろうか?

テクノロジーの船に乗って大海に漕ぎ出した我々に
確かな羅針盤はあったのだろうか?

1世紀近く前
西洋の文明圏に招かれたサモアの酋長ツイアビが
思いを綴った『パパラギ』は優れた文明観察記として
のちに世界中でベストセラーとなった。

書中ツイアビはこう述べている。
「熟したヤシは自然に葉や実を落とすものだが
文明人は葉も実も落とすまいとするヤシの樹のようだ…」

彼は豊かさとは囲い込むものではなく
分かち合うものだと再確認し
自然のままであることの誇りと共に島へ戻った。

我々が選んだ文明化という果てなき旅。
それ自体を否定することはない。
充分に優れて勇気ある挑戦なのだから…

問題は旅路の先に求める結果
つまり到達地のイメージだ。
目的地の示された地図をスタートに置き忘れて
余計な荷物をいっぱい背負って彷徨い続ける…

我々の日々がそんな愚かな旅にならぬよう
このあたりで少し立ち止まって再考してみてはどうか?
そのための方法論は幾つもあるはずだ。
いや、それを生み出すことこそが文明の特技ではないか。

そんな“休息と思考の地”に相応しい場所がある。
慌ただしい我々の時間と並行して流れる
もうひとつの時間がそこにはある。

ー情報の海に溺れかけていないか?ー

貴方の中にそんな不安が少しでもあるなら
迷わずその島を訪れてみるといい。

実は既にひとりの男がその島に渡って暮らしている。
文明と自然のはざまで揺らぐ人類を遠くから
観察し続ける作家・真名哲也である。

彼が重ねる穏やかな島の日々を追体験することで
貴方はそこに21世紀の『パパラギ』を
見つけるかもしれない…

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※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】
スマートフォンというワードもマイナーだった20年前。マイクロソフト社の携帯端末プラットフォーム・ポケットPCのプロモーション事業として公式サイトに掲載する未来形文学作品として企画したのがこの作品でした。
本編に入る前にプロローグとして記したのがこのテキストですが、今でも受け入れ可能な感覚ではないかと思います。
ただし、その後に僕を含めた人類が「情報の海に溺れたか?」と問われれば、溺死したのではなく意識せず漂い続ける道を選んだかのようなイメージ。
21世紀はデジタル漂流民の時代になってしまったのかもしれません。
/江藤誠晃

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